ハンフリーとフッチを仲間にして本拠地に送り出して進むと、関所でマイクロトフと合流した。
マイクロトフの正体はもちろん門番にばればれだったが、カミューからすでに根回しが入っていたおかげで無事にミューズ側へと通り抜けられた。
「カミューの愛を感じるねぇ……」
「俺はそことなく薄ら寒さを感じる……」
「同感だね……」
熱血で先陣を切っているマイクロトフの後ろでひそひそ話をしつつ、ミューズの近くにたどりつく。
「さぁ、ミューズ市が見えてきました、ここからは慎重に……こ、これは……」
マイクロトフが息を飲み、足を止める。
空の色が青から黒へと変わった。
雲が空を覆っているのではなく、夜になったわけでもない。
ただ、ミューズの空がどす黒い色に染まっている。
さながら闇が落ちてきたように。
その空の下に平然と、さもそれが当然であるかのように、白い影が浮いている。
よく目を凝らせばそれは白い影ではなく、白い仮面と黒い装束である事が分かった。
空に浮いているその複数の影を一言で喩えるならば。
「死神……」
蒼白になったマイクロトフが呟く。
死神が、空が暗く陰った場に浮いている。
あれはいったい何なんだ、と問おうとして、シグールとルックとセノが微妙な表情を浮かべているのに気付いた。
「……なるほど、そうきたか」
「合ってるよ、合ってるけど……」
「エグい。絵的になんかすごくエグい。なのに宗教画みたいになってるのが解せない」
三人とも非常に微妙な心境らしいが、焦っている様子はない。
ならばこれも、ハイランド側にいるテッド達の作戦なのだろう。
一呼吸置いて、ルカは浮かぶ死神を見上げる。
前回ルカは獣の紋章をミューズで解放したという。
今回獣の紋章を解放させない代案が、あれというわけか。
だとしても、あれはいったい何なのか、ルカには全く想像がつかない。あの禍々しさは幻ではないだろう。
改めてその正体を問おうとして、セノが先に声をあげた。
「っ、見て!!」
セノが指さす先に、すでに死神はいなかった。
空は晴れ、今まで見ていたのはやはり幻だったのかとルカが思ったその瞬間――
灰の光が空に満ちる。
それは先ほどの闇とは違う。
あれほどの黒さはなく――ただ「存在する」圧迫感。
その灰の光の中央に―――
漆黒の槍が何本も現れて、雷のごとくミューズの街に突き刺さった。
「くっ……!?」
ルカ達のところまで轟音が響く。
大気と大地が揺れ、風が悲鳴にも似た音を立てた。
「ミュ……ミューズの市民は無事なのか!?」
真っ青になったマイクロトフに誰も何も言わず、一同は足早にミューズへと向かう。
だがミューズの近くにまで辿り着いたところで、空に再び黒い槍が出現した。
「逃げろ!!」
叫び声をあげたのはシグールで、ルカは即座に反応し、マイクロトフの首根っこを掴んで反転した。
セノとルックも即座に撤退に移る。
再び大気が震え――先程とは比べ物にならない轟音と揺れが、響く。
反射で閉じていた目を開けると、ミューズを守っていた壁の一部が無残な形に崩れていた。
「こ……これは……!! ミューズに人はいないのか!?」
「……家の中に避難でもしてるのかな」
「だとしたら静かすぎるだろう」
マイクロトフの叫びに、シグールが冷静に対応する。
無音になったところで、町からは悲鳴も叫びも聞こえてこない。
「このままミューズを何かもわからぬ攻撃にはさらしておけぬ!! ただちに住民を避難させなければ……」
「僕らだけで? 寝言?」
必死の形相で町中に駆け込もうとするマイクロトフを、ルカは力で、ルックは冷たい視線と言葉で止める。
三度目の攻撃があるかもしれない状況で町へ入るのは無謀でしかない。
もっともこれがテッドの策であるならば、セノ達がいる状況で攻撃をしてこないとは予想できるが。
更に冷静になって考えるならば、ミューズにもおそらく人はいないだろう。
元敵であるルカですら殺したくないと言ったセノが、ミューズ市民へ危害を加えるのを許容するとは思えない。
この静けさからしても、何かしらの手でミューズ市民を全員移動させた上でこの行動を起こしたと考えるのが自然だ。
……などと、マイクロトフが分かるはずもない。
マイクロトフはさすがに無謀だと分かったのか、町へと突入するのは止まったようだ。
代わりに、拳を握り締めて声高に唱える。
「ロックアックスは近い!! ゴルドー様に報告すれば騎士団が出るはずです!」
これに三人がまた微妙な顔をした。
「騎士団がうっかり出ちゃったらどうしようというオチ」
「大丈夫じゃない。前回は上手くいかなかったわけだし」
「そうですね……大丈夫だと思うんですけど……前回と微妙に違ったりもするわけですし」
「そこは補正力に期待するしかないか。世界線は収束するってことで」
こそこそと話していたが、マイクロトフを止めるだけの理由もなく、結局ロックアックスにとんぼ返りとなった。
……とんぼ返りしておいて何だが、あのゴルドーの態度を見るに、マチルダ騎士団がミューズを助けに出るとは微塵も期待していない。
「セノ殿、このことを報告すればゴルドー様もわかってくれるはずです」
いや、分かってくれないだろう。
ルカはそう思ったが、セノはうんうんとマイクロトフの話に相槌を打っている。
……まさか本当に協力してもらえると思っているのだろうか。
「おい、本気で交渉が上手くいくと思うのか」
「ううん全然」
「……ならば俺達は何のためにここまで戻ってきた」
「なんでだろうね」
「…………」
あっけからんと言い放ったセノにそれ以上突っ込む気すら起きず、ルカは溜息だけ吐く。
これからあの話の通じない男の前に行くのかと若干憂鬱になっていたが、しかし幸いにもロックアックスに戻るや否や、事態はすぐに動いた。
「戻ったかいマイクロトフ。無事でなによりだ」
出迎えたカミューに、マイクロトフは力強く頷き、熱弁を振るっている。
ルカとほとんど年齢は変わらないはずなのに、なんだろうかこの無駄に元気で正義に溢れている熱血っぷりは。
それとも俺が歳なのか。
気付いたらゴルドーに殴りこむ事になっていた。
「というわけで僕とルックは待機してまーす」
「はーい」
「…………」
いってらっしゃい、とひらひら手を振っているシグールと、その隣に佇むルックは動きそうにない。
無理矢理にでも引きずっていってやろうかと思ったが、かえって話をややこしくされそうだ。
後引きずっていくだけの労力が無駄でもある。
セノと二人だけで中へ入ると、マイクロトフはすでにゴルドー相手にも熱弁を振るっていた。
「ゴルドー様、お願いがあります。騎士団の、いえ我が騎士団だけでもミューズへ出撃させてください」
嘆願するマイクロトフに、案の定ゴルドーは虫を見るような目を向ける。
「何を言っておる。なぜそんなマネをしなければならない? 王国軍は我らと争う気はないのだぞ。それをわざわざ」
「王国軍のミューズ市への行いは、騎士団として見て見ぬふりなどできぬはずです! 騎士の誇りにかけて!」
「お前が何を見てきたか知らんが、我ら騎士団には、この領地を治める義務がある。領民を危機に晒すわけにはいかん」
「王国軍がこのまま手を出してこないとは言い切れません。いえ、同盟の他の都市が落ちれば、王国軍は我らに牙をむきます!」
「きさま! いいかげんにしろ!」
引き下がらずに言い募るマイクロトフを、ゴルドーは恫喝した。
「貴様「騎士の誇り」と言ったな。貴様は騎士団の長である、このわしにその胸のエンブレムにかけて忠誠の誓いを立てたのではなかったのか? 誓いを破るのが「騎士の誇り」か?」
「くっ……」
「…………」
騎士の誇り。それは騎士以外には理解できないものだろう。
先程から不快な顔をして視線を背けているセノも、ルカも、騎士ではない。
それ故に、これはただの茶番にしか見えない。
先程までの熱血っぷりはどこにいったのか、答えられずに俯くマイクロトフに、思わず笑い声が出た。
「……ふはは、愚かだな、騎士というものは。豚にも劣る醜態だ!」
「……なんだと?」
戸惑いを強めてこちらを見たマイクロトフに、ルカはあえての質問を投げかける。
「貴様の誓いとはなんだ? この白い豚へ忠誠を誓うのが騎士なのか?」
「貴様っ! このわしに向かってなんたる無礼な……!!」
ゴルドーが青筋を立てているが、相手をする気はないので無視する。
ルカは騎士ではない。だが、騎士から忠誠を誓われる立場ではあった。
彼らは忠誠を主に捧げ、しかし彼らの誓いは忠誠と同一ではなかった。少なくともルカはそう思っている。
主へ捧げる忠誠もまた誓いだ。だが。
「……俺は……」
「お前の信念はなんだ。お前は何のために騎士である。騎士としてお前がすべきと考えることは何だ」
己を曲げて貫く忠誠の誓いに何の意味があるのか。
自分へ、己の信念へ捧げた誓いがあって、その上で騎士は己の主を決め忠誠を捧げるのではないのか。
信念の通わない忠誠など、なまくらな剣と同一である。
ルカの発破にマイクロトフは決意を固めたようだった。
顔をあげてゴルドーを睨み据える目に迷いはない。
「俺は……俺は! 俺は、騎士である前に人間だ! 騎士の名など、いらない! 恥辱にまみれるのも、甘んじて受ける! 俺は、この状況を見過ごすことなどできない!」
マイクロトフは胸に着けていたエンブレムを掴み、ちぎって床に捨てた。カラン、と軽い音が立つ。
「き、きさまぁ! 誓いを破るというのか!」
マイクロトフの行動が予想外だったらしく、狼狽した声を上げたゴルドーは、現れたカミューに感情のままに命じる。
「いいところにきたカミュー。その男を捕らえろ! 牢にぶちこんでくれるわ」
その言葉を聞いて、カミューは微笑を作った。それだけでルカは悟る。次の言葉を聞くまでもない。
「マイクロトフを捕らえる? それはできませんね」
「何を言」
カミューも自身のエンブレムをちぎり、床に捨てた。
「これで、私も反逆騎士です。あなたの命に従う理由はありません」
ああせいせいした、と言わんばかりの爽やかな笑顔をゴルドーに向けたカミューに、セノが「これでミューズに戻ったらどうしよう……」と不安そうな顔で呟いていたが、その後ちゃりちゃりと連続して床を打つバッチの音で、出兵とかそんな問題ではなくなりそうだと薄々思った。
実際、青と赤の騎士団がそれぞれ約半数が騎士団を抜けるという大騒動に発展したため、ミューズへの出兵どころでなくなったのは事実だ。