<狂言 上>
「誘拐」という言葉ほどシグール=マクドールと縁が遠いものはない。
元赤月帝国六将軍の一端を担う武家であり、トラン共和国の後は商家として目覚しいまでの成長を遂げた家の当主である彼は、誘拐犯から見れば喉から手が出るほどおいしい物件だ。
もっとも彼らは、シグールを「マクドール家の子ども」として誘拐する。
誰も見た目十六才が当主だとは思わない。
つまり彼らはシグールがトラン共和国の英雄となったほどの名声に見合うだけの実力の持ち主であると知らずに誘拐を試みるのだ。
結果は予想して然るべし。
けれど今回に限っては、何をどう間違ったのか、シグールはあっさりと捕まって今人里離れた山小屋の中で、手を縛られていた。
シグールとしては最近暇だから捕まってみようかなと思ったのもある。
今日はいい天気だなとよそ事を考えている内に武器を弾かれたというのもある。
けれどそれくらいのことでおいそれと捕まるはずがない。
シグールを誘拐しようとした三人組は、山賊やごろつきの類とは様子が違ったために、何か変だなぁということで、なすがままここまで連れてこられたのだが、人質となったシグールに対する誘拐犯の対応は、なんというか、どこまでも丁寧だった。
「ねぇ」
「なんだ」
「喉渇いた」
「あぁ、はいはい」
痩せた一人が苦笑を浮かべてシグールに水の入った筒を差し出す。
前手に縛られているからそのまま受け取って、シグールはこくこくと喉を鳴らした。
シグールに背を向けて三人で顔をつき合わせているのを眺めながら、やっぱりおかしいよなぁと心中でごちる。
誘拐犯は普通手を前で縛るなんてしない。
身動きが取りづらいように後ろで縛るのが普通だし、何よりその気になれば解けるんじゃないかと思うくらいに緩い。
手馴れていないところを見ると誘拐は初めてなのか。
……犯罪に初めても何もないけども。
意識を失ったふりをして捕まってからそろそろ半日。
その間男たちはどこかに連絡を取る様子もなく、ただ黙って顔を突き合わせ、時々こうして何かを話し合っていた。
とっとと身代金を要求するなり、犯行声明を出すなりすればいいものを、何か揉めているのだろうか。
「……そろそろ飽きたなぁ」
「何か言ったか?」
「ううん」
「こう座ってたら疲れるかもな。手は痛くないか?」
「うん」
親切な誘拐犯だなぁと声に出さずにシグールは呟く。
どうにも普通の誘拐ではなさそうだ。
ここで彼らをのして帰るのは簡単だったが、気になったらついでだからとシグールは無邪気さを前面に押し出した笑みを浮かべて言った。
「ねぇ、おじさん達はなんで僕を誘拐したの?」
「誘拐……か」
「確かにそうだよなぁ」
溜息を吐いて、男の一人がシグールに向き直る。
中肉中背の、これといって特徴のない男だ。
三人の中心なのか、残り二人は黙って二人のやり取りを聞く姿勢を取っている。
「坊ちゃんはマクドール家の子だよな」
「うん、そうだよ」
「その……マクドール家の当主様と、面識はあるか?」
面識も何も僕がその当人です。
とは言わずにシグールはこっくりと頷いた。
そうか、と男は表情を緩め、次いで視線を彷徨わせる。
「それでだな……その、坊ちゃんから、当主様に、少し口をきいてほしいんだ」
「はぁ……」
小首を傾げたシグールに、意を決したように男は足を組み替えて、事の次第をぶちまけた。
話によれば、三人とも山賊でもごろつきでもなく、れっきとした商人だという。
――道理で手馴れていないわけだとシグールはそこで納得してしまった。
これまでのんびりと営業を続けていたのだが、最近マクドール家の進出が目覚しく、このあたりの取り占めをマクドール家縁の店が請け負う事になった。
それについての異論はなかった。
大きなところが仕切るのは自然な流れだし、マクドールが大元を締めるのであれば商品の流れも良くなると皆が考えた。
……が、そうならなかったから最終的にシグールが誘拐される事態になるのだが。
「よくある私腹を肥やすってやつデスカ」
うわー、身内の恥かよ、とシグールは頭を抱えたくなった。
商品は売り渋りをされるは買い叩かれるわで、売上はまったく伸びない、それどころか落ち込む一方だという。
「本家のどなたかに上申するしかないと思っても、地方の小さな店なんぞ相手にしてもらえないだろう……?」
一応手紙は出したんだがね、と男は弱弱しく笑う。
「……受け取ってないなぁ」
「え?」
「いやこっちの話。それで僕に話を通してほしいと」
「そういうことだ。それだけのために痛い思いさせてすまなかったな」
「うーん……」
それだけ、というには彼らにとっては生活がかかった問題だろう。
この様子だとこのまま帰させてもらえそうだが、ここで戻ってそいつを潰してはいおしまい、というには面白味が……じゃなくて、証拠がないと取り潰すにも面倒……じゃばくて、この人たちが可哀想だ。
ざっくりと今後の予定を頭の中で組み立てて、シグールはにこりと笑みを浮かべた。
「でも僕が言っただけじゃ、聞いてくれないかもしれないし。どうせだから本当に僕を誘拐してみない?」
「「「………え?」」」
「悪いようにはしないからさ」
ついでに僕も身内の恥を晒した奴の仕置きを徹底的にしておきたい。
にたりと悪戯を思いついた子どもの笑みというには邪悪すぎる笑みを浮かべて、シグールは縄を解いてくれるよう頼んだ。
「おいここかっ!」
ガタン、とけたたましい音と共に蹴り開けられたドアに、三人は過剰なまでに反応してシグールを縛りつけていた大きな柱の影に隠れた。
……本当に、この調子で誘拐を企てたというのだからすごいものだ。
火事場の馬鹿力というものだろうか。
やれやれと肩を竦めて、シグールは半分壊れかけたドアの向こうに立っているテッドに満面の笑みを向けた。
「ご苦労様テッド」
「……なぁ、おい、お前誘拐されたんだよな」
「そうだね」
「お前を誘拐したのはそこの柱の後ろに隠れているようで隠れていない三人か?」
ここまで走ってきて疲れた、というよりは、精神的になぜか疲労困憊の様子のテッドに、シグールはそうだよと悪びれた風もなく頷いた。
そんなこったろうと思ったよ、とテッドは脱力してその場に崩れ落ちる。
シグールが三人に頼んで、「私たちは宅の坊ちゃんを誘拐しました」という手紙を出してもらった。
当然マクドール家に「坊ちゃん」と呼ばれるのはシグールしかいないわけで、動くとなればシグールの紋章の気配を追えるテッドだ。
よもやテッドも、シグールが本当に誘拐されたなどとは思っていないだろう。
その気になればいつだって犯人をしばき倒して逃げられるだけの実力を持っているのを知っているのだから。
だから九割九分狂言もしくはわざとだと分かっていても助けにきてしまった自分の性分を呪いたくなったのかもしれない。
「お前なぁ……面倒なことやってないでとっとと帰るぞ」
「うーん、それはちょっとできないかな」
「はぁ?」
なんでだよ、とテッドは眉を跳ね上げる。
たぶん説明したら怒られるのだろう、けれど彼らと約束した手前、反故にはしたくない。
何しろ今回の非はこちらにある。
「ちょっとマクドール家の市場独占の犠牲者? みたいでさ」
「あー……」
がりがりと頭を掻いて、テッドは溜息を吐いた。
今の一言でおおよその事態は分かってもらえたらしい。
「そこの人たちの状態からするに、今はお前に雇われてお前を誘拐してるって感じか?」
「ご名答」
「そうか、頑張れ」
「うん頑張るね」
にこりと笑ってのたまったシグールの手は、がっちりテッドの腕を掴んで離さない。
せっかくやってきたブレインをみすみす逃してなるものか。
「離せ、俺は帰る」
「テッドが帰る時は僕も帰るよ」
「だったら今から帰るぞ」
「だからそれはできないんだって」
だいたいテッドが一人で帰ったら皆が怪しむに決まっている。
このままテッドも一緒になって帰ってこない方がまだ自然だ。
「……セノ達も心配して待ってるぞ」
「テッドも戻らないなら、かえって安心するんじゃない?」
「…………」
観念したのか、嘆息してテッドはドアを閉めて床に胡坐をかいて座りこんだ。
「…あのう」
「ああ、大丈夫。優秀な参謀がきたから」
「ちくしょう……やっぱりほっとくんだった……迎えになんか来るんじゃなかった……」
悔しがるテッドに、三人はおずおずと柱の影から出てくる。
それでも警戒しているのか登場の仕方にびびったのか、シグールの後ろに控えるようにして座った。
「で、どうするつもりなんだ。市場の縮小ならお前の一声でどうとでもなるだろうが」
「それで済むならいいんだけど。どうにもこの地域の担当者が結構キワドイ事やってるみたいでさ。その粛清がメイン。ついでに僕の身代金で彼らの運転資金も稼げて一石二鳥」
「……いったいいくら請求するつもりなんだ」
「僕の首って懸賞金かかってなかったっけ?」
「トランになった時点で解いてるだろうよ……」
解放軍の時代は、その筆頭であったシグールの首には当然王国から懸賞がかけられていた。
トラン共和国が建った際にその懸賞は外されたが、代わりに逃亡した彼を捕まえるために別の懸賞がかけられたのは二人の与り知らぬ事である。
ついでにこれも、シグールがグレッグミンスターに在居するようになってからは抹消された。
「じゃあそれと同額くらいで?」
「……桁が違うから」
身代金はやめておけ、と米神を押さえてテッドが呻くように言った。