ミューズで一通り買いものを済ませ、行けるところにある村や町を回ってセノが一回転しながら拳を突き上げる動作を何度か眺めた後、トトの村へ戻った。
この一連の行動はなんだったんだ。
戻った村は相変わらず拍子抜けするほど平和で賑やかで……少々賑やか過ぎていた。
「何かあったんですか?」
尋ねたセノに、村人はやや大げさな身振りで答える。
「それがね、正体不明の軍勢が接近しているとかで……」
「軍勢?」
思わずルカは聞き返したが、セノに止められて口を閉じた。何か知っていそうな彼を見下ろす。
「あのね」
「なんだ」
「たぶん……砦に攻めてくるんだと思う」
あの砦の守り手の数はそれほど多くない。
生き延びるにはとっとと砦を放棄して逃げるしかないわけだが、傭兵とはいえど都市同盟の要の一つであるあの場所に対してそんな事は……しそうだ。
「正体不明の軍勢……十中八九ハイランドだな」
呟いたルカを、セノが不思議そうな顔で見やった。
「なんでわかったの?」
「俺ならそうする。それまでだ」
ハイランドが都市同盟へ侵攻する上で、立地からしても傭兵砦は真っ先に落とすべき拠点の一つだ。
後々ミューズへ侵略する事を考えるなら、起爆剤としても傭兵砦の襲撃は先駆けに相応しい。
砦が落とされれば、都市同盟は集まろうとするだろう。
しかし、都市同盟の内部の対立も根深い故に、結局一枚岩になりきれず、やがて自らを滅ぼす事も容易に想像がつく。
「ピリカに会っていこうと思ったけど……早く傭兵砦へ戻らなきゃ」
そう呟いたセノは、もう五歩ほど村の中に進んでから足を止め、くるりと周囲を見回した。
「あっ、いた!」
嬉しそうな表情になって駆け出して行った先には――おかっぱ頭に眼鏡の女性がいた。
女性はアップルと名乗った。ビクトールとフリックの知己らしく、軍勢が迫っているという情報と共に砦へ行くつもりだったらしく、同行する事になった……らしい。
推定形なのは、ルカは二人の会話を聞いていないからだ。
「ここがビクトールさんの砦だよ」
ビクトールの私物ではないだろうが、さくっとそう紹介したセノはアップルの手を引いて砦の奥へと入っていく。
道すがらの会話で彼女が軍略を学んでいる者だと推測できたので、ルカはあえて絡んでいない。
武器は一般的な剣だし、鎧もごく普通(むしろ安い)ものでしかないが、余計な事をして素性がばれてもそれはそれで面倒だ。
そして作戦室に入ってみれば、現状を理解しているのかいないのか、笑顔のビクトールがいた。
この様子だと、たぶん理解していないのだろう。
「よお、アップルじゃねぇか? ひさしぶりだなぁ」
その言葉を皮切りに、連絡をよこしたよこしてないの口論が始まったが、正直それどころではないはずだ。
一言言ってやろうとルカが口を開きかけた時、フリックの問いつめから逃れるためか、ビクトールが話を止めた。
「と、ところでアップル、どうしてここへ来たんだ? 物見遊山の旅かい?」
「まったく……ハイランドの軍勢がこの砦へ向かっているのよ。それを知らせにきたの」
「ハイランドの軍勢……」
さっとビクトールとフリックの顔色が変わった。その程度の危機感はあったようで何よりだ。
「都市同盟への侵攻を本気で狙っているのよ。この砦が邪魔なのよ。残しておいたら、ミューズを攻める時に後ろをとられかねないから」
「冗談だろ、休戦協定はどうなるんだ」
「さあ……元々守るつもりなんてなかった、ということかしら」
「守るつもりがなかったなら何の……っと。お前達案内ご苦労さん。俺達は対策を考えなきゃならんが、お前達は疲れただろう、部屋に戻って休みな」
ビクトールの一言でルカはさっさと部屋を出る。セノも少し迷っていたようだが、ナナミを連れて部屋を出てきた。
部屋に戻る……いつの間にか地下牢からグレードアップして部屋をもらっているわけだが、脱走までした捕虜に対してこの扱いは……いや、もう何も言うまい。
部屋に戻って荷物を片付け一息ついていると、セノが話しかけてきた。
「ねえルカ、さっきは何か言いたそうだったね」
「いや」
「どうせ暇だし話してよ」
ナナミは寝ちゃうだろうけど、と言ったそばから壁際のベッドから寝息が聞こえてきた。いい根性だ。
「……休戦協定を守る気はハイランド側にはないだろう」
「ないの?」
「休戦協定はあの男が強硬に推し進めた結果だからな。今回も――前回も」
「前回……434年の協定だね。国内ではやっぱり反対する人も多いんだ」
「多い。だがハイランドでは皇王の権力は大きい。だが今回は……いや」
ハイランド側が有利だったのに結ばれた休戦協定で一気に膨らんだ不満を抑えるため、アガレスはルカに軍の指揮権を譲渡した。
故にルカは好きに軍を編成し、それを率いて少年部隊を攻める事ができた。だが。
「デュナン君主国の再興でもするつもり、かな」
「……とホザく輩もいなくはない」
「ハイランドは人口の割に肥沃とは言い難い土地だし、鉄鋼業はティントに大きく水をあけられてる。人口は多いけど突出した産業はない。トランが栄えてますます追い詰められて、国内の不満も爆発寸前ってことかな……」
呟いたセノの言葉にルカは眉を上げた。
年より幼く見える言動がほとんどのセノだが、たまにこういう顔を見せる。
それが彼曰くの「二百年後から来ている」事に関係するのかどうかは興味がない。
「この砦が攻められることについて、策はあるのか」
「ある、と言えばあるけど……負けなきゃいけないよ?」
「俺に指揮をとらせろ。寄せ集めでも蹴散らしてやる」
「だめ。僕達はここは負けて逃げなきゃいけないんだ。逃げてミューズに行かなきゃ」
言われて、不満の感情が顔に出ていたのか、セノはもう一度繰り返した。
「絶対にルカは出さないからね。無理矢理表に出ようとしたら、防具剥いでナナミに後ろから殴ってもらうから」
「…………」
本気の脅しだったので、ルカは黙って視線を逸らすだけにした。
結論から言う。
砦は豪快に落とされた――というか内部崩壊した。
三年前の戦争でも使われたという武器でハイランド軍を蹴散らしていたところ、背後の森から伏兵が登場し、砦を占拠されたのだ。
しかし事前にルカとナナミが、兵士に一人でも多く脱出するようにとビクトールからの指示……と偽ったセノの指示を伝えていたため、ほぼもぬけの殻だった。そのため、人的被害はほとんどない。
出陣した兵士達が散り散りとなったところで、砦にビクトールとフリックが戻ってきて火炎槍を集め出した。
すぐに大規模な爆発が起きると言われ、ルカ達は砦の外に駆け出して――その直後、背後で爆発音がした。
急いで外へと向かう。
もうすぐ出口だというところで、見慣れぬ人影があった。
傭兵砦の人物ではない。
剣を抜いたルカの前に立ちはだかるように、二人。
年の頃はどちらも十代半ばだ。
片方は薄茶の髪を肩のあたりで揃え、緑色の服を着ていた。手にはロッドを持っており、魔法使いのようだ。
もう一人は短い黒髪に赤い服を着て、手には棍を持っている。
ハイランド軍の人間でもないだろうが、突如ここに現れた以上、油断していい相手ではない。
警戒を強めながらルカがいつでも剣を振るえるようにやや重心を落とした瞬間、一人が一歩前に出る。
もう片方もそれに続いた。
「一〇八の仲間がいる限り!」
「この世に悪は栄えない!」
「なんだお前ら」
思わず素で返す。頭がおかしい人間だろうか。
「あっ、シグールさんにルック!」
斜め後ろにいたセノが嬉しそうな声をあげて、軽く眩暈がした。
知り合いか。あのテッドみたいな奴がまだいるのか。
「やあセノ。合流しに来たよん☆」
「というか……アレが何してるのさこんなところで」
アレ扱いされたが、文句を言う気も湧いてこない。
「あれ、まだテッドさんからは聞いてないんですか」
「テッドから手紙は来たけど、「砦が落ちる時にセノと合流」としか聞いてないよー」
「ホントにアレも来てるんだね……かわいそうに」
深々と溜息を吐いた方が、セノから視線を動かした。
「ああ、僕はルック。見ての通り魔法使いだ」
「Sレンジだけど前衛に置いたら即死するから、ボス戦以外は基本見学枠だと思っておけばいいよう」
「事実だから異論はない」
「あ、僕は一般人Aと呼んでね☆」
「一般人A……」
その名乗り方といい様子といい、とても一般人には見えないが、ここは指摘するところなのだろうか。
「シグールさん、パーティに入れるんですか?」
「シグール=マクドールは英雄イベントまで無理っぽいけど、一般人Aってことで入っちゃう♪」
「酷い裏技だよね。ここまでの戦闘全部任せてみたけど、余裕だったし。もう全部これに任せたら?」
「ルックほんとに一発も紋章撃たなかったもんね!」
掛け合い漫才を始めた二人の前で、セノは嬉しそうににこにこしている。
長々と話が続きそうだったが、再び起きた背後からの爆音に、ルカはぽかんとしているナナミの腕を掴んだ。
「逃げるぞ」
「ミューズに、だっけ」
なぜかロッドを構えたルックに、セノは首を横に振る。
「通行証がないといけないから、まずは白鹿亭だよ」
「了解。そこの二人、セノの手につかまって。――行くよ」
「行っちゃって大丈夫なのかな」
「継承ないからね。レックナート様も「面倒くさいから先に進め」って言ってたし」
「あの人ほんと仕事しないなあ……」
三人が理解不能の会話を続けている間に、突如ぐらりと足元が揺れ、浮遊感が襲ってくる。
砦の崩壊のせいかと思わず目を閉じ――次の瞬間、ルカは赤に染まった室内ではなく、緑の中にいた。
「なっ……」
「ルカは初めてだよね。ルックの転移魔法だよ」
「そんなに安くないから多用しないように」
「バシバシ使い倒してあげなよセノ。「君の」宿星なんだからね!」
「一晩しか休息してない僕になんて仕打ちだ!」
「いいじゃない、テッドは一晩も休息してないよ☆」
「……そこは素直に同情する」
また通じない会話をし始めた不審者二名を放置し、ルカはセノに続いて目の前にあった建物の中に入る。
どうやら白鹿亭という宿屋らしい。
とりあえずここで一泊する流れになり、二階への階段を上がりきったところで、ふと先頭にいたセノが立ち止まる。
「なんだ」
「部屋割どうしよう?」
「部屋割の前にやることがあるだろ」
べし、とセノの頭に後ろからチョップをかましたルックは、ひらひらと片手を振った。
「ナナミは部屋で休んでな」
「え……えっと、あの」
「大丈夫だよナナミ。僕も後で行くから」
とセノに言われてナナミは不服そうだったが頷いた。
「わかったけど……夜更かしはダメだよ?」
「わかってる。お休み」
「うん、おやすみー♪」
じゃあねー、と手を振ってナナミが左の部屋へ入っていく。それなら反対側に、とルカが右の部屋に入ると、残り全員がついてきた。
「まずは話を整理しよう」
出口を塞がれ、部屋の奥にある窓の前にもう一人が立つ。
少年らしからぬ素早い動きにルカは眉を上げたが、まだ抵抗する時期ではないと踏み、腰の得物を意識しながら全員を視野におさめるため壁際に寄った。
「セノ、開始はどこから?」
「ユニコーン少年兵部隊の駐屯地です」
「てことは、ルカが攻めてくる直前だね」
セノのみならず、彼らもルカの進軍を知っていたのか。いや、知らされたのか……それとも。
「っていうかハイランドの皇子がなんで同行してるのさ。この男は危険だってあんたが一番よく知ってるだろ」
眉を上げたルックは、ロッドでルカを指して言う。
セノは困ったような顔になって、僕のわがままなんですけど、と前置きした。
「僕は、誰にも傷ついてほしくなくて……ルカだって、あんな形じゃなくて……」
「ねぇ、ジョウイとテッドは何してるの?」
窓際にいたシグールが腕を組んで尋ねる。
「ジョウイはハイランド側にいます。ビクトールさんの砦を攻めたのはジョウイです」
「……待って、僕も混乱してきた。テッドとジョウイがハイランド側にいるんだよね?」
「はい。僕とルカをWで統一軍の旗頭にするんだってテッドさんは言ってました」
「…………」
状況についてはルカよりよほど詳しいだろうに、それでいいのだろうか。
もしかしてセノはとんでもなく抜けているのではないかと思い始めていると、ルックが大きく溜息を吐いた。
「誰にも傷ついてほしくないと言う割には、ジョウイを全力で傷つける作戦だね……」
「言うなルック……まぁ、そういうことなら僕もちゃんと自己紹介しておかないとね」
言ってシグールは腕組みを解いて姿勢をただした。
「はじめまして、ルカ=ブライト。ハイランド皇子にお目にかかれて光栄です」
「……何の真似だ」
いきなりの胡散臭い挨拶に舌打ちと共に答えると、礼儀がなってないなあと笑われる。
「あらためて自己紹介ね。僕はシグール=マクドール。先のトラン解放戦争の英雄でっす♪」
「ブッ」
フルに名乗られて思わず噴き出した。
シグール=マクドール。
三年前、各地の反政府組織を束ねて赤月帝国を滅ぼし、トラン共和国を打ち立てた英雄の名だ。
「歌って踊って金勘定のできる永遠の少年英雄だよ☆」
「世間の子供が泣くようなこと言うな」
突っ込んだルックに、酷いなあと口を尖らせて、シグールはにこりとルカに微笑みかけた。
「というわけでざっくばらんに言うと「僕に逆らうと魂吸っちゃうぞ☆」ってね」
「ずいぶんとストレートな脅しだな」
「僕は君についてそんなに詳しくないからねぇ、全力で脅すよ? で、セノ。なんでルカが一緒なの?」
「ええとテッドさんは僕とルカをWリーダーにするつもりだっていうのは言いましたよね。そのためらしいんですけど」
思いついた事をそのまま口に出しているようなセノの言葉に二十秒ほど堪えていたが、業を煮やしたのかルックはその視線をセノからルカへと移した。
「……ねえあんた、セノよりうまく説明できるでしょ。 これまでの経緯とか。ちょっと説明してくれない」
「……わかった」
ここでルカは理解した。
セノは説明役にとことん向いていないという事を。