庵の小島に上陸し、島の奥へと進む事しばらく。まさに廃屋という名にふさわしい建物があった。
「軍師エレノアの住んでる家ってのは、本当にここかぁ? 人の住む場所じゃないぜ……」
ハーヴェイが呆気に取られている。
確かに塀はボロボロだし雑草も生え放題。
家屋も建っているのが不思議なくらいである。
嵐のひとつでもきたら崩れてしまいそうだ。
「ずいぶんな言われようね」
少し高めの声で咎められた。
現れたのは黒髪をアップにした、切れ長の瞳をさらに吊り上げた少女だった。
「人が静かに暮らしてるところにどかどかと押しかけてきて、おまけに「人の住む場所じゃない」? 失礼にもほどがありますよ。どういうつもり?」
「え、いや……その。すまん」
彼女の言う事はもっともなので、ハーヴェイは怒られるに任せておく。
アグネスはひとしきり言うとすっと表情を切り替えて、クロスを見た。
「あなたがクロス?」
「エレノアさんはご在宅ですか?」
にっこりと微笑んで尋ねたクロスに、アグネスは頷く。
「あんたがエレノアじゃねぇの?」
ハーヴェイが口を挟むと、アグネスはじろりとハーヴェイを睨み据えてから答えた。
「私の名前はアグネス。エレノア様の弟子です」
「あ、そ……」
「話はキカ様から聞きました。どうぞおくつろぎください。飲み物や食べ物も色々お持ちしますから、どうぞ好きなだけお召し上がりください。その間に、エレノア様をお呼びしますから」
「「やりぃ!」」
アグネスの言葉に、ダリオとハーヴェイが手を打ち鳴らして喜ぶ。
ここにテッドがいればきっと制してくれるんだろうなぁと思って、置いてきた事をやっぱり後悔した。
「二人とも、あまり飲みすぎるな」
「わ、わかってるよ……」
「へーい……」
「……ブランド」
「なんだ」
「そうか……ブランド、キカと同等なんだっけ……船の掃除させられてるから忘れてたけど」
「……忘れておけ」
これぞまさに鶴の一声だよなぁとしみじみ思っていると、アグネスが料理と酒を運んできた。
ほかほか湯気が出ていて美味しそうだ。
中に何が入っているか知っているから食べる気はしないが。
今冷静になってみれば、そもそも材料調達の方法にも疑問が残る。
「それではエレノア様を呼んできますね」
アグネスが立ち去るや否や、ダリオとハーヴェイが料理に飛びつく。
「いただきまーす!」
「なんだよクロス、食べないのか?」
「うん。僕はいいや」
「謙虚だな」
隣で酒に口をつけてブランドが小さく笑う。彼にだけ聞こえるように、クロスは声量を落として爽やかな笑顔を浮かべて言った。
「睡眠薬入りの食事はちょっとねー」
ブランドはぎょっとして杯を取り落としかけた。
「というかブランド、君くらいは食べずに少しは疑ってほしかったな。
いきなり押しかけてきた連中相手にこんな歓待するわけないじゃない」
「…………」
「あ、あの二人は食べさせとけばいいから」
二人を止めようとしたブランドを笑顔で制す。ブランドは無言で手に持っていた杯を地面に向けて逆さにした。
その目が何か言いたそうだったが、別に食べたところで寝るだけなのは分かっているので鬼じゃない。
「よし、うまくやったようだね」
「皆さん単純な方なので、簡単でした」
「ふん。人間なんてね、単純な方がいいんだよ」
「すみませんねー。単純じゃなくて」
いきなり聞こえた第三者の声に、ぎょっとしてエレノアとアグネスが振り向く。
壁にもたれかかって寝たフリをしていたクロスとブランドが立ちあがると、エレノアが鼻を鳴らした。
「なんだい、随分疑り深いのが紛れ込んでるじゃないか」
「単純な方が好みですか?」
「そうさね、その方がやりやすい」
「すみません単純じゃなくて」
「ははははは」
「ははははは」
笑顔で笑いあう二人の間で火花が散っている。
ついでに背景はブリザードだ。
ブランドとアグネスにはそれがはっきりと見えて、ちょっと引いた。
「……ああ、止めだ止め」
やがて、エレノアが息を吐いて踵を返した。
「こんなとこで腹の探りあいしても埒が明かない。中に入りな」
「お邪魔しまーす」
「おい、この二人はどうするんだ」
ひっくり返っている二人を振り返るブランドに、クロスは肩を竦めた。
「転がしといても大丈夫だよ。別に風邪引くような気候でもなし、その内目を覚ますって」
「随分と冷たいねぇ」
「放任主義と言ってほしいな」
「……そうかい」
室内に入ると、エレノアはどっかと椅子に腰掛けた。
「で、どんな用件だい」
「キカから何も聞いてないですか?」
「キカからはあんたらをよこすとしか連絡はきてないよ」
そうですか、とクロスは姿勢を正してエレノアをまっすぐ見据えた。
「あなたに力を貸してほしい。けど、どうしても嫌だというなら退きます」
「へぇ、随分と物分かりがいいじゃないか」
「なにせ相手が相手なので。クールークとクレイ商会相手に一戦やろうとしてるのに、やる気のない軍師じゃ勝てる戦も勝てない」
「……クレイ商会、だって?」
ひくりとエレノアの眉が動いた。
クロスは少し笑みを深くするが、動揺したエレノアはそれには気付かない。
「で、あんたらはあたしに手を貸せっていうのかい」
「はい」
「……ふぅ……。言っとくけどね、あんた達が聞いてきた軍師、エレノア=シルバーバーグはとっくに死んだのさ」
それは以前も吐かれたセリフなので、クロスの返しもシンプルかつ本音だ。
「人手不足でゾンビの手でも借りたいんですよ」
「…………」
「…………」
沈黙が痛い。
真っ向から睨みつけるエレノアと、笑顔で立ち打つクロスで、負けたのはやはりエレノアだった。
酒瓶から直接酒を飲んで、息を吐く。
「……いいだろう、手を貸してやろう。ただし、死人を墓から掘り起こすって言うんなら、それなりの覚悟はあるんだろうね。どうなんだい?」
「サッドソングの準備をさせておきます」
「……それはいいからあんたの覚悟を見せとくれ。ここの奥の扉から、先へ進むと洞窟がある。そこにある箱の中のものを全部持ってくるんだ」
「わかりました」
「俺も行こう」
「大丈夫だって。僕強いし」
「しかし……」
「僕に一騎打ちで負けたの忘れた?」
そう言われてしまえばブランドは黙り込むしかない。
「それじゃあお留守番よろしく☆」
ついでにハーヴェイとダリオの世話も任せて、クロスは颯爽と裏口から外へ出た。
その自信に溢れた背中を見て、エレノアがぼそりと呟く。
「……早まったかね」
「その試練がどれほどのものかは知らんが、たぶんあっさり戻ってくるぞ」
そのブランドの言葉尻に被るように、遠くから地鳴りに似た音が聞こえた。
「…………」
「…………」
ブランドの予測はまさしく正しく、クロスはホーンドコングを瞬殺してクレストと緑色の瓶を回収して戻ってきた。
「……早かったね」
「これで仲間になってくれるんですよね?」
「……女に二言はないよ」
「そういうエレノアさんが大好きです」
にっこり笑って言うクロスに、エレノアがあからさまに顔を顰める。
「それじゃあさっそく行きましょうか」
「あたしはもう少しここでゆっくり酒を飲んでから……」
「すでにお部屋は用意してます。カナカン産のお酒も用意してあるんですけど……」
「さあアグネス行くよ!」
「エ、エレノア様待ってください!!」
ああ分かりやすくっていいなぁ、と笑みを浮かべてクロスはエレノア達と共に小屋を出た。
まだ地面に転がっていたハーヴェイとダリオに、アグネスが手に持っていた瓶を見る。
「あ、そうだ。気付け薬をこの人達に……」
「いらないいらない」
クロスはさっと左腕を掲げた。
「諸刃の剣☆」
どすどすどすどすっ
「「…………」」
「おはよう?」
「……オハヨウゴザイマス」
「目覚めはどうかな?」
「サイコウデス」
「……紋章の使い方が著しく間違っていると思う」
ブランドは、かつての宿主として言わずにいられなかった。