先行していた隊の方から馬の嘶きが聞こえる。一つや二つではない。
手綱を引き、ルカは馬を止めた。
「何事だ」
「そ、それが……泥道にはまったようでして」
「泥?」
ここ一週間、雨は降っていなかった。
なぜ泥道なんだ、と思うのとほぼ同時に反射的に体が反応し、馬から降りる。
「剣を抜け」
「ルカ様!?」
自身の剣も抜き放ち、鋭い眼光を暗闇の先へと向ける。
この近くに流れている川もない。
ならばこの泥道は何者かの罠だろう。
そう判断して、泥道に足を取られるであろう馬を捨て、剣を片手にルカは隊を下がらせ前に進む。
かなり後ろの方を進軍していたため、まだ戦闘までにはかなりの距離があるだろうが――
「ほいやぁあああ! どうだ見たか俺の底力!!」
「さすがだテッド! あとほんとに防御成長率がカスだ! もうとっくにセノが抜いたよ!」
「じゃかしい! だいたい何度も死んでるお前に言われたくねぇよ!」
「それは君がちゃんと盾になってくれないからだ!」
刃の音と共に聞こえる声は高い。
ユニコーン少年兵部隊は少年の寄せ集めだから、その中の数人だろう。
だがその割にはその声に緊張も恐怖もない。
戦闘経験などほとんどないはずの彼らが、刃を交えつつあんな暢気に会話をしていられるものだろうか。
疑問を抱きながらルカは徐々に戦闘が行われていると思しき場所へと向かっていく。
丸太や砂利で狭められた道。そしてぬかるんできた足元。間違いなくこれは罠だが――誰が、何のために?
狭い山道の終わりが見え、駐屯地へと続く広い場所を確認した時だった。
「出た、ルカだ!」
「上へ回れジョウイ!」
「……貴様らは……少年兵、か?」
ここにいるのがそもそも少年だけのはずだ。その思い込みで、ルカは最初の判断を誤った。
「おっちろぉおおお!!」
叫びと共にごろごろごろと転がってきたのは、丸太のような――いや、純粋に丸太だ!
暗闇の中でもわずかに見える輪郭と、そして圧倒的に響くその音!
なぜこんなところに丸太が? と考えている暇もなく、ルカは剣を翻す。
目の前に落ちてきた一本目は鮮やかに一刀両断にできたものの、二本目は厳しく――三本目ともなればさらに厳しい。
すでにルカの周囲にいた兵士達は、丸太に足を取られて伏している。
だがハイランドの兵たる者が情けない、とは冗談にも言えなかった。
道幅はギリギリまで狭められており、丸太を避ける事はできない。
馬は泥と仕掛けられた穴に足をとられて動きを封じられている。
このエグい足止め作戦を立て実行したのは誰なのか、間違っても一少年兵ではないだろう。
とりあえず性格は絶望的に悪そうだ。
「ルカ=ブライト、悪いけど一緒に来てもらう」
背後にいつの間にか出現した気配に、今更慌てて振り返る事はせずルカは小さく息を吸った。
「――俺が誰かを知っての狼藉か?」
「僕だってこんなこと本意じゃないんだ」
背後の気配はそれだけ言うと、ルカのマントを引っ掴むと強く引っ張る。
「大人しく来てもらうよ」
「…………」
背後にいるのは声からして少年だろう。やはりユニコーン隊の者か。
だとすればどうしてこんな事を、と思いながらもルカは剣を握る手を緩めずに代わりに抵抗もしない。
武器を取り上げないのならばここで一太刀浴びせ――
動かしかけた右手の手甲に、甲高い音を立てて矢が当たる。
浅い角度で当たったそれは金属に跳ね返されて、わずかな衝撃を与えただけだった。
「そうはいかねぇ」
「……貴様……」
ルカに矢を放った茶色い髪の少年はへらっと笑って、もう一本番える。
「ちゃきちゃき歩けよ皇子様。お前のためなんだから感謝しろや」
「…………」
「あ、ついでにこれはボッシュート。セノ、もっとけ!」
「はいっ」
チャッとあまりにあっけなく剣を奪われ、ルカが茫然としている間にこれまたどこからか出てきた少年が剣を受け取る。
これで終いだろうか、それともまだポコポコ出てくるのか。
「ジョウイ、どうだ!」
「ラウド隊長が出てくる! 走って!!」
無理矢理マントを引っ張られる。
抵抗しようかと思わなくもなかったが、それよりこのよく分からない少年三人の次の行動や目的が気になった。
言動からして、三人はルカが何者であるか知っている。
知っていての彼らの行動に、有体に言えば――興味が湧いた。
「ルカ」
「なんだ」
マントを引っ張る金髪の少年は、ルカを見上げて少し目を見開いてから、首を横に振る。
「久しぶりすぎて、僕は君をどう扱ってたのか忘れたよ」
「初対面だろうが」
電波だ、こいつはきっと電波だ。
他の二名も電波だったら、ここでついて行くのは自殺行為ではないだろうか、と今思った。
「まあいいや。とりあえず言うことに従ってくれない場合」
「……なんだ」
そろそろ隙を見て逃げようと思っていたルカがぶっきらぼうに聞き返すと、金髪は走りながら笑顔で言った。
「後頭部に一撃お見舞いして引っ張っていくっていう当初の案を採用するんでよろしく」
「…………」
様々な意味で危機感を募らせつつも、彼らの足は止まらず、東の森を抜け野営地を抜け――北へと向かう。
「追いついて来たよジョウイ!」
「もうちょっとしのいでくれセノ!」
上ってきた道からは金属音が聞こえる。
「セノ! ジョウイ!! 何を考えている、その方は――」
響いた声は少年のものではなく男のものだ。ユニコーン隊を率いている責任者だろう。
作戦を提示した時に連絡を取っていたはずの名前を思い出そうとして、ルカは眉を寄せる。
「おいジョウイ! まだか!」
「そこっ! そこの岩のところだ!」
先を走っていた弓使いが振り返って怒鳴ると、ルカを引っ張っている少年も怒鳴り返す。
「本当に正しいんだろうな!? これでお陀仏になったら呪ってやるぞ!」
「後は生命力だよ! あんたが当時の僕らに劣ってるわけあるものか!」
一目散に走った先にあったのは崖だった。
その下には深い谷と――川があるのだろう、わずかに水音が聞こえる。
……まさか。
「おい……飛び降りるつもりか」
この高さだ。助かる確率は万に一つくらいではないだろうか。
しかも今は特に川の水が多い時期でもないし、ここの川はそれほど深くもない。
「飛び降りるんじゃねぇ、飛び込むんだ」
「変わらんわ!」
怒鳴ったルカの背中が思いっきり押され、思わず数歩たたらを踏む。
「テッドさんっ、これ!」
ルカの剣を持っていた少年も三人に追いつき、剣を高く放る。
「おうよ! ……追いてっちゃだめかこれ」
「だめだよ、必要になるだろ」
剣を捕まえた弓使いは渋い顔をしてから、ロープを取り出す。
何をするのだと問う間もなく、するするとそれはルカの腰にまわされ、剣の装具の間を通り――弓使いの腰にも回された。
そこでようやく、結ばれていると悟る。
どうも思考が鈍い、イレギュラーな事態が立て続けに起こっているからだろうか。
大抵の物事には動じない精神力を持っていると自負していたはずが、このたった数分間で随分と振り回されている。
「おい。鎧、脱いだ方がいいぞ」
「なぜだ」
「今からちょっくら紐なしバンジーをするからだ。そのガタイでその鎧だったらさぞかしよく沈むだろ」
「飛び込み自殺だろうそれは」
谷を見下ろしても底が見えないほど遠い。いや、暗闇のせいなのだが……せいだと思いたい。
少なくとも「ちょっくら」で落ちる距離ではないはずだ、間違いなく。
「まあ大丈夫だ、前例があるからな!」
「何の前例だ!?」
「俺と結わえつけられた以上、お前に選択権はない。ダイブするかダイブして死ぬかだ」
「ダイブしないという選択権は」
「ない。俺が準備体操してる間に鎧を脱げ」
おいっちにー、と屈伸を始めた弓使いに言いたい事はたくさんあったが、ルカは苦い顔をして肩と前腕の鎧を外し、足の鎧も地面に落とす。
ルカのためにあつらえられた鎧は固く丈夫だが、そこは金属、やはり重い。
このまま水に入った場合――考えたくない顛末しかないだろう。
「おい、脱いだぞ」
胴部分の鎧だけは残して(縄があるのでそもそも脱げない。この弓使いは馬鹿なのだろうか)ルカが最後の鎧を地面に落とすと、弓使いは確かめるようにロープを引っ張ってから二人に背中を向けて立っている少年達に声をかけた。
「じゃあ先に行くぜ」
「幸運を祈るよ参謀☆」
振り返った電波はウインクをし、弓使いは苦々しげに吐き捨てた。
「……一瞬のハネムーンせいぜい楽しめ」
「本気で行く気か……?」
「なんだ皇子様、飛び込みは苦手か?」
「これは飛び込みではなく飛び降りだ!」
下に水が流れているとはいえど、この高さから飛び込んだら大差ないだろう。
男と心中する趣味はない。
「セノ、それじゃあ頑張ろうね!」
「うん。ジョウイ、なんで僕らにまでロープがいるの?」
背後で少年と電波が会話をしている。
「僕は運命にあらがってみたいからね!」
やはり電波は電波だった。
「行くぞルカ。用意はいいか?」
「…………」
「ちなみによくなかったら今すぐ後頭部を強打して強制的に」
「できた」
なんだ残念、と言いくさった弓使いが虚空に足を踏み出す。
強制的に引っ張られる前に、ルカも足を踏み出した。
***
ボツ理由:「いやいやルカ様こんな流されてくれないから。全力で抵抗してくるから」
というわけで簀巻きコースがオフ本での流れです。
ただノリはこっちのがいいので(ぇ)サイトではあえてのテッドとルカの珍道中コースで行きます。
全力でノリだけで押し通りますよー!