<ナナミケーキ>
長い黒髪をゆらゆら揺らして、ビッキーはルックに笑顔で近づく。
この本拠地で彼に無防備に近づいても無事で済む数少ない存在だ。
「ねーねー、ルックちゃん」
石版によりかかっていたルックは目を開けて、なに、と簡潔に尋ねた。
「いっしょにケーキつくろう?」
「また?」
だめ? としょんぼりと肩を落とすビッキーに、だめじゃないけどさと溜息をついてルックは組んでいた腕をほどく。
脳裏によぎるのは少し前の記憶だ。
「君、この間も厨房を吹き飛ばしたじゃないか」
「そ、それは……でもルックちゃんがなおしてくれたし……」
「なおせるからいいってモンじゃないんだよ。不器用なんだからいい加減やめたら?」
「で、でも、セノさんも来たし……」
だからなんなの、と睨まれて、ビッキーはロッドを抱えてうつむく。
「……セノさんとお話してたのね」
「…………」
「……ナナミちゃんのね、話になってね、それで、あたし……だって、ナナミちゃんがもういないなんて……だって、この間まで、ケーキね」
支離滅裂な文章を呟きだしたビッキーの姿に、なんとなくルックは事態を理解した。
つまりセノと話をしていたビッキーは自然にナナミの話題を出したのだろう。
けれど、ナナミは当に亡くなっている。
時間を飛び越えてばかりの彼女にはそれがぴんとこなくて、特にセノが変わっていなければ尚更だ。
だからうっかり口を滑らせた。
その時のセノの顔を見て、気にしているに違いない。
……分かりやすい、相変わらず。
「ナナミちゃんのね……ケーキ……それで、少し……ね? ルックちゃん、お願い」
「つまり君は、ナナミケーキを作りたいんだね」
「そう!」
その心意気やよし。
だがビッキーは分かっていない。
あのケーキはセノとジョウイしか食せない危険物なのだ。
作った後のキッチンの惨状も容易に想像がつく。
「ね、ルックちゃん。ね?」
お願い、と涙を溜めたビッキーにすがられて、ルックは顔を背けたくなった。
絶対加担したくない。
君がしようとしていることは危険物生成だ。
下手するとあの軍師が血相を変えるぞ。
それでも。
「ルックちゃぁん……」
また泣きそうな顔になったビッキーに、ルックは長い長い溜息を吐いた。
わかってた、二百年前から自分は彼女にはとんと甘いらしい。
「……わかったよ、僕の言う通りに作るんだよ」
「うん! ありがとう、ルックちゃん大好き!」
ぱあっと笑顔になった彼女に抱きつかれて、思わずよろめいたルックはとりあえずクロスを捕まえて被害を最小限にするしかないと覚悟を決めた。
最終的に振り回されているのはルックだけではないということでオマケです。
*ヒーアスの場合*
何気なく本拠地を歩いていたヒーアスは、呼び止められて振り返った。
「ヒーアスさんこんにちは!」
「ああ、こんにちは」
無邪気な笑みを向けられて、おもわずまともに返事をする。
普段あまり接点のない子だから、なんで話しかけられたのかすら分からない。
ヒーアスの戸惑いに気付いていないのか、ビッキーはにこにこと笑みを浮かべながら手に持っていた包みを差し出した。
「これルックちゃんと一緒に作ったの。よかったらどうぞ」
「……ありがとう」
掌に乗せられたそれを紐解くと、食べやすいようにとの配慮か、小さく切れ目の入ったケーキが入っていた。
少し焦げ目のついているところが手作り感が出ていていい感じだ。
前にも何か配っていたっけと思い出して、ヒーアスはそれをひとつ摘んだ。
開けた手前感想くらいは言いたい。
そういえばルックと一緒に作ったと言っていたが、あれがよく付き合ってくれるものだ。
ルックの事を「ルックちゃん」と呼んでも切り裂きもくらっていないようだし、もしかするとかなり凄いのかもしれない。
つらつらと考えながらヒーアスは一口大のそれを口に入れた。
瞬間、全ての思考が吹っ飛んだ。
鼻を突き抜ける絶妙なエグみと辛さのシンフォニー。
一瞬だけ香る甘みを打ち消すのは塩か。
体が噛むのを……飲み込むのを拒否している。
正直に言って、とんでもなく、不味い。
いや、不味いなんて次元ではない。
一瞬で青くなったヒーアスをビッキがーきょとんとした顔で見つめてくる。
本人の目の前で吐き出すわけにもいかず、ヒーアスはかたかたと小刻みに揺れながら口元を引き攣らせて笑みの形を作った。
「……ウマイ、ヨ」
「本当? あれ、ナナミケーキっておいしいんだっけ?」
今何かとんでもないことを言わなかったかこの子は。
そう突っ込みたくて、そこでヒーアスの意識は切れた。
*ユーバーの場合*
「いたいた湯葉」
ダナイが遠征でいないからと久々に地下室で昼寝を決め込んでいたユーバーは、聞きたくない声に目を開けた。
なんでこんな逃げ場のないところで寝ようなんて思ったんだ自分。
ユーバーの後悔などそ知らぬ顔で、シグールはずいと手に持っていた皿を突き出した。
笑顔が眩しくていっそ逃げ出したい。
怪しさ満点だ。
「ビッキーとルックとクロスが作ったんだ。一個あげるよ」
「…………」
「僕は一切何もしてないって」
何を企んでいる、と言いたげなユーバーに、失礼だなぁとシグールは唇を尖らせて言った。
シグールを見て、もう一度皿に乗っているものを見て、ユーバーは考えた。
ルックもクロスも料理の腕は悪くない。
不確定要素であるビッキーが一緒であるとはいえ、あの二人がいるならば失敗はないはずだ。
たぶん危険性は……ない、と思いたい。
まともなものを目の前の奴が持ってくるとも思えなかったが、食べなければもっと酷い目に遭うのは目に見えていたので、ポジティブに考えながらユーバーはひとつ摘んで口に入れた。
直後に口を手で押さえて前のめりに倒れこむ。
「……ぐ」
「あ、意識あるね。味はどう?」
「なん、だ……これは」
「ナナミケーキ」
なんだナナミケーキって。
この不味いというと世間の不味いものに失礼じゃないかと思うくらいの危険物はケーキなのか。
甘みと辛みと苦みとエグみが一緒になるととんでもないものになるとこの時知った。
食べても平気なのか……平気じゃなかったな。
「ビッキーが作りたいっていうからルックとクロスで手伝って作ったんだって。この見た目と匂いは美味しそうなのに味がどこまでも壊滅的な作りなのがすごいよね。それを再現しちゃう三人もすごいけど」
「…………」
「ちなみにペシュメルガはダッシュでトイレだったよ。あっちが食べたのはオリジナルだけど」
天敵の名前に顔を顰める余裕すらない。
むしろアレも同じ目に遭ったのかと思うと同情心すら沸いてきた。
「で、感想は? 湯葉」
「…………」
口を押さえたままユーバーはシグールを渾身の力で押しのけて、走った。
向かった先がかつての天敵と同じ場所というのは言うまでもない。