風物詩シリーズ



〜夏〜


<風鈴>

チリン、と鈴に近い、それより透明な音が窓際で鳴る。
少しでも風通りをよくしようと開け放たれた窓脇にくくりつけられているのは、硝子の頭をした小さなクラゲ。
風が吹く度に頭の中の錘を内側に当てて、軽やかな音を奏でている。
去年はなかった夏の風物詩に、手扇を止めてシグールが窓際へと指先を向けた。

「どしたのこれ」
「ああ、その風鈴? この間風鈴市に行って、一目ぼれして買っちゃった」
この暑さでも平然とした顔で繕い物をしているクロスはさすが群島育ちというところか。
一時期群島にいたはずのテッドがあっちの床でのたれ死んでるけども、あれでよく群島時代平気だったな……。

クロスの手伝いで糸巻きをしていたセノが、ぱっと表情を明るくする。
「風鈴市ですか? いいなぁ、僕も行きたい」
「今年の市はもう終わっちゃったみたいだから、来年だね」
「もう? まだ夏は始まったばかりなのに」
「夏が始まる直前に、半月くらいしか立たないよね。あの市」
ジョウイの問いかけにシグールが襟をぱたぱたと動かしながら返す。

風鈴自体は今の時期でもそのへんの道具屋や市で買えるが、風鈴だけの市が立つのはその時だけだ。
誰が最初に考えたのか、あちらこちらから沢山の風鈴が集まって、そこだけ異世界のような空気に包まれる。
中にはその市でしか売られない物もあるというから、注目度は高い。
シグールも数度訪れたことがあるが、初夏の日差しの下だというのに熱さを一瞬忘れてしまった。

「風鈴って地味に見えるのに、あれだけあると壮観だよねー」
「柄も形も色々あってすごいよね。あんなに種類があるとは思わなかった」
「クロスさんが買ってきたのは随分とシンプルですよね」
「うん、見た瞬間にこれだって思ってさ」
窓際で揺れる風鈴は、模様らしい模様もなくて、丸いフォルムの縁が波の形に細工されているだけだ。
窓際に吊るされたクラゲの頭のようなそれは、縁端に向けて透明から始まり水色から深い青色へとグラデーションが施されていた。
それはさながら、波打ち際から沖へと続く海のようで。

「あー……海行きたい」
「いいね。最近随分と暑いし。研究室にこもりっきりのルックを引きずり出すのにいい口実になるし」
シグールの言葉にクロスがふわりと笑う。
海、という単語に反応したか、テッドがずるりと顔を上げた。
「海……」
「テッド、ゾンビみたい」
「俺は暑いのは嫌いなんだ、よ……」
「ルックの研究室行ってきたら? あそこ日陰だから涼しいよ」
「実験台にされるだろう!?」

ぎゃいぎゃいと騒ぐ彼らを尻目に、風船が澄ました音をまたひとつ。





<かき氷>


耳に涼しい音を立てながら、大きかった氷の塊が細氷へと変わっていく。
透明な器に降り注ぐ真夏の雪の上にとろりと煮詰めた蜜がかけられる。
最初はただの水だったそれは、氷塊という姿を経て、極上の夏の風物詩へと変わった。

「かーきーごーおーりー!!」
手渡された氷菓に歓声を上げ、ががっと数口一気に放り込む。
直後に襲う激痛に首の後ろをとんとんと叩いて、口の中の温度で溶けかけたものを飲み込んだ。
まだ冷たさを十分に残した甘露は食道を伝って腹の中も冷やしてくれる。

「っあー! 痛い! 冷たい! これやると夏って感じがするよね!!」
「Mか」
「Sです」
わざわざ持ち出してきていた大きなスプーンに盛った二口目をジョウイに口につっこんで、悶絶するジョウイにけらけらと笑っている。
テンション高いなーと思いはすれど、誰もそれを止める人はいない。

ざくざくと次の器に氷を削り落として、次の人に渡す。
「あ。僕はみぞれで」
「シロップくらいてめぇでかけろ!」
普段作り手に回るクロスだが、今回はテッドが作り手だ。
……ただ氷を削るだけならクロスじゃなくてもできるんだしニートもたまには働こうよと言ったのはどこのどいつか。

「はー……冷たくておいしいですよねぇ」
幸せそうにセノが緑色になった氷を食べながら言う。
「ただ氷に蜜をかけただけなのに、すごいですよね」。
確かに、ただ氷を含むだけではなくて、いちいち刻んで甘くした先人は偉大だ。
ついでに作ってる本人は手は冷えるが暑くて仕方がない拷問だ。

「僕はイチゴだな」
「ジャム作る時に、これ用に細かく刻んだもの作るもんね」
無表情で、けれど明らかにいつもより機嫌が三割増しなルックの手の内はすでに半分以上が消えている。

「テッド、おかわり」
「俺まだ食ってねぇ!」
「テッド用に、梅酒ベースのシロップ作っておいたんだけど」
「誠心誠意削らせていただきます」
「え、いいなそれ僕も食べたいー。テッド、僕も二杯目!」
「あ。僕も僕も」
「お前ら俺の分がなくなるだろうが!」

「夏だねぇ」

蝉の大合唱をBGMに、のほほんとクロスが零した。





<花火>

近くにいると、耳よりもまず腹に響く。
光よりわずかに遅れて響く重低音に、全員の視線が夜空へと向いた。
星よりも月よりも、更に煌びやかな光をまとった粒が、円環を象って夜空に咲いて落ちる。
火の花と名づけた人は、まさしく見たままをつけたらしい。

「毎年のことながら、見事だよね」
「でっしょー。今年は出来がよくってね」
満足気に笑うシグール達がいるのは、会場の少し後方に建てられた物見櫓の頂上だ。
普段は見張り台として使われている場所は、今日は特等の観覧席へと様変わりしている。
もう一方の櫓は通常と同じ用途に使われているが、おそらく見張りの視線も空へと向いているだろう。
とはいえこの日の見張りの競争率はそれほど高くないという。共に見る者がいる場合は、やはりそちらを優先するらしい。


グレッグミンスターから少し離れた、中規模の町。
その側を流れる河川を利用して、ここ数年、マクドール家主導による花火大会が行われている。
「シグールが娯楽にこんな風に出資するとは思わなかったなー」
「ハルモニアから火薬が買えるようになったからね。色々と手続きとかは面倒だけど、以前はそれすらもできなかったし」
関係緩和様様だよ、とシグールは扇片手に笑う。
「ササライも去年見に来て感動してたしね」
「ヒクサクが悔しがってたから、そのうちハルモニアでもやるみたいだよ」
とはいえ、火薬の扱いには長けていても花火を作るのはまた違う。
そのあたりは技術交換だね、とすでに算段をつけているらしいシグールがからりと笑った。

「それでも、高いだろ。火薬」
「まぁね。けど、これ見てるとやめられないよね」
そう言ってシグールは視線を下へと落とす。

物見櫓の周辺も、そうでないところも多くの人達が見物に詰め掛けて、夜空に咲く花を楽しんでいる。
時折、合いの手が飛ぶのが聞こえる。
花火の光で照らされる顔は、どれもいい笑顔ばかりで。
「楽しそうだよね」
「シグール……」
ふふ、と満足気に笑うシグールに、ジョウイはひっそり感動した。
守銭奴だとばかり思っていたけれど、こういうことに金を惜しむこともないのかと。

「ジョウイ。こいつきっちり元は取るタイプだから」
肩を叩いたテッドの声に、感動は見事に打ち砕かれた。

「縁日屋台の設置料と、河川近くに作ってある観覧席への入場料。あと、国内外からくる人達の宿泊料とか飲食代に交通費で、国内の流通がかなり回るから、最終的に火薬の代金はほぼ元取れてるね」
会計部門を手伝っているクロスからの冷静な報告にジョウイは肩を落とす。

「あんたはやっぱりそういうやつだよ!」
「あっはっは」
扇子片手にシグールは高笑いをするけれど。

「会場の揉め事回避のための護衛料とか、花火職人のオフシーズンの給料とか、河川敷に物見台を建てるための整備費とか、全部ひっくるめると赤字でしょ」
「ま、自分が見たいってのも大きいんだろうけどなぁ」
「綺麗ですもんね」

花火終わっちゃうよー、とじゃれている二人を見ながら苦笑した。





<蚊帳>

「ええい乗るな破れるだろう!」
蚊がうっとうしい!という要望によって、蚊帳を導入したはいいものの、実際に張ってみるとかなり面倒だと発覚した。
元々吊り下げるための枠が必要なので、その寝る場所を囲む形で柱を立てて、その四方にかけた木にフックをつけて……といった具合に。
六人が雑魚寝するスペース分ともなると蚊帳自体の大きさもかなりのものだ。

そして、蚊よりも邪魔者がここに。

「だってハンモックみたいなんだもんー」
「暇なら手伝え」
「背が届かないし?」
「……日頃は低いって言うとキレるくせに」
都合にいい時だけ逆手に取るからタチが悪い。
しかも、シグールのように邪魔をしないだけで、同じ理由でルックもセノも手伝いから逃げている。理不尽だ。

「見てると快適そうだったけど、実際作ると違うねー……」
「元々は東の方の文化らしいからな。そっちの家屋の構造じゃないとかなりめんどいらしいぜ」
部屋の四隅にくくりつけて、隙間がないようにしっかりと張る。
そうでないとどこからともなくあのプチ吸血鬼はやってきて襲撃をしていくのだ。
――などというと、本物の吸血鬼に雷を落とされそうだが。

ジョウイとクロスとテッドの身長高い三人組でせっせと張り終えて、ようやく一息吐いた。
「これであの羽音に悩まされることもない……」
「ほんと、鬱陶しいよね」
「……吸血されるならまだシエラ様の方がいい」
「普段あんなに嫌がってるのに珍しい」
「嫌だけど背に腹は変えられねぇ」
「そこまで嫌?」
「刺されたところかゆくなるのが嫌だ」
「ああ……」
たしかにあれは嫌だ。
シエラは恐怖が勝るが、飲まれたあと少々貧血になるだけで、数日も引きずらない。
……貧血を少々、と言ってしまうあたりかなり慣らされているがそこの自覚はないらしい。





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〜秋〜



<台風>

はいどうぞ、と渡されたのは大工道具一式だ。
そして木の板が数枚。

「このあたりまで来るのって滅多にないんだけど」
困ったよねぇ、と笑うクロスの手にも金槌が握られている。

ルックにいきなり「バイトだよ」と連れ去られた塔の中で、いきなり暴風対策を命じられた。
ここ数日風が強く、明日にでも大雨に変わるであろうと予測されている。
嵐の予感に対策を講じようとして、一人では人手が足りないと判断しての借り出しらしい。
……ルック、手伝えよ。

「セノとジョウイはどうした」
「あの二人は自分の家の準備があるでしょ」
「それなら俺のとこだって」
「やるの?」
「…………」
マクドール家の屋敷には、最初から嵐等が来ても大丈夫なように雨戸が用意されている。
それにそれらを準備するのは使用人の役目であって、テッドが手伝う必要はない。

頑張ってね、と天魁星スマイルを向けられて、テッドは最初の一枚へと向かった。



「そろそろ引越したいんだけどねぇ」
……どうしてこう、塔の窓は多いのか。
一フロアごとの数はそう多くもないのだが、いかんせん階数が多い。

ようやく終わって、報酬だというピーチパイ(実物支給)を食べながら、休息を取る。
レックナートもルックも、この塔にはそれなりに愛着があるらしく。
また、本やらなにやらが大量にあるからこれを全て運び出すのもめんど……難しいというのが実情らしい。
魔術師二人を抱えていることや、自分達の抱える事情を鑑みても、街中よりもこういった人の目につかない所の方が望ましくはある。

「塔の修復する間だけでも、一時的とかな」
「セカンドハウスを持つ余裕なんてありません」
きぱっと言ってクロスはテッドの更に二切れ目を乗せてくれる。

「ここはここで弊害あるんだけどね。こういう嵐の時にそのままにしておくと木の枝とか飛んでくるし。窓に当たって割れたりしたら、そこから水は入るは風は入るはでロクなことにならない」
「クロスが来る前はどうしてたんだ」
「風の結界作ってたんだって」
「…………」
なんつー魔力の無駄遣い。

呆れたテッドの視線にクロスも同感なのか、苦笑しながらバスケットの中にパイを四分の一詰めてくれた。
テッド一人だけでクロスの菓子を食べたなどとシグールに知れたら、家の中に嵐が吹き荒れる。

「嵐が過ぎたら外すのまた手伝ってね」
「うぇ」
「今度は何が食べたい?」
再びのバイト及び報酬(現物支給)のリクエストを告げられて、テッドは顔を顰めながら、数秒の沈黙の後、マグロとぼそり呟いた。




<銀杏>

落ち葉拾いを終えて部屋に戻ってくると、シグールが小さな椀を抱えて何か食べていた。
小さなそれの中身は見えないのだけれど、口につまみ入れる一瞬から黄色い何かだとはわかる。

「シグール一人で何食べてんだ」
「あーげない」
返答になってない。
一宿一飯のかわりと塔の周りの落ち葉を掃除してきた相棒にそれはないんじゃなかろうか。

「あ。テッドお疲れ」
「マジで疲れた……。つーか意味あんのか。あれ」
顔を出したクロスにげんなりとした表情を向ける。
ひととおり掃き終えて戻ってくる時には、最初に掃いたあたりにはすでに落ち葉がひらひらと地面に乗っていた。
そもそもここを訪れる客人なんて身内以外にいないだろう。というのはさすがに言わないでおく。

テッドの言いたい事はわかっているようで、クロスも苦笑しながらテッドに小さな椀を渡してきた。
ついでにシグールから椀を受け取って、違う柄のを渡していく。

「気分だよ気分。あと、落ち葉は堆肥とかになるからね」
「で、これは?」
「おやつ。言ったやつは集めておいてくれた?」
「……一応裏口に置いといた」
「ありがと」
にっこりとお茶もテッドの前に置いてから、自分の分の湯呑みを出してからクロスも腰を落ち着けた。

落ち葉拾いよりも銀杏拾いの方がきつかった。
出て行く時に身につけていけと言われた軍手と上着がなかったら、シグールにこの部屋から蹴りだされただろう。
鼻の奥にまだ臭いが残っている気がする。

「あんなにどうすんだよ」
「どこかの誰かがお気にめしたらしくってね?」
それだよそれ、と言われてテッドは椀の中を見る。
つやっとした黄色の実が、ほくほくと湯気を立てて食べてと言っているようだ。
ひとつ食べれば口の中でほくっと崩れて、まぶされた塩加減もちょうどいい。

「銀杏って手間かかるし、煎るタイミングが難しいんだからね?」
「だってこの時期しか食べられないじゃないか。そのかわり、テッドを存分に使ってくれていいから」
「……おい。まさかこれって」
「もしかしてテッド、銀杏食べたことなかった?」
数百年も生きてて珍しい、と言われてテッドは沈黙した。

椀の中のつやつやと楕円球をした銀杏をじっと見つめる。
いや、これに似た実を食べたことはあるけれど。
同じ場所に長くいなかったから、銀杏の実を取って加工して……までの行程を知らなかったのだ。

「おいしいでしょ」
「……あれとこれが同じものとは思いたくねぇ」
「あったかいうちがいいんだよー」
言ってぽいぽいと口に入れるシグールはご機嫌だ。

「ルックは銀杏嫌いなんだよね。だから存分に食べてくれていいんだけど」
そこで一度言葉を切って、クロスはテッドへ笑顔を向けた。

「この間取ったのが丁度いい感じになってきてるから、テッド。果肉取りよろしく」
「は」
「これって種の中身なんだよ。周りの果肉はいらないから腐らせて取り除くの」
「…………」
「水に浸しておいたのがそろそろ取りやすくなってるはずだから」
「…………」
「軍手、三重にしてね」
「…………」

無言のまま口に押し込んだ銀杏は、あの臭いの元とは思えない程度に美味しかった。





<○○の秋>

陽が落ちるのが早くなったといっても、まだまだ十分に明るい時間はある。
窓を開けて涼しげな風を取り入れる部屋の中で、クロスは久しぶりの読書にいそしんでいた。

「久しぶりに読むと目が疲れるなぁ」
「いつもあれだけ縫い物とか編み物してるのに」
「本を読むのとは使う神経が違うんだよー」
クロスに背を預けるようにして同じように本を読んでいたルックに言われて肩を竦める。

「ルック、同じ姿勢で疲れない?」
「特に」
答えるルックの膝にある本の厚さはクロスのものよりだいぶ分厚い。
けれど、同じ頃に読み始めたはずなのに、残るページはクロスよりも少ないのだから、慣れはすごいと思う。

「読書の秋より僕は料理の秋だなぁ」
「食欲の秋じゃないんだ」
「サツマイモに栗に南瓜に、美味しいものたくさん作れるじゃない」
指折り数えてうきうきと話すクロスの脳内は、本よりすでにレシピに埋め尽くされていそうだ。

「今頃セノとシグールの頭は食欲の秋なんだろうなぁ……」
「食べたら運動の秋かな?」
「あいつら年中そうじゃない」

そろそろ連絡がきそう、と予想をしたからなのか、マクドールの家紋が捺された手紙が届くまであと半日。





<栗>

木の影から顔を半分だけ出して、向こうを伺う。
視界に映る範囲に人影はない。
目標物までの距離を目測ではかり、地面に点々としているそれへとジョウイは足を踏み出した。

「ジョウイみーっけ!」
「ぎゃああああああああああ!!!!」

軽快な声と同時に猛スピードで飛んできたイガにジョウイは反射的に横によける。
ザリ、ととてもじゃないが直撃したくない音を立てて木の幹を削って地面に落ちたイガは、当然のように中身はない。
中身はすでにシグールが持っている袋の中だろう。

「ジョウイだめだよ全然取れてないじゃん」
「こんだけ妨害受けて取れるか!」
「普通に取ってるだけじゃつまんないじゃない」
そりゃ、たしかにゲーム間隔の方が楽しいよねとセノが言い出して、誰が一番取れるか競争することにはなった。
そうなれば多少の妨害工作は予想できる。できるけれど。

「くそう……」
ずりずりとシグールから逃れるように姿勢を低くし、目当てだった栗を拾う。
これで少しは挽回を、とひっくり返して目が点になった。
少し割れているイガから見える中身は。落ち葉。

「ひっかかったー」
「シグール!!!!」
腹を抱えて笑うシグールに眉尻を吊り上げる。
こうなったらお前から奪ってやる、と向かってったジョウイが返り討ちに合ったのはいうまでもない。