テッドに言われるままに動くのは癪だったが、ルカはセノのいるという道場へと向かっていた。
二百年後の未来からやってきたという彼らは、この世界においてルカを生かしたいのだとほざく。
その理由はセノに聞けと言われ、道場に入ったところで、少女にセノがドつき回され崖に衝突したところを目撃した。
……よく平気だな。
「ねえセノ、ジョウイは一緒じゃないけど本当に無事なの?」
「大丈夫だよ」
大丈夫じゃないのはセノの方じゃないのか。
やや引き気味に見ていると、少女の目がルカへと向けられた。
「後ろの人は誰? まさか軍の人?」
「違うよ。ね、お兄ちゃん」
しれっと嘘を吐いたセノに、少女が絶叫する。
ルカも目を剥いた。
「えーっ!? うそうそ、セノにお兄ちゃんなんかいないよ! お姉ちゃんだけだよ! ね、ね?」
「お兄ちゃんになってもらったの」
「え? え? お兄ちゃんに?」
「ルカっていうんだけどね、ナナミのお兄ちゃんにもなってくれると思うんだ」
「えーっ!?」
叫んだナナミはその丸い目をもう一度はっと見開いた。
「あれ……? ルカって誘拐された皇子の名前……えー!! うそうそ。セノが誘拐犯じゃないよね。だって反政府の人が犯人だって聞いたもん。ね、ね、ね、そうだよね」
反政府、の言葉にルカは眉を潜めた。
「おい、お前」
言いかけたルカの言葉はナナミには聞こえていなかった。
セノの腕を掴んで真剣な顔で告げる。
「逃げよう、セノ! 大丈夫、セノが何したって私だけは味方だからね!」
「おい――」
再度言おうとしたのに、瞬時に叩き落とされた。
「誘拐された人は黙ってて!」
「…………」
「ナナミ、大丈夫だよ。逃げるけど、そんなに急がなくても平気。ちゃんと荷物作って、一緒に逃げよう」
「うんっ!」
すぐに準備するね、とパタパタ足音を立ててナナミは家の中へと戻っていく。
崖にめり込んだ時についた土屑を払って、セノはこきこきと首と肩を鳴らした。
「それでルカ。どうしたの? 僕に何か用だった?」
「……なぜ嘘を吐いた」
「お兄ちゃんってこと? ナナミにルカを受け入れてもらうにはそれが一番わかりやすいかなと思って。これから一緒に行動することになるから」
ほわほわと言うセノは、ルカが今後も行動を共にする事を疑っていないようだった。
「……テッドから、お前達のことをだいたい聞いた」
「あ、うん」
「貴様らはすでに一度、これからはじまる戦争を経験している」
「うん」
「その結果、都市同盟は団結し、ハイランドは滅び、新しい王国が誕生した。そしてその王国は二百年続いている」
「そうだね」
では、とルカは静かに尋ねた。
「その歴史に不都合でもあるのか」
セノの率いた都市同盟の勝利で戦いは終わった。ハイランドは滅びた。
テッドは言及しなかったが、おそらくルカも戦死したか、処刑されたのだろう。
だがその結果にルカは文句はない。戦いとはそういうもので、敗者の扱いはそれでいい。
ならば勝者の彼らがなぜ――前と同じ事をしようとしないのか。
見下ろしているルカの視線と、セノの視線がかち合った。
その目に揺らいだ感情はどこまでも透き通っていて、悲しげだった。
「僕はあの戦いで、たくさんの人を失った。あの時はどうすればいいかわからなくて、いつも間違えてばかりだった。でも、今度は違うんだ。――多くの人を、助けたい。一人でもいい」
「ハッ、偽善者の言葉だな」
「戦いに負けるかもしれなくても――僕は、頑張ってみたいんだよ」
ルカ、とセノは呼びかける。
その大きな眼には強い意志が宿っているのに、子供のように透明だった。
「僕はあなたを、救いたい」
「ふっ……ふはははははははは! これは傑作だ、貴様ごときが、この俺を救うだと!?」
「前の時、後から聞いて、後悔した。何も知らないままに、あなたを殺してしまったことを。だから、今度は」
「俺は貴様に救われたいとは思わん」
セノが言いかけた言葉に被せるように、少しきつめの語調で言うと、彼の眉がまた寄せられた。
「……うん、これは僕の勝手だ」
「俺の生き方は俺が決める。勝手に――」
「でも、悲しむ人がいたんだ。あなたが死んで悲しむ人は、確かにいたんだよ」
「…………」
「それにね、ルカ」
いっそう声を沈ませて、セノは顔を伏せたまま言った。
「都市同盟とハイランドは一つの国になったけど、その後も百年間、ハイランドへの差別は続いたんだ。ハイランドの人達は、百年間も苦しまなきゃいけなかった……」
僕のせいで。
そう言ってセノは俯く。
「……お前は、俺に聞いたな。俺は悪かと」
「うん」
「俺は俺の信念のために動く。そのためになら、手段も選ばん」
「……うん」
「俺が善か悪かなど、俺にはどうでもいいことだ。そんなものはお前達が勝手に判断しろ。だが」
そこで言葉を切って、ルカは先程のナナミの言葉を回想する。
ナナミは「反政府の人間がルカを誘拐した」言っていた。
あの場から突如姿を消したルカが誘拐されたと王国が考える事に不自然さはないが、普通に考えれば皇子誘拐の犯人は都市同盟の者と考えるのが自然ではないのか。
誰が反政府の人間が犯人だと断定しうるような情報を流したのか。
そんな者がいるとすれば一人しかいない。
もしここでルカの誘拐を都市同盟の仕業だと糾弾すれば戦争が起きる。
ハイランド軍に裏切り者がいたとすれば、それもまた通じる先は都市同盟となり、戦争が起きる。
故に反政府組織の人間だと断定した。
それがあの男の――アガレス=ブライトのやり方だ。
あの時憎んだ。あの男を、それに従った国を、母を穢した都市同盟を。
そして誓った。それらすべてにいつか、この無念を思い知らせてやると。
目的のためならば、手段は選ばない。
たとえそれがどんなに卑劣であろうと、禍々しいものであろうと――この世界の常識から逸脱していようとも。
「確認する。貴様は都市同盟を束ね、ハイランドを討ち、新しい国を作るのだな」
「デュナン王国は、都市同盟とハイランド、両方の国の人が幸せになれるように作った国だ。都市同盟の排他的なところを除いて、ハイランドの軍略に傾きすぎるところを排して、少しでも皆が幸せに進めるようにする国だよ」
「それは平等か? 歩み方の違う国々を名目上まとめただけではないのか」
「……上層部は一掃するよ。同盟じゃなくて、一つの国として、ちゃんと歩けるようにする。……できるよ。皆で作る、皆の国だ」
セノはルカを見上げた。その目は、ルカのこれから出す「答え」を知っているかのようにまっすぐだった。
「ハイランドは滅びる。都市同盟も解体して、どちらも良識のある指導者だけを残す」
「ならば――」
軍に戻って、再び機を窺うのも悪くはない。
好機は逃したが戦を起こす事など簡単だ。
ルカがただ「都市同盟に拉致された」と、それだけ言えば事足りる。
もちろん皇王は否定するだろうが、ルカの言葉を聞く者も多いだろう。
だが、ここでルカがこのまま同盟軍へと寝返りハイランドに反旗を翻したらどうなるのか。
テッドが語ったように――ハイランド奪還の大義を掲げられる。
ハイランド奪還、そう銘打って。真正面から、あの男にあの国に。
国を取り返し、腐敗した都市同盟を切り崩し、新しい国を作るという名目で――両方を滅ぼす事ができる。
それも、悪くはない。
「――貴様らの姑息な策に、乗ってやろう」
「ほんと?」
「ハイランドを打ち壊し、都市同盟を切り崩す。ふははははははははははははははは!! 愉快ではないか!!」
皇子とはいえ、まだ軍の一部しか任されていないルカと、こんな辺境の出身のセノが、本当にこのデュナン湖の周辺地域の勢力図をひっくり返す事ができるのならば。
「あの男に、この国に、ひと泡吹かせてやれるのであれば、悪くない!」
反政府組織に拉致されたという事にしたいのならば、ルカ自身が政府に反旗を翻そう。
そしていつかあの王宮で、あの王座に追い込んで、あの男に国の最期を突きつけてやろう。
それほど大切にしているこの国を、目の前で打ち壊してやろう。
「ハイランドも都市同盟も、この俺が消し去ってやる」
「うん。頑張ろうね」
差し出された手をルカは無言で握る。
「じゃあ、行こう。ナナミが待ってる」
そう言ってセノは手を離して家の中に入っていく。
ルカも後を追おうとして――とすっと肩に衝撃を感じた。
「ムムムーッ!!」
「……乗るな」
肩の上にしがみついていたのは、赤いマントをつけたムササビだった。
手で払って振り落とそうとするも、しがみついて離れない。
「ムムッ! ムムムーッ、ムッ!」
「……わかった、好きにしろ」
肩の上で何やら煩く抗議していたが、面倒臭くなって、ルカはムササビをそのまま放置すると家の中へと戻った。
***
一応これでオフ本と合流できる……はず。
深く考えちゃだめですよ。