レナンカンプの宿は静まり返っていた。
たいして多くもない客もとっくに寝ている時刻である。
その宿屋の酒場の端で、彼女は一人グラスを傾けていた。
「待たせたね」
声が聞こえて、振り返る。
漆黒の髪、吸い込まれそうな目。
真っ赤な服は彼の黒を良く映えさせている。
「遅かったわね。「英雄」さん?」
「家人がなかなか寝てくれなくて。待たせてごめんね」
にこりと微笑んだ少年に、女はからりとグラスを回す。
「地酒だけど強めよ、一杯どう?」
「僕は未成年なんだけどな」
「本当はとっくに成人しているのでしょう?」
「心はね」
向かい合って座って、少年と女は視線を交わした。
二人とも屈強な戦士ではないし、少年は整った顔立ちに貴族のような優雅な雰囲気、女は線が細くて華奢で赤い髪を背中に流している。
「さて、本題に入るよオデッサ=シルバーバーグ」
名前を呼ばれて、女は微笑む。
「いいわよシグール=マクドール。その大胆な一手は気に入ったわ」
「それじゃあ僕らの出会いに乾杯」
「なんかおかしいけど、乾杯」
チンと二人のグラスが触れ合って、中の液体が揺れる。
そこそこ強い度数の酒をぐいっと煽ったオデッサは、シグールがすでに空けているのに気付いて目を細めた。
「強いのね」
「本題いくよ?」
「酒飲み交わすな未成年!!」
二人の間に割って入ってきたのはこれまた少年だった。
彼を見てシグールが猫のように目を細める。
「テッド、遅かったね?」
「なんだあの鞍の乗りにくさは!?」
「やっぱり。でもそれにしては早かったね」
のほほんとした顔で返したシグールに、テッドはやっぱりかと言いながら舌打ちした。
「鞍ぁ売り払ったからな」
「……裸馬に乗って追いかけてきたの?」
「その気になれば上にも立てますがなにか」
もはや曲芸の域ではないだろうか、と思いながらオデッサは新しいグラスに酒を注ぐ。
「仲良しなのね」
「テッドは僕の親友だから」
「っつーかこの人は……もしかして」
「うん、オデッサ」
ガクリとテッドが項垂れたが、オデッサにその理由は分からなかったので笑うだけにしておく。
「なんで今接触するんだ……?」
「僕は好きに生きるんだ」
「あーはいソウデスカ」
テッドは勝手に椅子を引っ張ってくるとどかっと腰を下ろす。
「やってらんねー、俺ぁ飲むからな!」
「はいはい、好きにしてね。それでねオデッサ」
一人晩酌を始めたテッドを放置して、シグールはオデッサに向き直った。
「僕は帝国へ反旗を翻したんだよ、本当にね」
「そんな歴史は聞いたことがないけれどね」
「そりゃこれから起きるんだから。それでね、僕はこのチャンスをものにしたいんだ」
強い光を宿したシグールは、拳を握る。
「できるだけ、昔の僕ができなかったことをやってみたいんだよ」
しっかりとした声で言ったシグールに微笑んで、オデッサは片肘をついて頬を支える。
反対側の手で赤い髪を弄りながら聞いた。
「シグール、私が聞きたいのは一つだけよ?」
手紙の内容の真偽を問う視線を送ると、彼はしっかりと頷いた。
「全面協力をしてくれるのであれば、ムササビに風船をつけられて飛んでいくフリックをお見せするよ」
あの青いマントをはためかせて空を飛んでいくフリックを想像して、オデッサの頬が喜色に染まる。
「それに落とし穴にはまるフリックとか、綱から落ちるフリックとか」
「乗ったわ!!」
「乗るのかよ!?」
テッドのツッコミなんぞ聞こえていない現リーダーと次期リーダーは、がしりと熱い握手をかわした。
「あなたは話がわかる人だと思っていたよオデッサ!」
「あなたも予想以上にわかってるわ! フリックの真の魅力を知っているなんて!」
フリックの真にいいところはあの顔でも優しさでもない。
それならオデッサの恋人の方が万倍もいい男だった。
「フリックはあの青くて不幸でヘタレなところが堪らないのよ」
シグールに酒を注ぎながら言うと、わかってるねぇと頷かれる。
「しかもオデッサの前だとええカッコしいだろうから、余計にね」
「ゾクゾクするわ……」
うっとりと呟いたオデッサは、必死に取り繕ったり弁解したりキれてみたり青くなったり黄昏たりするフリックを想って、目を細める。
「あ、それと彼の青さを最大級に象徴するイベントがあってね!」
「聞かせて!!」
三分程でシグールが身振り手振り交えて語った「フリック青いぜ事件」は、ますますオデッサの目を輝かせ、胸を高鳴らせたのだった。
そんなフリックが見れるのならば、手を組むのも反乱のリーダーを任せるのも、死んだフリもなんでもしよう。
「任せてシグール。全面的にあなたの計画に乗ったわ」
「ありがとうオデッサ。フリック愛好者同士、理解しあえると思ってた」
「……フリックに幸あれ」
テッドが虚空へグラスを傾けていたけれど、オデッサは気にせずグラスを煽った。
愛しい彼の可愛い姿を見たいと思うのは、乙女としては当然でしょう?
***
我が家のオデッサはこういう人です。
フリックに幸あれ。