<先達の知恵>
何度目かの溜息と共にリアトは机に伏す。
ササライがその様子を見て、やれやれと苦笑を漏らすのが気配で分かった。
軍というひとつの集団を動かすのにはそれなりの手順というものが必要らしい。
らしい、というのは実際にそれを動かして回しているのはラウロやササライといった面子で、リアトのところには決済するための書類が回ってくるだけだからだ。
難しい事はよく分からない。
最初の頃に教えてもらおうと思ったけれど、いくら教えてもらってもさっぱり分からないので諦めた。
決済をするだけ、といえば簡単に聞こえるが、リアトがサインをしたものがそのまま通ってしまうので、内容には一通り目を通しておくようにと言われている。
しかし書類に書かれている事が正直リアトにはちーとも分からないので、調べ調べ読まなくてはならない。
そのためのササライではあるのだけれど、それでも頭から煙が出そうになる事がよくあった。
「休憩にしましょうか?」
「ううん……さっきしたばっかりだから、大丈夫」
机に突っ伏したまま言って、リアトは机の上に積まれている紙の束を見る。
さっきから何度見てもちっとも減っていない気がする。
先日ひとつ戦を終えて、ひとつの地域を陣営に引き込んで、その足で遠征に数日出ていたせいで、帰ってきた時には一山どことか三山くらいの書類が積みあがっていた。
正直ここまで積まれているのは初めて見た。
先の戦での被害総額、それに伴う補修や補強、物資の供給と、新しく入った地域に対する対処や援助、最近雨が少ないのでそれに対しての対策などなどエトセトラ。
期限が迫っているものから順に並べておいてくれているおかげで幾分やりやすいけれど、ここ数日部屋に篭ってやっていてもようやく一山半が終わったというところか。
よいせ、と上半身を起こして再び書類と格闘し始めたリアトに、ササライがしょうがないですねぇと呟いた。
本当は甘やかすのはよくないんですけど、と誰に言うでもなく言って。
「リアト、そういう時の伝家の宝刀を教えてあげましょう」
「ん?」
「もう無理ーと思ったら、押しつけて逃げちゃうんです」
「……それやると、怒られるもの」
正直とっても逃げ出したい。
逃げ出したいけど前にやったら後でラウロに怒られたのでもうやらない、とリアトは心に決めていた。
そもそもリアトのところに持ってこられるのは、書類としては完成された、あとは決済するのを待つだけのものだ。
ラウロはその前段階の書類を全て見ているわけで、あんまり負担をかけたくない。
「まぁ、ラウロだけが全部見ているわけではないんですけどね?」
「そなの?」
「じゃあ見にいってみましょうか」
百聞より一見に如かずです、と笑ってササライは席を立った。
ラウロの部屋のドアをそーっと開ける。
覗き見はよくないんじゃないかなと思ったけれど、ササライは気にしなくても見られて困る事をやっている方が悪いんですと断言した。
部屋の中ではラウロとリーヤが何か話しながら書類を読んでいた。
机に積まれている量は、今リアトの机の上にあるものよりかは少ないけれど、いつも持ってこられる量よりはずっと多い。
あれ全部に毎日目を通すなんて考えたら、自分では無理だなぁと思う。
「各所からの要望書や意見書など、書類にもいろいろ種類があるわけですが」
ササライが小声でレクチャーを始めてくれた。
「もちろんそれが全部リアトのところに行くわけじゃありません。企画になっていないものは企画になるよう修正を入れて、明らかに無理なところは突っ返したり色々やるわけです」
「…………」
「まぁ、きちんと書類としての形になるまで駄目出しをするわけです」
「それって凄く大変だよね」
「ええ、ですからいろいろな人に手伝ってもらうわけです。例えば人事関係だとウリュウさんやレンシィさん、金銭面ではシグールやワックスさんとか。イックさんやマリンさんにもお手伝いいただいてますよ」
まずはその人達が目を通して、そこでOKをもらってラウロが検分し、そこで更にOKをもらってリアトのところに届くわけです、とササライの説明を受けて、リアトは感嘆の溜息を吐いた。
「じゃあ僕のところにくるまでに、すごく時間がかかってるんだ?」
「急ぎの書類などは直接ラウロのところに送られたり、リアトに直接持ってこられるものもありますけどね」
「僕のところまで届かない書類も沢山あるの?」
「そうですね。でもそれにまで目を通そうとしたら寝ないでやっても無理だと思いますよ」
そこまでは仕方がありません、と言って、ササライは続ける。
「今リアトがやっているのはもちろんリアトの裁可が一番いいんですが、一定以上の人のサインであればいいものもあります。そういうものは他の人にお願いするというのも手です」
「……いいの?」
「リアトが信頼できると思う人であればいいですよ」
ラウロの部屋のドアを閉めて部屋に戻りながら、リアトは首を傾げて何かを考えているようだった。
部屋に戻ったところで、リアトが言った。
「ササライ」
「はい、なんでしょう」
「頼むっていっても、誰に頼めばいいのかな」
皆自分の仕事を抱えているのに、そこで更にリアトの分を押し付けてしまうのは申し訳ない。
眉尻を落としているリアトに、ササライは含み笑いをして言った。
「そうですね、ジョウイやテッドはどうでしょう」
「大丈夫なの?」
「頼んでも大丈夫だと思いますよ」
いい笑顔で答えたササライに、リアトは顔を明るくする。
もともとそこに回すつもりで、手伝っている人の名前の中にあの二人を入れなかったのだけれど、リアトはそこに気付いただろうか。
当然あの二人をラウロが放っておくわけがなく、今もこき使われているわけだけれど、両方とも要領はいいし片方はここ数十年ほど書類に埋もれる生活をしていたわけだから、今更少し増えたところでそれほど問題はないだろう。
ついでに自分の書類もいくつか紛れ込ませておこうとさりげなく嵩を増やしつつ、当分仕事が楽になるなとササライはほくそ笑んだ。
***
<ササライとリアトの書類仕事の進行具合。>
ササライがとても酷い人に。
でもこの人昔、絶対ナッシュに仕事押し付けて逃亡してたと思うので。
余談ですが、ジョウイは本国のお仕事も時々やっているので死にそうです。