先に挨拶だけしてくると、ルカだけを残してシグール達は待合室を出て行った。
ルカだけ残した意図は分からないが、考えるだけ無駄だろう。
咎められる様子もないので、待合室を抜け出して、適当に廊下を歩きながら飾られた装飾品を眺めていたら、不意に視線を感じた。

振り向くと、壁に背を預けてこちらを見ている女性と目が合う。
メイドかと思ったが、格好は明らかに軍人のそれだ。
ルカの視線を受けて、女性は腰まである茶色の髪を靡かせてゆっくりとこちらへ歩いてくる。
女の軍人はハルモニアにも同盟軍にもいるが、射るような視線にルカは軽く背に緊張を走らせた。

城に入る前に「一応ね」と剣は没収されているせいで、こちらは無手だ。
女一人ならば力づくで押さえる事もできるだろうが。

咄嗟に対処方法を考えてしまったルカのすぐ目の前に、気付けば女性が立っていた。
赤い唇が弧を作り、少し吊り目気味な目がルカを見上げてくる。

「こんにちは」
「…………」
「こ・ん・に・ち・は」
「…………」
「女性に先に挨拶をさせておいて返答もできないの? それでも一国の皇子かしら」
どうして自分の素性を、と言いかけて、笑顔で毒を吐く女の後ろに般若が見えて口を噤んだ。
「こーんーにーちーはー。はい」
「……こ、んにちは」
「よくできました」
にっこりと微笑みかけられて、ルカはむず痒い感覚に視線を外した。
こんなまともに挨拶をした事など何年ぶりだろうか。

とっととこの場を去りたいと思ったが、目の前の女はそれを許してはくれなかった。
「あなた、ルカ=ブライトよね」
「……俺を知っているのか」
「ええ、有名よ。意外とツッコミができる有望株だって」
「…………」
その情報はいったいどこから入ってきたものだろうか。十中八九あのふざけた英雄からだろう。
「顔はまぁまぁね……背もあるし、能力も高い上にツッコミもできる……確かに有望株よね……」
ぶつぶつと呟きながらオデッサがずいと顔を寄せてくる。
ツッコミができる事はわざわざ取り上げる要素なのかと思わず一歩引いたルカの腕にオデッサの手が絡んだ。

無言で腕を振り払おうとしたが、がっちりと抱えられてしまい無理に振り払えない。
「あれ、オデッサじゃん」
「あらシーナ。おひさし」
「なにしてんだ?」
「ちょっとナンパを」
「……俺は今ナンパされていたのか?」
「あら自覚がなかったのね」
微笑むオデッサに、ルカは微妙な顔をする。
「……まぁ気にするな。オデッサさんは常にこんなかんじだから」
「……そうなのか」
「オデッサさんに勝てる人はこの国には皆無だから安心しろ。かろうじてタメを張れるのはマッシュさんとシグールくらいだろうな」
「…………」
「あれ、オデッサさんのこと知らね?」
「……いや、今思い出した」
トラン解放戦争の核となった解放軍の前身組織である抵抗勢力を作った、マッシュ=シルバーバーグの妹だ。
いったいどんな女かと思ったら、なるほど、シグールと馬が合いそうだ。

「オデッサさんと一緒にいたならちょうどいいや。二人を探してたんだ」
「なぜだ」
「なぜって……お前も同盟軍の要だろ。一人だけ置いてきぼりにしたから拗ねてんのか?」
「…………」
「まぁ、一緒でもよかったんだけど、親父の奴がシグール見ると煩いからさー。先に黙らせとこうと思って。黙んなかったけど」
「……そうか」
「ちなみに俺はテキトーにフけるから、よろしく」
しれっとサボリ宣言をしてからシーナは歩き出す。
オデッサも同時に歩き出したので、ルカは腕を振り解くのを諦めて従うように歩を進めた。

衛兵の間を通り抜けて、謁見の間に入る。
「シグール、お久しぶりね!」
オデッサが楽しげな声をあげる。
びくりと肩を揺らしてから踵を返そうとしたフリックのマントの端を、ルックがしっかと掴んでいた。
「やあオデッサ、元気?」
「もちろん元気よ。今日はお付きがたくさんいるのね」
「…………」
一応正式に客として来ているのだが、オデッサは気にしないらしい。
ところでフリックが顔を真っ青にしたり真っ赤にしたりしているのだが。

「オオオオオデッサ、その腕はいったい……!?」
「ところで、国の立て直しを頑張っているオデッサに貢物を持ってきたよん☆」
狼狽しているフリックの腕を掴むと、シグールはぺいっと彼を前に投げ出した。
「気に入ると思うよ。しばらく遊んでて。とりあえず今晩は僕らもこっちに泊まるし」
「まあ、なんだかとても青くて青そうな人ね?」
にっこり微笑んだオデッサは、ルカからあっさり離れると、地面に突っ伏しているフリックの横にしゃがみこんでつんつんと彼の頭をつついた。

「こんにちは青い人、お名前を聞いてもいいかしら?」
「オデッサ……その……」
顔だけ上げたフリックの頭を掴んで、オデッサは床に押し付けた。
「あら、どこの誰とも知らない人に名前を呼ばれる筋合いはないのだけど? ねぇルカ、この人ご存知?」
「……いや」
「ル、ルカ……?」
縋るように向けられる視線が痛々しいぞフリック。いったい何の勘違いをしている。
「……そんな目で見るな。俺は何もしていないしそもそも今会ったばかりだ」
「そ、そうか……」
「何かしらんが、何をそんなに青くなってるんだ?」
「当たり前だ! もしオデッサを取り合うとしたら、俺はお前に勝てる気が一切しない!」
「……フリック、お前、そこは声を張り上げて言えることじゃないからな」
「まったくね。何を謝っているのかしら、変な人ね♪」
今度はバンダナを引っ掴んで無理矢理持ち上げているので、フリックの首が変な方向に曲がりそうである。

見切りをつけたのか、ルックが最初に公開プレイに背を向ける。
「用は終わったよね、シグール」
「いやあ、思った以上にオデッサ怒ってたねえ」
さすがのシグールも最後まで見るつもりなかったらしく、肩を竦めて踵を返す。
「ルカも行くよ。大丈夫大丈夫。あれが彼らのスキンシップだから」
「……そうなのか?」
「恋人同士の三年ぶりの再会だからね。あんまり見るのも野暮でしょ」
「…………」
恋人同士の再会のシーンがあれか……いや、何も言うまい。
愛の形は人それぞれだろう。
人の恋路に首を突っ込むほど色恋沙汰を好んでもいなければお節介でもない。

そのまま流されるように、ルカは二人の後ろに続いた。
気付けばシーナも宣言通り姿を晦ましている。
後ろでフリックの絶望に満ちた声が聞こえたが、すべて聞こえない事にした。