<娘さんを僕に下さい>



嫌な予感がした。
ので、彼は足を執務室から遠ざけ、反対方向へと向かう。
どうされましたかと部下に声をかけられたが、正直言ってこの予感はまず外れない。

前回? 前回はきたさ古馴染みが。

笑顔とともに。

酒せびりに。

外へ出ると、青空が広がっていて。国は灰色で静謐で、静かに脈動している。
目を細めて、満足そうな息を吐いて、さて今日はどうしようかと思いをはせた。
「ヒクサク様……どちらへ? 本日の午後からは会議ですが何かございましたか?」
忘れてた。
内心舌打ちをしてヒクサクは踵を返す。向かう先は執務室。
最近疲れているのだろうか、すっぽり忘れていた、会議までに片づけなければいけない仕事もあったのに。

そう、自分はこの上なく疲れているのだ。
明日あたり一日自主休暇にしようか、外へ出て、自然に触れて、風に触れてみよう……


……風……


部屋の扉を開いたヒクサクの髪を、風が揺らす。
窓は開けていなかったはずなのにと思いつつ部屋を見回すと。


いる。

なんかいる。

椅子に座ってこっち見て笑顔で片手あげてる何かがいる。


「……大声出したら、刻むから」
そして背後より響くのは。
「ル……ルック……」
そして目の前に座るのは。
「初めましてヒクサクさん、僕はクロスと申します」

上げている左手を下ろした。
膝の上に乗ってるその甲には。
浮かび上がる特徴的な形のあざ。

「な、なんの……」
「今日はお願いがありまして」

ルックならもう追ってないぞ。
そう言おうとしたヒクサクの口が固まる。
っつーかどっから入ってきやがったこいつら、ルックもここに来たことはないはずだどうやって……

……ああ、レックナートか。


お願いとは何だろうか。
仮にもハルモニア最高権力者の執務室へ押しかけてくるほどのことだ、よっぽどの何かだろう。
冷静になれ自分……とは言えども断れそうな雰囲気にはない。
断ったら最後、首と胴が生き別れなどころかたぶん欠片しか残らない。
こんな事なら紋章をササライと逆にすればよかった……。

なんだ、と短く返したヒクサクに、にっこり笑顔でクロスはのたまった。
「息子さんを僕に下さいv」

「…………」
「…………」
「……ルック」
「僕に聞くな」
「ルック」
「そんな目で見るな」

同情とか哀れみとかそういう類に分類されそうな視線を向けられ、ルックは目をそらす。
だからいやだって言ったのにレックナート様のばかやろう。

「……別に」
「じゃあお義父様v って呼んでいいですか?」

「「勘弁してくれ(よ)」」

同時にぴったり息のあったツッコミを返され、クロスはにっこり微笑むとルックの手を取る。
「それじゃあ用件はそれだけなんで、ありがとうございましたお義父様v」
「だからそう呼ぶなと!」
「なんでー? いいじゃない、ほらルックも幸せになりますお父様、って言いなさい」
「誰が!」


ぱしゅっ。


「……二度と来るな」
机に項垂れて小さく呟いたヒクサクは、しばらく回復しなかった。



***
古今東西決まり文句第一弾。
さすがに娘はやめました、さすがにね。
















<ここで会ったが百年目>



もうこれで三回目だ。
庭に生っていた果物を盗まれて、心底怒っていた彼は、今日こそはと思いながら棒を片手に庭に潜んでいた。
犯人はわかっている、近くに住んでいる悪ガキの頭の黒髪の少年だ。
今日こそは現行犯でしょっぴいてやる。

木の枝の一部が庭の外へ道へと伸びているため、そこの枝に生った果物を取って行くガキが絶えない。
今日も――にゅっと伸ばされた手がすばやく赤い実をもぎ取ると、大きく枝をたわませる。

急いで植え込みから飛び出し垣根を越えて道路へ降り立つ。
左右を見回しても姿が無く、見当つけた方向へと走る。


入り込んだ道路の向こう、茶色の髪の少年と、並んで立つもう一つの影。
赤い服はあのガキがよく着る服だから、間違いない。

「やい果物泥棒! ここで会ったが百年目、覚悟しやがれ悪ガキが!」

棒を構えて後ろからがなると、二人はほぼ同時に振り向いた。
右側は柔らかそうな茶髪の髪に金環をはめている。
もう一人は、緑のバンダナで頭をつつんで、黒い髪。

「そんな趣味の悪い格好しやがって! 逃げおおせるとでも思ったか! お前が俺の庭のを取った瞬間ちゃんとこの目で見たからな!」

とっさに背を向けて走り出すかと思っていたが、少年二人は足を止めてしばらくこちらを覗ってから、あまつさえ近づいてきた。
「えっと……人違いだと思うんですけど」
「何の瞬間を見たって?」
おずおずと片方が顔色を伺うように言えば、もう片方が真顔で言う。
「……あ?」

まじまじと見れば、確かに黒髪の同じ背丈の少年だが、顔は例のがきのものではない。

「……ああ、人違いか。悪かったな」
気まずくなって視線を逸らし言った男の握っている棒をぐいっと掴み引き寄せて、黒髪の少年は笑顔で言う。
「趣味悪い格好で悪かったね?」
「……いや、それは」
「悪かったね?」
「いや、だから言葉のあや……」
グイッと一層顔を近づけて、隣に佇む茶髪の少年に聞こえないほど落とした声で脅してきた。
「聞こえないなあ? 誠意がないねえ」

ぐばきっ。

少年の握っていた棒が、握りつぶされる。

「…………」
一言も発することなく、気絶した男を見下ろして、いこうかと少年は笑顔を連れに向けた。
「い、いいんですか……?」
「いいよいいよ、テッド待たせてるし早くいこ」

そう言いながらポケットから赤い実を取り出して、かぶりつく。
「シグールさん……それ、さっき通った大きな家の庭に生えてた木に生ってたのと同じですよね」
「うん、そうだよ、食べるかい?」
「あ、ありがとうございますー」
美味しい、と数口食べて言った少年に、よかったねーと返して二人は道を歩いていった。





***
ヌレギヌと見せかけて違います。
人の家の物を取るのは泥棒です。


 

 

おまけ>


「って事があったんですよー」
「……へえ……なあ、シグール君よ」
「僕の国のものは僕のもの」
「……お前の国なのかここは」
「ん〜と、たぶん?」
横で聞いていた金髪の青年は、何も言うまい、心底そう思った。