小さくくしゃみをした軍主に、寄り添う男は心配そうに眉を顰める。
「お風邪ですか」
「どう……だろう。寒気もないし喉も痛くないし。噂じゃない?」
「お前が噂ごときで参るタマかよ」
「蜂蜜でもなめる?」
三者三様の反応をした仲間に、大丈夫だよと微笑んで軍主は足を進める。
先日、ちょっとした事情でオベル遺跡をブチ抜いてまったく違う空間が出没した。
その元凶となったのはここで背後に控える三人で。
まあ三人が今ここにいるのは、責任問題というよりは実力で選んだらこうなっただけの話なのだが。
「おい、前を歩け前衛」
「露払いはお願いするわね」
「ご安心を。なにかに襲われましたら即座にお助けいたします」
「……うん、よろしく」
軍主以外のメンバーが遠距離専門とはどういうことだろう。
ちょっと人選を間違えたくさい。
憂鬱な顔して先陣を切った軍主は、足元の奇妙な不確かさに眉をひそめる。
「皆、明かりもないし気をつけて」
「おう」
「ええ」
一人だけ返事がなくて、軍主は下げていた明かりを上げる。
「ちょっと、初めて入る場所で冗談なんて……」
瞬時に口の中が渇いた。
長身の彼はどこにもいなかった。
<愛に捧げる葬送曲 上>
陽だまりの中で穏やかにまどろんで、顔にかけた布を通過してくる白い光に目を開けた。
ハンカチを顔から外すと、むくりと起き上がって立ち上がり、体についた汚れを叩いて落とす。
「ルック、お帰り」
塔に戻ると、相変わらずの笑顔が迎えてくれた。
だがその彼にルックは回れ右をしようとする。
「るーっくん♪」
「嫌だ」
「そういわないの。冬に備えて収入ほしいし」
今年は改装も必要だからさあ、と笑顔でのたまう財政長には何も言えず、引き返す。
手にしていたのは某名家からのお手紙――という名の元の命令書。
そこに書いてある内容は絶対遂行しなくてはいけないし、まあその分見返りは美味しいのだけれど。
「今度は何?」
「群島で切り裂き魔が闊歩中」
「……なぜ、僕らにそれが?」
端的だったが当たり前の質問だ。
トランで出没しているなら百歩ゆずっても、なんだって群島くんだりでの件にわざわざ出向かなきゃいけないんだ。
「やられたんだって」
「主語」
「マクドールの人。群島に出向いてた一行もろとも。命はとられなかったらしいけど、それだけ」
睫を伏せた横顔は痛々しい。
それだけ――つまり命があるだけ。
どれほどひどい事をされたのか、考えてもルックの心は痛まなかったが、腐ってもクロスは天魁星だ。
一般人に被害が出ているのだから、それなりに打撃を受けているのだろう。
(厄介……)
「そもそも群島諸国の政府は何してるのさ」
「優秀な暗殺者みたいだね、その人。軍の総幹部が一人。ビビって他が動けない」
「……単独犯のわけないだろ」
「そりゃ糸を引く人はいるだろうね。でも殺しているのは一人だけみたいだよ」
理解しがたい話であった。
「実は、すでに一度殺ったらしいんだ」
「……だろうね」
シグールが自分の一族を理不尽に攻撃されて黙っているわけがない。
ああ見えてそれなりに人情家、ってのは本人の自称だが。
「殺りそこねるのか、珍しいね」
「殺ったのがテッドらしいからね。余計に不可解」
テッドをわざわざ派遣とは、本気で激怒していたらしい。
とにかく、テッドが殺したといっているなら相手は絶対確実に死んでいる。
なのに、依頼が来たという事は。
まどろっこしくなったので手紙を覗き込む。
「ここしばらくでまた出没しているんだって。金も物も人も糸目を付けないから、絶対今度こそ容赦なく吹っ飛ばせって」
町ごと、に聞こえた。
常識外れの六人の中でも、最大の火力を誇るタッグに依頼したという事は、シグール的には下手すると島一つなくしてもいいやな考えなのだろう。
そんな(外交が)危険な事をルックやクロスはしないが、たぶん。
「まあいいや、行くよ」
「明日にでも出ようね……心配だし」
呟いたクロスの髪に指を絡めて、ルックは静かに頷いた。
闇と光が交錯する。
投げられた礫全てを完璧によけて、男は緩やかな動きでナイフを投げる。
「ふむ、見事だな。いい掘り出し物だ」
「ありがとうございます」
的を全て貫いた影は、無言でその場に立ち尽くしていた。
「あれが殺された時はどうしようかと思ったが」
「これは前よりも優秀です」
「ならばいい」
立ち去る相手に頭を下げて見送る。
その間もずっと、影はその場に佇んでいた。
髪を撫でる潮風にもそこそこ慣れた。
まだに体内をかき回すような感触を伝える船酔いの業に舌打ちをして、ルックは手摺に掴まるかわりに隣にいる相手の腕に掴まった。
「まだ酔う?」
「少し」
「もうすぐミドルポートだからね」
「ん」
海の色が変わってきている。
もうすぐ目的地なのはすぐに分かった。
聞き込んだ結果、最後に切り裂き魔が目撃されたのはこの島。
「とっとと片づけてゆっくりするよ。経費で落ちるし」
「う……ん?」
笑顔で頷きかけていたクロスが眉を顰めた。
「どうしたの」
「ん〜……? なんでもないよ、嫌な予感?」
「……やっぱり早く片づけるよ」
二人で敵わない相手のはずがないのだけど、クロスの表情にさした影にルックも嫌な予感を抱いた。
上陸してから左右に目を配りつつ、それでも治安の悪い場所へ行かなくてはいけない。
栄えている分、ミドルポートには闇もある。
仕方ない事だと自身を納得させつつ、クロスとルックは日が沈んだころに裏通りへと足を踏み入れる。
閃光が走った。
「ッ!」
クロスが剣を握る。
ルックもロッドを構えてクロスの後ろに回った。
「クロス、僕が」
ルックが呟くや否や、再び攻撃がくる。
飛んできたのはナイフ。
それを叩き落して、クロスはガクリとその場所に膝をついた。
「クロス!?」
怪我をしたのかと駆け寄ると、彼は蒼白になってその場にへたりこんでいた。
「クロス? クロス、どうしたの。怪我?」
「……うそ、うそ、うそだ。だって、だ、だって」
「クロス?」
尋常ではない相手の様子に、ルックは眉を顰めて揺さぶる。
だが、クロスは返答のかわりに涙を流しただけだった。
宿屋に寝入ったルックを残して、クロスはそっと窓から外に出た。
先ほど切り裂き魔に出会った路地までいくが、当然そこにその姿はない。
ぎりと奥歯を噛み締めて、月明かりの下で浮かび上がる痕跡を求めて身をかがめる。
ヒュン
耳元をナイフが掠める。
間違いない。
「……ここで、なにをしているの」
立ち上がって、目の前の相手を捕らえた。
黒の上下、整った髪、優しい顔。
長くてほっそりとした指、見上げるほどの長身。
「なにしているの」
手に握られたナイフ。
優雅で、それでいて力強い身のこなし。
「どうしたの、シグルド」
遠い昔に、亡くなった人。
「……なんで……君がここにいるの。どうしてこんなことをしているの」
「…………」
「僕が、わからないの? 他人の空似なんてありえない。僕は、君のことなら絶対わかる」
ねえ、どうして。
呟いて、一歩歩み寄る。
相手は動かない。
その目はうつろで、何の感情も映してなんかいなかった。
そっちの方がいい。
……そっちの方が。
飛んできたナイフをよける。
さすがにクロスを仕留める事はできないと悟ったのか、彼はナイフをそれ以上投げてくる事なく、距離をとった。
「切り裂きっ!」
乱入した鋭い声と共に彼の体に風の刃が迫る。
「っ!」
息を飲み込んで、クロスはその間に割って入った。
「クロス!」
ルックの悲鳴が闇を切る。
全身を赤に染めて、クロスはその場に膝をついた。
背後の影は走り去らない。
ただそこに佇んでいる。
それに僅かな動揺が走った気がした、あるいはそれは願望か。
「ク、クロス……」
「……にげ、て」
それは誰に向けての言葉だったのか。
「逃げて、お願いっ……!」
叫んでついに上半身も倒す。
ぴちゃりと液体の音がした、それが水であるとは思えなかった。
「クロス」
駆け寄ろうとしたルックの足を止めたのは黒い影だった。
それはナイフを数本ルックへ投げた。
防ぎ切る力を持たないルックは下がるしかない。
影はしゃがみこんで、クロスを抱きかかえる。
「クロス!」
叫んでも彼の目は開かなかった。
「クロスっ、くそっ――眠りの風!」
魔法の風に包まれる前に、男の姿はそこから掻き消え。
「……クロ、ス」
瞬きをしても現実は変わらず、ルックはその場所に崩れた。