<我が辞書に不可能の文字は無い>



冷えた月の下、前を歩く人の手を取って、なにやら話し掛ける人影。
頭にスカーフを巻いているのか、布の影が翻る。
足を止めた相手を見上げて笑ったような声が聞こえた。

闇に潜む男たちは、武器を持つ手に力を込める。
こんな暗い森の中、こんな遅い時間に通るとは、命知らずもはなはだしい。

カモだと認識された事を知らぬ二人連れは、片方が棍を持ち片方に至っては丸腰で、襲ってくださいといわんばかりである。
ご期待に添わねばなと暗い瞳で笑って、頭の指示に従って男たちは静かに包囲を完成させ、そして一斉に飛び出した。


「金目の物を出しやがれ!」


上空の雲が切れたのか、月光が下界を照らし出す。
囲まれているのは黒髪の少年に茶髪の青年。

男たちはその時初めて気付いたのだが、少年の手にしている棍の両端に施されているのは精緻な銀細工であった。
よく見れば着ている服も上質で、顔立ちも貴族らしく整っている。

カモがネギをしょっている状態で、脅す声も心なしか弾む。
「無駄に歯向かうなよ! 痛い目を見たくなければなあ!」
「だそうだが、どーすんだ?」
やけに間延びした声を青年が出すと、棍を持った方が答える。
「僕の辞書に不可能の文字はない」
「……さいですか」
「ってわけでとっととかかってきなよ、よってたからないと攻撃もできない弱虫さん?」
わざわざ挑発するような事をほざく連れに呆れた視線を青年は向けるが、すぐに乱戦が始まる。

少年は向かってきた自分の倍の体重がありそうな男の太刀を横に流して、左手の敵の腹に蹴りを叩き込む。
右ななめ後ろの相手へ無造作に棍を突き出し、足を払って転倒させ、先ほど太刀を捌いた男のまだ無防備な腹へ棍をなぎ、転倒させた男にも等しく一撃を与え沈める。
その間僅か数秒、あまりの強さにたたらを踏む間もなく、次の五秒でさらに三人倒される。

「あっちを先に倒せ!」
あまりに強い少年に恐れをなした頭の指示で、傍観に呈していた青年の方へ一気に攻撃が向かう。
武器がないという事は、魔法を使うか戦えないのかのどちらかだ。
そう読んで複数方向から一斉に飛びかかる。

……もちろん隠し武器の可能性もあるが、これだけの人数がこれだけ一気にかかってこれば、よける事もままならない。

青年の茶の目が他より僅かに先んじて向かってくる二つ刃を捕らえる。
次の瞬間、彼の姿は忽然と消え去り、標的を見失った男達が狼狽するより早く、一人は無音で倒れ、もう一人は悲鳴を上げる。
その手からは剣が失われ、はるか後方の木の幹に突き刺さっていた。

何が何やらわからぬままに、今度は三人の男が近づいている。
しかし一撃を与えようと大きく振りかぶった男は腹に突きを入れられ苦悶の声を発す。
青年はその男が倒れる前に横へ蹴り倒し視界を開いてから、後ろの男に横蹴りを叩き入れるっ!
身を一気にかがめ三人目の死角から伸び上がると、一回転しつつその足で剣を蹴り飛ばすっ!

蹴り飛ばされた剣は先ほどの木の隣へと突き刺さり。ようやく男たちは状況を理解した。


彼らはけして「カモ」などではなかったのだという事を。

「ひっ……引けっ!」
「そうはいくか」

棍を手にしている少年が言い放ち、一足飛んで頭の喉元へと武器を突きつける。
「灯りも持たず森の中に深夜にのこのこ入ってくるのを見て、怪しもうよ。貴族っぽく見える人の護衛が武器無しとかいう時点でさ」
「た、たすけ……」
「この首一つで十万ポッチだよ? 逃がすわけないでしょ」


殴られ昏倒した頭を見下ろして、少年は満足げに笑う。
「ほーら、全員捕縛完了」
「恐れ入ったよ」
苦笑して青年は累々と横たわる賊どもを見やった。
今晩中に役所の人間が一人残らずしょっ引いてくれるだろう。

 


***
戦闘シーンはもっとあったんですが削りましたよ。(笑
















<夫婦喧嘩は犬も喰わない>


ピリピリとした空気の中、テッドは居心地悪そうに肩をすくめる。
横でのほほんとお茶をすすっているように見えるシグールも、のんびりとクッキーの型抜きをしているように見えるグレミオも、緊迫した空気を纏っていた。
肌を刺すほどぴりぴりとした空気の発生源は。


「こんにちはー」
「あのーさっき通ってきた林が丸ごとな……」
入ってきた途端、ぴたりと口をつぐんで回れ右をしたジョウイの服の裾を、片手にカップを持ったままシグールは引っつかむ。
「何するんだよっ」
小声で、とても小さな声で言ったジョウイに視線も向けず、ただ一言、逃がすかと呟く。
「?? どーしたんですか?」
「……見てわかんねーのか」
首をかしげたセノにテッドは呆れた視線を向ける。

毎度思うのだがよくこれで世間を渡って――よくこれで軍主まで……。

「ルック、クロスさんとけんかしたの?」
「……」
痛いほどの空気を発生させている張本人其の一にセノは何の躊躇もなく話しかけた。
「けんかは仕方ないけど、仲直りしないとダメだよ?」
「……」
「んもーっ、ルックっ!」
それでも沈黙を続けるルックの両頬を両手で捉えて、自分の方に無理矢理向けると、セノは言った。
「なんでそんなに怒ってるのさー」

「……すげ、ぇ」
ルックの切り裂きが飛んでこないことが奇跡のようだ。
冷や汗を流すテッドに、横で青ざめるジョウイが呟く。
「けど、あちらもなんか爆発寸前のような……」

無言でシグールが立ち上がる。
が、ジョウイが引きつった笑みを浮かべて制した。
「逃がすか」
「……」
諦めたような顔をしてシグールは腰をおろすと、足を組んで溜息を吐いた。
「植林の費用は請求するからね」
「植林……」

じゃあやっぱりあの、行きがけに見た林だったのに何故か軒並み倒れていたアレは。
あの荒野は。

「ルックに請求してね、切り裂きかましたのはルックだし」
背を向けて編物をしていたクロスがつっけどんに言う。
「クロスが当然払うよ、そもそもの原因はあっちだし」
分厚い本を開いているルックが言う。
とっくにクッキーの型抜きを終えてしまったグレミオだったが、立ち去ろうとすると手をテッドにやんわり押さえられた。
「テッド君、離して下さらないとクッキーを焼きにいけないじゃないですか」
「グレミオさん、戻ってきたらリビングが冷凍庫になってますけどいいですか」
「……坊ちゃん」
「何」
「余熱してあるオーブンが燃えてしまうんですけど」
グレミオの訴えを聞いて、シグールは視線をクロスからまたルックへと移し、大げさに溜息を吐いてみせる。

それでさらにぴきっと空気に亀裂が入ったのだが、ご本人は気にして――と言うかあえて無視して続けた。
「大人気ない……」
「あんたが言うか」
ルックに即座に切り返されたが、ジョウイが素朴な疑問を発した。
「で、原因は何なんだ?」

「クロスが」
「ルックが」

「「…………」」


「シグールさん、こういうの何でしたっけー?」
「何が?」

間延びした声を発したセノにシグールが問い返す。

「あ、そうそう。夫婦喧嘩は犬も喰わない?」

「「…………」」



ああやっぱりこの子は大物だなあと。
その場にいた全員が納得した。





***
夫婦と言う肩書きが相応しいのは4ルクだと思います。
喧嘩の原因は多分すッごくくだらない。