皆が寝静まった夜遅く。
ロックアックスに攻め込む策を考えているのだろうか、物憂げな表情で机に向かってカードを並べていた軍師の元を、少女が静かに訪れる。
「シュウ兄さん……」
「なんだ、アップル」
「私がミューズに攻め込む策を出した時……シュウ兄さんには負けることがわかっていたのではないですか?」
常の彼女らしくなく、くぐもった低い声だった。
その質問に、シュウはたいして考える素振りも見せずに答える。
「ああ……よくても勝つ確率は五分だったろうな……」
正直と言えば正直な、残酷と言えば残酷な返答。予想はしていただろうに、アップルの肩は震えた。
「……では、なぜあの時……」
震える声で言うくらいなら、最初からそんな質問をする必要はないだろうに。
「勝てればよし、負けたとしても真の作戦のめくらましになる。こちらが焦っていると思わせられる。それで十分だと思ったのさ。お前とクラウスがいれば被害は最小で押さえられると考えていたしな」
「……シュウ兄さん……私は……私は……シュウ兄さんの力になれないのですか……」
力になりたくてもなれない無力さをすでに痛感していただろうに、彼女はさらに言葉を重ねて自分を追い込む。
さすがにそれにはシュウは何も返さなかった。
「……ごめんなさい。失礼します……」
去ろうとしたアップルを、シュウは呼びとめる。
「アップル」
「はい」
「そのテーブルの上にカードが三枚ある」
示されたカードを見て、アップルは眉を寄せた。
事態が理解できないのだろう。よもやこの軍師が占いなどするわけでもなかろうに。
「その中の一枚をとってくれないか?」
余計な質問を発する事なく、アップルはカードを一枚取る。そこに書かれているのは、『火』。
「何と書かれている?」
「火……それだけです」
「……そうか。もう行っていいぞ、アップル」
「はい……おやすみなさい」
戸惑いながらもカードを戻し、アップルは部屋を出る。
シュウは残された二枚のカードを見てから三枚まとめて机の隅へやり――
「……それで、何の御用ですか」
「気付いていたのか」
今まで窓の外の僅かな足がかりの上に立って一部始終を見ていたルカは、窓を開けて中に入る。
この侵入経路が今までスルーされていたというのは驚愕の事実だ。
暗殺されなくてよかったな軍師。
「僕もいるよ?」
「……ええ、何の御用でしょうか」
先程アップルが出て行ったばかりの扉から入ってきたセノに、シュウは苦い顔をする。
というか自分が窓から入る理由がどこにあったのだろうか。セノの拘りはたまに分からない。
「シュウ、質問いい?」
「なんでしょう」
「そのカードって全部火? 水とか風の作戦もあったの?」
片付けられかけていたカードを、セノは端からめくっていく。
残りの二枚も、火だった。
「うわー、やっぱり」
だと思った、とセノはひらひらとその二枚をシュウに見せつけるように目の高さまで持ち上げて、落とす。
「ねえ、シュウ」
「……何でしょう」
「ちゃんと僕は話したよね。僕が誰であるかも、何をしてきたかも、何を望んでいるかも」
「そうですね」
酷いよ、と言ってセノは俯いた。
責めているような顔ではなかった。それは悲しんでいる顔だった。
「なんで相談してくれないの? また、一人で勝手に決めちゃうの?」
「…………」
「僕は、何も知らない、誰も守れなかった子供じゃないよ。二百年生きて、百年デュナンを守ってきた。それでもシュウは、まだ僕を頼ってくれないの?」
常の彼らしくなく、畳みかけるように問いかける。
それにシュウは答えない。否、答えられないのかもしれない。
「――というわけで、シュウが頼ってくれないので僕は勝手に作戦を立てました」
「「どういうことだ」」
思わずルカもシュウと共に突っ込んだ。
セノはかつてないほどに、にこにこしている。
数秒前の悲しんでいる表情はどこにいった。幻か。
「だからシュウは僕に任せて。火を放つ必要はない」
「あの大勢の王国兵を、どうにかするとおっしゃるのか」
「うん。……ねえ、シュウ。信じてくれるよね?」
そう言って、セノはシュウを見つめる。
「……勝算は、あるのですね?」
聞き返したシュウに、違うよとセノは首を横に振る。
苦虫を噛み潰したような顔をした軍師の代わりに、ルカはセノを見下ろした。
「失敗すれば我々は負ける。預けたぞ」
「うん、任せて」
「……わかりました、お任せいたします。くれぐれも……あなたご自身に危害が及ばぬよう、お気をつけて」
大丈夫、とセノは自信ありげに頷いた。
どんな作戦を取るのかはルカにも分からなかったが、彼らの事だ。
きっと……ばかばかしくても、効果的だろう。
***
「斥候からの知らせです、前方にデュナン軍!」
待ちわびた兵からの知らせに、テッドはやれやれと溜息を吐く。
「接触にはまだかかりそうだな」
「はっ! 次の伝令まで開戦はお待ちください!」
テッドが待っているのは別に開戦ではないので、そんな事はどうでもよろしい。
よっこらせ、と言いながら馬から降りて(ジジくさい言うな)遠路はるばる積んできた荷物を見やる。
実は今回、意図的な差分をつけている。その伏線が今生きる時……!
……いや、色々あってスルーしてたのが幸いしたというかなんというか。まあいい。
「テッド、そろそろだね」
「ああ。さっさとカタつけるぞ」
次の斥候からの連絡が届く頃には、デュナン軍も大きく動き出すだろう。
だが、普通にぶつかれば王国軍の勝ちは見えている。
前回はその差を埋めるために、シュウはレオンの思い込みを逆手に取った作戦を取った。
だが、今回はすでにレオンを簀巻きにして搬送済であり、セノによってシュウの森林破壊作戦も止められている。
その代案としてセノが提示した王国兵を減らす作戦がこの荷物なのだが……。
「セノもけっこうエグい作戦思いつくよな……」
「効果的って言おうよ」
フードの下の顔は苦笑を浮かべているのだろう。
謎の手下に扮したクロスが、テッドと共に荷物を馬から下ろす。
この荷物の目的地は、王国兵がつかの間の休息を取っている陣地だ。
「クロス、手筈通りに頼む」
「こういう仕事はいつも僕の役目だよね」
「お前以外に頼めないからな」
「勝手なこと言ってくれるなぁ」
拳同士を体の陰でこっそりぶつけ合って、二人はにやりと笑った。
そして開戦の合図が響く。
「間に合ったね」
空を震わせた一撃の雷に、一仕事を終えたクロスは空を見上げる。
十中八九、ルックの魔法だろう。
「なんだぁ? 奴ら、どこへいった?」
「セノ殿が右翼、ハウザー殿が左翼へ回ったと報告があります」
シードとクルガンが予想外の動きをしたデュナン軍に戸惑いの声をあげている。ご苦労さまだ。
「何を考えているのだろうか……」
「かまうことはない、セノのいる軍を叩き潰す! それで、終わりさ」
適当に呟いたテッドに威勢のいいシードの声がかぶさる。
そこまでは予想通りであり、予定通りであり……過去の通りである。
そしてテッドはここでデュナン軍の作戦解説とかをする気はないので、黙っておく。
放っておいても事態は動く。
ばたり
遠くから何か重いものが落ちる音が聞こえた。
さて、楽しい楽しい……介抱の時間だ。
「グフッ!」
「グハッ!!」
「ゴブハアッ!!」
隊列が徐々に崩れていく。
何かに崩されているのではなくて、純粋に内部崩壊している。
いや、スパイがいるわけではなく……テッド達はスパイみたいなものだがそうではなく。
兵士達が端からばたばたと倒れていく。
さながらドミノ倒しである。
「んなっ……!?」
「な、なんだこれは……どういうことだ!」
混乱しているシードとクルガンには申し訳ないが、兵士達はしばらく……おそらく丸一日近く寝込む事になるだろう。
「ぐ……グァ……」
「グボ……ガババ……」
一部ゾンビのようになって地面をのたうちまわっている兵士を馬の上から見下ろしながら、テッドは白々しく声をあげた。
仮面の下はもちろん満面の笑みである。
「これはこれは。どういうことでしょうか?」
「そ、そんなのこちらが聞きたい!」
「ほ、報告! デュナン軍が包囲するようにこちらへ接近しています!」
「くそっ! なんてことだ!」
「退け! 退け!」
慌ててシードとクルガンが撤退命令を出すが、ほとんどの王国兵は動く事もままならずに、その場にうずくまっている。
地面に伏してピクリとも動かない者もいる。
さながらすでに一戦が終わった戦場のようである。
――これが、セノの策である。
「……いやあ、効くなあ、ナナミスペシャルクッキー……」
「オリジナルレシピ……さすがだね。一個ですごい威力だ」
テッドとクロスはナナミスペシャルクッキーを「ジル皇妃の手作りの差し入れだ」と偽って王国兵に配ったのだ。
そして、げん担ぎとして開戦合図があったら食べるようにと促した。
さすがにシードやクルガンといった将軍クラスには怪しまれそうだったので配らなかったが、進軍を止めるには一般兵の一角を崩せれば十分だ。
「そしてほとんどの兵士が素直に口にしたという……ブライト皇家の将来って実は明るいんじゃないか」
「本家の威力はすごいなぁ……僕ももっと精進しないと」
「頼むからヤメテクレ」
そんな会話をこそこそしつつ、呻いている兵士たちの間をゆったりと歩く。
「くっ……どうなっている!」
「追撃はしてこないようですし。回復するまで待つしかありませんねぇ」
包囲間近になってからさっぱり動かないデュナン軍の動きを指摘して、テッドは衣装の下でこっそり両手を合わせた。
すまない兵士達。だが命の保障は(たぶん)ある。
恨むのならば無邪気にこんな作戦を提示してきた、デュナン軍の軍主を恨んでくれ。