脱出した後は全力ダッシュで……トトである。
リューベはどうしたというツッコミは聞かない。
もちろん目的地はピリカの家であり、ジョウイはまっすぐそこへと向かった――が、家はもぬけの殻だった。

「だ、誰もいないじゃないか!」
「安心しろ、問題ない」
テッドが言うのとほぼ同時に、ジョウイの首元に刃が突きつけられていた。
「!?」
ぴたりと動かないその切っ先を向けている人物が影の中に浮かび上がり、ジョウイもセノも事態を察したらしかった。

「いい子でお留守番してたか、ルカ」
「俺から盗んだものを返せ、さもなくばこいつの頭を落とす」
「別にそれは構わねぇけど」
「構え!」
ジョウイの非難の声を聞かないふりをして、テッドは懐から取り出した海中時計を無造作に放る。
ジョウイから剣を引き、それを空中で受け取ったルカは時計を検めじろりとテッドを睨みつけた。
「……壊してはいないだろうな」
「たぶんな☆」
「…………」
「そ、それよりピリカはどこだ!? まさか……」
「落ち着けジョウイ。ピリカ達なら今頃ミューズだ」
だろう、と確かめるように顔を向けたテッドにルカは頷き、手近にあった椅子に腰を下ろした。
「先日ミューズへ発った。俺は留守役だ」
「…………」
そんな出会って数日の人物に留守を預けて出かけるとかどれだけ警戒心がないのだろうこの一家は。


とりあえず、ジョウイ達も適当に腰を落ち着け、今後について考える事にする。
こうしてルカと面と向かって相対するのは、二周目においてセノとジョウイは初めてだ。
初顔合わせの時はばたばたしすぎて会話どころではなかった。お互い会話する気がなかったというのもあるが。

自分で入れたお茶で一息ついたところで、セノが正面に座るルカを見た。
「僕、ルカに聞きたいことがあったんだ」
「なんだ」
「どうしてルカは良い人なのに悪い人なの?」
「…………」
唐突に発せられたように見えるセノの言葉は、たぶん彼の中ではそれなりに考えられた言葉だろう。
だが、その一言を浴びせられたルカは固まっている。

無理もない。
テッドもいまだにセノの発言の真意を図りかねる事がある。
……何も考えていないわけではない、と思いたい。

そして落ちた沈黙の中、二人は見つめあっていた。
「……何が言いたい?」
ルカが聞き返すと、セノは丁寧に、もう一度同じ質問を繰り返した。
ルカが聞きたかったのはそういう意味ではないのだろうが、ここでテッドが下手に口を挟むとどんな惨事になるか見当もつかなかったので、セノの対人関係構築の上手さに任せることにした。
断じて丸投げとかしたわけではない。

「ルカさんにお留守番をお願いしたってことは、ピリカのご両親はルカを信頼したってことだと思う。テッドさんから聞いたけど、ピリカも懐いてるって。でも僕は、ルカがユニコーン少年隊を滅ぼしたり都市同盟に攻めてくるのを知ってる。だから、どっちなのかなって」
「…………」
「セノや、色々混ざってる混ざってる」
思わずテッドは突っ込んだ。
ユニコーン部隊のくだりはテッド達が防いだし、後者は起こるとしてもずっと後だ。

知らないはずの事までぺらっと喋ったセノに、ルカは笑うわけでも嘲るわけでもなく、眉間に皺を刻んだ。
ルカを包む空気が冷える。
「お前、どこまで知っている」
「ルカが都市同盟もハイランドも滅ぼそうとしているってことは知ってる」
セノは真顔である。ルカも真顔である。
もしここでルカが武器を手にしたら、レベル的に圧倒的に不利だ。

「僕は、ずっとルカと話がしたいと思っていた」
「そう思われるほど俺とお前は面識はないだろう……」
「ないよ。なかった。だから僕は話してみたかった。前は話せないまま終わってしまったから」
「話してどうする」
「知りたかったんです。どうして、ルカが都市同盟だけじゃなくて、自分の国であるハイランドまで壊してしまおうとしていたのか」
「…………」

珍しくセノが饒舌だ。
軍主や王としての責任があるときはてきぱきと話す子なのだが、普段はおしゃべりな方ではない。
今回は軍主としてでもましてや王としてでもない会話だろう。
「俺の考えを貴様に言う必要はない」
鋭くなったルカの視線はまっすぐセノに向けられていたが、彼はたいして動じてはいなさそうだった。

さあここからどうするのかとテッドは成り行きを見守る。
隣でジョウイが胃を押さえているが、彼は今自分のストレスと戦っているのだろう。

セノはことりと首を傾げて、ど真ん中ストレートを投げた。
「ルカは、「いい人」は弱いと思うの」
ど真ん中すぎだ。

ルカは「悪」だった。歴史上はそう言われている。
だがここまでのルカを見ていると、彼は常識と理性をそれなりに持ち合わせている。
その上で前回のルカは「悪」を貫いた理由は、セノ問いの答えになるのだろうか。

「「良い」とは何に関してだ。民へか、国へか?」
意外にもルカが正等な返しをする。
彼は一度瞬いてから、「なんだろうね」と答えた……いや、これは答えじゃない。
「それは、人によるんじゃないかな。僕は僕の大切な人にとって「良い」事をしたいと思ってる」
「俺は……」
ルカは数秒考えるように視線をずらしてから、低い声で言った。
「俺は、俺の望みへだ。だから良いも悪いもない。俺が悪人だろうが、貴様には関係ない」
「でも」

でも、とセノはその大きな目でまっすぐにルカを見て、言った。
それは同情でも戒めでもなく、まっすぐなセノの言葉で、教訓でもなくて、ただの「感想」のようなものだった。
「「悪い人」は、大変だよね。多くの人は「良い人」の望みは叶ってほしいと思うのに、「悪い人」の望みは叶っちゃいけないと思っているから」
「…………」
「僕の望みはきっと「悪いこと」だった。でも僕は「良い人」だったんだと思う。だから誰も僕を咎めなかったし、止めなかった」
望みとその人の善悪は関係ないんだ、とセノは小さく呟いた。
ルカは何かを咀嚼しているように視線を伏せる。

長い長い沈黙をおいて、ルカは今までと比べると遙かに小さい声で尋ねた。
「貴様の望みは何だった」
「僕は、大切な人と平和にすごすことだけが望みで。だからそのために邪魔なものは仲間でも、国でも、全部捨てた。後悔はしてる。けど、同じ状況になったら僕は何度でも同じ選択をする」
きっぱりと言い切ったセノの一言は、今までのセノを知る者にとっては重い。

セノが何のために国を、仲間を捨てたか。
そしてその未来に何が待っていて、セノがそのためにどれだけ苦しんだか。
――その上で、「何度でも同じ選択をする」と告げる言葉は、重い。
あれだけ苦しんで、それでも同じ選択をする事をいとわない天魁星はやはり強いな――と思って、テッドははたと気付いた。
ざっと血の気が引く。

「仲間も国も? たいそうな話だな」
「みんなは僕を信じてくれて、頼ってくれて。大好きだった。でも、僕の体は迷う前に動いてた」
「ふははははははははははははははははは!!!! 酷いものだな!!」
「うん、酷いね。許されないことだと思う」
「…………」
きっぱりと言い切ったセノは、だから、と言葉をつなげる。
本当に饒舌だ。
「だから、ルカはどっちかな、って」
「……俺は」
そこで言葉を切って、それ以上進まないと見切ったテッドは、がたりと席を立った。

「ようしルカは当分その答え考えておけ。まとまったらセノに答えておけよ。悪いが留守役は放棄して次へ行くぞ。時間がねぇ」
いきなり切り出したテッドを三人が怪訝な目で見つめる。
「急ぐ必要があるのかいテッド、せめてピリカに会って」
「まったくこれっぽちも無駄にする時間はないということに俺は今気付いた」

滝から落ちてまだ数日しか経っていない。
だがもう四人は十分すぎるほど時間を浪費してしまっているのだ。

「これは巻き戻しで、俺すら突っ込まれている」
「それが?」
「……あいつがいないわけがないだろう。セノが言及してないからって忘れるなジョウイ」
首を傾げたジョウイにテッドは厳しい現実を突き付けたが、ジョウイはいまいち分からなかったらしい。

なおも首を傾げているので、テッドは親切に解説をしてあげる事にした。きっとこのまま絶叫コースだ。
「セノ、紋章の気配はわかるよな」
「はい」
「ここに俺のとジョウイのと。このあたりに真の紋章の気配が他になかったか?」
よくわからないですけど、とセノは前置きをしてからテッドの予想通りの言葉を返してくれた。
危惧していたが現実のようだ。

「ソウルイーターの気配が、テッドさんのと、遠くにもう一つ」
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
察したジョウイが絶叫する。この可能性を考えていなかったほうが馬鹿だと思う。
「でもすごい勢いで遠くに行きました。なんででしょう」
「それは知ったことじゃないが、どうせそのうち再会する……よかったなぁジョウイ」
「よくない!」
涙目のジョウイの肩を叩いてから、テッドはわかっただろ、と締めた。

「アレが暴れだす前に話を進めておかないと、あいつのペースにひっぱりまわされて大変なことになるぞ」
「よくわかったすぐに出発しよう!」
「待て、説明しろ」
唯一事情を全く理解していないルカが不機嫌そうにぶった切ってきたが、ジョウイは彼の腕を掴んですでに家を出ようとしていた。
そんなに嫌か……嫌だろう。

「道すがら説明する! あの悪魔が来る前に逃げるぞ全力で!」
「おい、離せ!」
「僕の命と心の平穏がかかってるんだ!」
「…………」
必死の形相で訴えたジョウイに折れたのか呆れたのか、またも流される事にしたのか。
とりあえずルカは微妙な表情のまま家の外にひっぱられていく。
……そろそろ流される方が楽だと理解したのだろうか。人生長い物には巻かれた方が楽である。

「テッドさん」
「なんだセノ」
残された二人もぼちぼちと歩いて外に出て先に行っている二人の後を追いながら、のんびりと会話を交わす。
この二人がのんびりなのは、テッドはもう慣れてしまっているし(軍主命令コマンドのあるクロスよりはシグールの方がましだと思ってもいる)セノはシグールに引っ張りまわされて理不尽な目にあうという経験がないというか、あってもそうと認識していないからだ。

「シグールさんはなんで国外に行っちゃったんでしょう?」
合流してくれればよかったのに、と残念そうな顔のセノにテッドは笑った。
シグールが一直線に向かった先は考えなくてもすぐ分かる。
間違いなくここにいないもう一人のところに決まっている。
「そのうち来るさ、転移で」
「……あ、そっか」

かわいそうな風使いは、最序盤から彼の相手をするのだろう。
……再会したら労わってやろう、それなりに。