<お気に入りの印>
「風邪だね」
「…………」
体温計が示す数値を見ながら言ったクロスに、ラウロは返事の代わりにげほ、とひとつ咳をした。
冬期休暇にシグール邸で滞在中、朝なかなか起きてこないラウロの様子を見に行くと、ベッドの中でぐったりとした姿があった。
顔が赤いし咳も出ているしで、風邪の症状が出ていたから風邪だとはすぐにわかったが、少し酷そうだったので体温を測ってみれば、平熱よりだいぶ高かった。
「最近体調悪かったんじゃないの?」
体温計をふりふり尋ねるクロスにラウロは沈黙で返す。
本当のところ、体調はここのところ崩し気味だった。
シグール邸に着いた昨日の昼過ぎから喉の調子がおかしいなとか、少しだるいなと自覚していた。
しかし、あえて口にするほど辛くもなかったので、早めに寝れば大丈夫だろうと思っていたのだ。
だから、普段ならばここに来た時の習慣になっていた書斎での読書も遠慮して、随分と早くに就寝した。
普段は被らない毛布もきちんと上にかけて寝たのだ。
だというのに。
気まずそうなラウロの表情を汲み取って、クロスは苦笑を浮かべる。
「なにか食べないと薬飲めないけど……食べられそう?」
「……ああ」
「おかゆ作ってくるから、しばらく寝ててね」
安心させるように額にかかる髪を横に流してクロスは出ていった。
一人残された部屋で、ラウロは熱っぽい息を吐く。
こうして彼らのところで休暇を過ごすのは初めてではなかったが、こうもあからさまに体調を崩すのは初めてだった。
リーヤはちょくちょく風邪をひいたりしていたが、もともとラウロはそれほど体が弱いわけでもなかったし、体調にも気をつけていた。
それで、今まではなんとかなっていたのだが。
「やっほうラウロ」
「…………」
ノックもなしに部屋に入ってきたのはシグールだった。
手には水の入った桶と水差しが乗ったトレイがある。
「水持ってきたよ」
「…………」
「なに?」
「……シグールがくるとは、思わなかった」
「それは僕が看病しそうにないって意味かなぁ」
からからと笑ってシグールはトレイをベッドサイドに置く。
先程までクロスが座っていた椅子に腰かけたシグールは、しばらく出ていくつもりはないようだった。
「持ってけって言ったのはクロス。ここまではテッドと一緒に来たんだけど、部屋の前でリーヤが入ろうとしてたからテッドが下に連行してったの」
「……リーヤが」
「移ると困るし、リーヤがいたら静かに寝れないでしょ」
それはもっともな事だったので、ラウロは素直に頷いた。
印象に比べて意外に風邪を引きやすいリーヤがこの部屋にいたらすぐ移りそうだ。
「水飲む?」
頷くと、水飲みに移されたそれが口元に当てられる。
軽く吸うと冷たい水が口に入ってきた。
ひりひりと傷む喉に冷たい水はよく染み入った。
吸い口から口を離すと、額にぺたりと濡れ布巾が当てられた。
「リーヤがね、体調悪いのに無理してたんじゃないかって。体調悪いならもっと早く言ってくれればいいのに」
「すみません、手間をかけさせて」
「……律儀だなぁ」
擦れたラウロの声に、シグールはこれみよがしに溜息を吐いてみせた。
「別に気にしなくていいのに」
「……いえ、ただでさえ、お世話になってるのに」
「僕らはね。気に入らない奴を休暇の度に呼びつけたり世遊び相手にしたり色々仕込んだり世話したりしないよ」
「…………」
目を瞬かせているラウロの額を軽く弾いてシグールは笑った。
「遠慮なんかして無理されるとこっちの気が滅入る」
「……はぁ」
もともとリーヤに引っ張られる形で彼らを引き合わされて、それから休暇の度に惰性のように連れてこられていたが。
それはつまり、多少は気に入られているという事だろうか。
「さて、体調の悪いラウロ君。子供らしく、こういう時は食べたいものを言いなさい」
にっこりと笑顔でわがままを強要されて、ラウロは黙った。
煩いからとリーヤを遠ざけたテッドに問いたい。
シグールもたいがい静かに寝かせてくれないのだが。
「……じゃあ、桃」
今は冬で、桃の時期ではない。
しかし、まったく手に入らないわけではない。
それなりに入手困難なものを口にしたラウロにシグールは笑みを深めて頷いた。
「どうせなら林檎とかもいる?」
「……いや、そこまでは」
「任せておきなさいって」
「…………」
うきうきと出ていったシグールと入れ違いにクロスが入ってきて、微妙な顔をしているラウロを見て笑う。
「シグール、機嫌いいでしょう」
「……ですね」
「ラウロを堂々と甘やかせるから嬉しいんだよ。ラウロ、普段ちっとも甘えてくれないから」
あとでテッドとかもくるだろうけど、もう相手はしなくていいからね、とさりげに酷い事を言ってクロスは机に鍋を置く。
ラウロとしても喉が痛いのにこれ以上話すのは辛かったので、頷いた。
中身を小鉢に取り分けて冷ましているのを見ながら、ラウロはもう一度、傷む喉を開いて聞いてみた。
「……どうして、そこまでするんですか」
「だって、ねぇ?」
一瞬面食らった顔をしてから答えたクロスの言葉は、シグールが言ったものと全く同じだった。
***
<ラウロがレギュラー陣に甘やかされる話>
200年後シリーズ本にのっけました。
ラウロが彼らに容赦しなくなったのは、こういう経緯もあった……からだといいな。