<地獄の沙汰も○次第>
大量の洗濯物が干されている本拠地の片隅に積まれた資材の上でアレストはだらだらと時間を潰していた。
とうに午前中の訓練も終わり、今頃兵士達は昼食にありついているだろう。
けれどアレストは食堂にも酒場にも行く事なく、こそこそと資材に埋もれるように座っていた。
腹が減っていないわけではない、なにせ訓練で体を動かした後なのだから、体は正直に空腹を訴えている。
だけれどもからっぽなのは胃だけではなくて。
「行ったら今度こそ殺されかねねぇよな……」
肺の空気を吐き出してアレストは呟いた。
アレストがウィナノのところにツケを溜めているのはグランディ城では半ば周知の事実だ。
食堂よりも酒場を愛用しているアレストが酒場でウィナノと繰り返すやり取りは、クロード・キルベスと共に酒場の名物になっている。
それこそシュケイラにいる時からアレストのツケは溜まっていて、それでも今までのらりくらりとかわし続けていたのだが、痺れを切らしたのかたまには灸をすえようと思ったのか、先日ウィナノが実力行使に出た。
クロスに取立てを頼んだのだ。
曰く、追い剥ぎしてでも全額返済してもらえるように。
別に返さないつもりでいるわけじゃないのにどうしてそこまでされなきゃならんのだと思うアレストだったが、実際のところツケの額はちーとも減っていないので弁明はできない。
力ずくで、とはいえアレストもアーグレイ軍の実力者だ、そうそう簡単に追い剥ぎできるはずもない。
などと高を括れていたのはクロスの宣言を受けてから最初の十数秒だった。
アレストの頬すれすれのところを小刀が数本通過し、カカカ、と小気味いい音が空気の揺れた後に耳に届いた。
「頼まれたからには本気でいくから覚悟してね?」
にこりと指にさらに数本の小刀を構えたクロスが優美に微笑み。
クロスの武器が手甲だという認識は、その日のうちに完全に改めさせらた。
それから数日の間、アレストはクロスの目を掻い潜る日々を送っているのだが、どこから嗅ぎ付けるのか大抵のところにいると見つかってしまう。
探偵より能力が上なんじゃないかとすら感じる。
当然酒場に近寄れるはずもなく、不憫に思ってかマリンやイックが差し入れてくれる食事でなんとかアレストの胃はもっていた。
自分より一回り年下である相手にびびって情けないと思うなかれ、すでにリーヤにもジョウイにも同情されている。
でも金は貸してくれなかった。
「ちくしょう……いつまでこんなのが続くんだよ」
「そりゃあ全額支払ってくれるまででしょ」
聞こえた声にアレストはぎくりと背筋を伸ばす。
おそるおそる振り返ると、文句の付け所のない笑みを浮かべて洗濯物の隙間からクロスが姿を現した。
体を後退させるアレストに、クロスは表情を苦笑に変えて近づいてくる。
右手には大きめの包みが持たれていて、反対側は手ぶらだ。
……ナイフは今日は持ってないな。
「そんなに逃げ回らなくってもいいと思うんだけど」
小首をかしげる仕草はとてもじゃないが同じ笑顔で襲いかかってくるようには見えない。
資材の山をよじ登ってクロスはアレストと同じ高さまで並ぶ。
「星辰剣売ったりとかどう? 全額返済できそうじゃない?」
「…………いや、まぁ、な」
アレストは乾いた笑みを浮かべた。
さすがにそこまでするのは気が引けた。
というか後が怖い、なんとなく。
それもそうだね、とクロスは軽く笑って持っていた包みを広げる。
形よく握られたおにぎりがころころと出てきて、それを見たアレストの腹がぐぅぅ、と景気良く鳴った。
「…………」
「ま、食べなよ。ご飯まだでしょ?」
「いいのか?」
「僕一人でこの量は無理だよ」
くすくすと笑ってひとつをアレストに差し出す。
確かにこの量を一人で食べきるのは無理がありそうだった。
最初からアレストの分も用意してあったのだろう、ゆうに三人前はある。
「悪いな」
言って受け取ったそれを頬張ると、丁度いい塩味が味覚を刺激した。
中央には塩漬けにした魚の干物のようなものが入っている。
二口でたいらげて次に手を伸ばすアレストにクロスも自分の手に持った分を食べ始めた。
もくもくと食べ進めてある程度腹が満たされた頃、アレストはちらりとクロスに視線をやって、気まずそうに口を開いた。
「払うつもりがないわけじゃあないんだぞ……?」
「うん、それはわかってるよ。ウィナノだって知ってるさ」
指についたご飯粒を舐めとってクロスは笑う。
遠征時のモンスター退治で得た収入の一部は参加していた人達に配られるので、アレストの収入が一切ないわけではない。
むしろ遠征に行く機会が少ない一般兵達よりもずっと手取りはある。
別に賭博で全額使ってしまうわけでもないのにツケで追われているのは、部下に奢ったり子どもに土産を買ったり……つまりは誰かのために使ってしまって手元に残らないのだ。
「別に悪い事じゃないけどさ、自分の食事代くらいは残しておこうね」
「……ごもっともで」
苦笑してアレストは最後の一口を放り込んだ。
「ごっそさん。美味かった」
「じゃあ食後の腹ごなしに行こうか」
「は」
「モンスター倒して資金調達。ちゃんと軍主と軍師には許可もらったから」
ツケの分を稼ぐまで戻れないからね、と笑顔で言われてアレストは笑みを引き攣らせた。
「ありがとうクロス」
「いえいえどういたしまして。いい暇潰しになったよ」
「…………」
その日の夜。
にこやかな笑顔で言葉を交わす二人の傍に疲労と空腹で死にかけたアレストが転がっているのを目撃した数名は、いたましげな視線を送ってそっと心の中で合掌した。
***
<ウィナノの依頼(?)でアレストの借金取りするクロス。>
星辰剣の買取はきっとマクドール家がやってくれると思います。
というか他では無理だ。