ふと気付くと、目の前にはどこまでも広がる青があった。
「……ん……あれ?」
水平線をぼけーっと見ていたクロスは、我に返って目を瞬かせる。

その拍子に縁についていた肘が滑って前のめりになり、慌てて縁を両手で掴んだ。
覗き込む形になった眼下には、飛沫をあげて水面を裂き進む船体が見える。
「…………」
体を起こすとチャリ、と金属が擦れる音がした。
クロスは普段そんな音を立てるような服は着ない。
ついでに最後に着ていた覚えのある服は寝間着である。

見れば、クロスは寝間着ではなくて簡素な鎧を着ていた。
胴を守る鈍い銀色の鎧と、揃いで肘から手の甲までを覆う武具。
手を当てると、額には布の巻いてある感触がする。

体の揺れる感覚。
波の音。
高く鳴く鳥の声。
潮の匂い。
そのどれもが夢にしてはリアルすぎた。

潮の匂いが混じる空気を吸い込んで、現状を理解するべく思い返してみる。
クロスは今まで寝ていた。
寝る前にいた場所はマクドール家の客室だった。
しかし今クロスがいるのは船の上だ。
振り返れば、クロスと同じような格好をした同年代の青年達の姿が見て取れる。
その格好は古い記憶の中に残っているものと同じだ。

「…………」
縁を掴んでいた手に視線を移す。手の角度を変えて手甲の隙間を見ると、その手は訓練やら家事やらでこまごまと細い傷やささくれができているものの、綺麗なものだった――紋章がないという点で。


「ちっ」


舌打ちが出た。

この時点ですでにクロスは自分が置かれた状況を正しく理解していた。
昨日シグールの話を聞いていたおかげで、この非現実的な「現実」はすんなりとクロスの中に入ってくる。
クロス自身「僕もやりたいなぁ」と言っていたので、ある意味願いが叶った事になる。
シグールの時と違うのは、シグールには開始時点であったものがクロスにはないという事だ。
すなわち真の紋章が。

シグールは始まった時にはすでにソウルイーターが右手に鎮座していたと言っていたから、てっきり自分にもあると思っていた。予定外だ。
同じ時代に紋章は二つもいらないという事か。

自然と溜息が零れ出る。
しかしこれではっきりした。
クロスも先日のシグール達同様、昔に巻き戻ったらしい……すなわちWの時代に。
無意識に腰に手を当て、ふとクロスはポケットの中に何かが入っている事に気付いた。
取り出したそれは、可愛らしい花柄の便箋だ。丁寧に四つ折りされている。

「…………」
酷く嫌な予感がしたが、開ければ始まらない気がした。
丁寧に折り畳まれたそれを開くと、見覚えのない可愛らしい丸文字で一言だけ、こうあった。



『好き勝手にどうぞ☆』



「…………」
するけども。言われなくとも好き勝手させてもらうけれども。
クロスは笑顔で手紙を四つ折りに戻し。
ぐしゃっと丸めて甲板に叩きつけた。
「……これは、シグール達がキれるのもわかるなぁ」
事前に聞いていようがいまいが行動は同じだった。

「さて……」
床に転がった手紙を無視して、クロスは海を見つめて息を吐く。
シグール曰くの「僕の僕による僕のための二周目」を実行するには、やりたい事もやり残した事も山ほどある。

団長にブランドにスノウ。
イルヤ島の壊滅も防ぎたいし、エレノアやトロイもみすみす見逃すつもりはない。
そのためにまずどこから手をつけようかと考えていると、後ろから近づく気配があった。


「クロス」
振り向けば、優男と言われそうな顔に緊張を貼りつけた青年が立っていて、クロスは無意識にその名前を呟いていた。
「スノウ……」
「きたぞ。準備はいいな」
その言葉に、何が来たのかを理解する。海上にはこちらへ向かってくる船の姿があった。
「大丈夫……大丈夫、ちゃんと僕が指揮を執る」
自分に言い聞かせるように呟いて、スノウは号令を出した。
団員達の動きが一気に忙しくなる。

固い表情で近づいてくる船を凝視しているスノウに、クロスは気付かれないように苦笑を浮かべた。
「スノウ、緊張してる?」
「そ、そんなことはないよ!」
「声、裏返ってる」
「…………」
「大丈夫。いつも通りにやればうまくいくよ」
「……ああ、そうだ……その通りだね!」
 少しだけ柔らかさを取り戻したスノウに微笑んで、クロスは一本しかない腰の剣にそっと触れた。
 さて、卒業試験の始まりだ。





***
というわけでクロスカムバック。