ことり、とシグールの横にコップがおかれる。
うっすらと汗をかいているコップに手を伸ばす。視線は手元に固定したままだ。
ずず、と氷の浮いているお茶を飲んでから、また机の上にコップを戻す。
「…………」
「…………」
「……ねえ」
ぼそっと呟いたルックには視線をちらりとも向けずにシグールは手元の書類へ視線を向けている。
時折ぺらりぺらりとめくられるページの音だけが響いていた。
「ねえってば」
「黙ってろ」
ピシャリと言われてルックは鼻にしわを寄せた。
こっちは彼の使用人でもなんでもない、そんなことを言われる筋合いはないというものだ。
「もう日付が」
「うるさい」
「……あのね、一日くらい待てるだろ?」
膝の上にも積まれた資料を指して尋ねると、無理、と簡潔な答えが返ってくる。
額に手を当ててはーあとルックは大げさに溜息を吐いた。
今日は八月十九日だ。
でももうすぐ、二十日になってしまう。
シグールの誕生日。
ジョウイもセノもなんとか折り合いをつけて、午後からは合流してくれている。
クロスの料理も万端だし、テッドも腕まくりをして手伝っていた。
それなのに当の本人は――仕事、だ。
「皆都合をつけてくれて待ってるんだけど」
「ごめん、でも無理」
「あのね……! 年に一度のあんたの誕生日だからみんな無理して……こっち見なよ!」
それでも視線を手元に落としていたシグールに舌打ちして、ルックは彼の胸倉をつかむと強く引っ張ろうとする。
しかしそんなささやかな攻撃は彼の手の平で防がれた。
「邪魔するな」
「だからねっ……!」
ルックがここにいるのも、終わったらすぐに会場に連れて行けるようにするためだ。
皆が待ってくれている。もうほぼ一日。なのに彼は動こうとしない。
「仕事なんて明日にしなよね! どこまで仕事馬鹿なのさ!!」
「だから、ごめんって」
「謝るなら皆に謝れっ!」
「終わったら行くから、先に始めてて」
「あんたの誕生日なんだよっ!」
叫んだルックの声にシグールはそれ以上反応せず、ただ無言で書類をめくっただけだった。
「ばっかじゃないの! 勝手にしなよ!」
そう叫んでも何も言わなかったので、ルックはその場から掻き消えた。
魔法の風が去った後、夏の暑さと虫の声しか部屋には残っていない。
「…………」
氷が浮かんだお茶を飲み干して、シグールは呟いた。
「ごめんね」
。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○
「……ってわけでおいて来た」
もう知らない、ご要望通り勝手に始めてようよ。
言い放ったルックにテッドがつかつかと歩み寄る。
「何さ、文句あるなら自分で迎えに――」
「お前は馬鹿か?」
ぴしゃりと真顔のテッドに言われ、ルックは頬に朱を上らせた。
「僕は丸一日待ってたんだよ!? 皆も、そうなのに、なのに――」
「シグールが理由もなくんなことするか。戻って待ってろ」
「……っ、嫌だよ! 仕事だったらジョウイやセノだって」
「ルック、ありがとう」
にこりと微笑んでクロスは言うと、ワイングラスを差し出す。
けれど中は空だ。
「僕らを気遣ってくれたんだよね」
「そうじゃな……」
「でも、このグラスはシグールが来るまで空っぽでいいんだ。だから一緒に待ってよう、ね?」
「だって、仕事なんていつでもできるのに。いつもは仕事なんて適当にほっぽり出してるくせに」
唇をかんだルックに、セノがしょうがないよ、と笑う。
「きっと――シグールさんが今日仕事をしなかったら、たくさんの人が困るんだよ」
「まあ腐っても北大陸の交易の監視役とあの一帯の領主だからね。ある意味僕らより責任は重いよ」
俯いたルックを下からのぞきこんで、クロスは彼の頭を撫でた。
「ね、ルック。シグールが仕事終わったらすぐにここに連れてきてね」
「……わかった」
「僕らは待ってるから。ちゃんとずっと、待ってるからね」
その言葉に顔をあげて、念を押すようにルックは繰り返した。
「ちゃんと……待っててよ。セノもジョウイも、みんなだよ」
「大丈夫だよルック。僕らは明日もお休みにしてるから」
「さすがに明日までには終わるだろうしね。ちゃんと待ってるよ」
頷いてルックが姿を消すと、しょがねーなぁとテッドは肩をすくめ、クロスはくすくすと笑う。
「ルックなりの気遣いだったんだよ、テッド」
「んなこと知ってらぁ。皆で集まるのを一番楽しみにしてたのはシグールだからな」
日ごろバラバラでそれぞれそれなりに忙しい六人が集うのは、こういうイベント時のことが多くて。
シグールは六人の誰よりも皆でワイワイやるのが大好きだから。
「シグールが来たら手荒く歓迎してやらねぇとな」
「手荒くなんですか?」
「僕らを待たせたんだから当たり前だよね」
「シャンパンでもぶっかけちゃおっか☆」
クスクス笑い悪だくみをしながら、四人は待ち人が来るのを待つことにした。
***
二人きりなのは前半だけでした。
相変わらず1/5で微妙なのを引いてきますね。
(誰と二人きりになるかはくじ引きです)