やばいやばいやばいやばい。
こんなに全力で走ったのはいつ以来だろう。
昔は毎日朝から晩まで走り回って鍛錬していたけれど、もう数十年もデスクワーク中心の生活を送っていたせいで、すっかり体はなまっている。
けれど止まるわけにはいかないと、何かに急き立てられるようにジョウイはひたすら用意された逃げ道を駆けていた。

この先に光があるなどとは思っていない。
いないが止まったらそこで終了である。
ほんの数分、数秒自分の寿命を延ばすだけでしかない行為だが、悪あがきが時に光明を見出すこともある。


「……はっ、はっ……」
「どうしたの? 鬼ごっこはもう終わり?」
涼やかな声が背後から聞こえて、ジョウイは息を呑んだ。
思わず足場を踏み外しかけて、両手で掴んでなんとかこらえる。

「つまんないよジョウイ、そんな簡単に諦めちゃうんだ?」
「……別に、諦めたつもりはないよ」
背中を伝う汗が冷たく感じるのは、全力疾走をしたからではない。
冷や汗もいい加減かきなれたと思うのはいささか悲しいが、それもまた事実。

ジョウイはゆっくりと両手を離すと、じりじりと歩を進めて、笑顔で立っているクロスから距離を取った。
時折下から吹き上げてくる風でバランスを崩しそうになりながら、ジョウイはマストの上を先端に向けて進む。
これが一番端までいったら今度こそ終わりではあるのだが、中央部分で剣を構えて笑っているクロスへと丸腰で突っ込む勇気はない。
ついでに紋章を使う勇気もない。使ったら向こうも同じ手段を取ってくる。
……袋の鼠とはまさにこの事。

足元を見れば、大型帆船の甲板とメインマストの柱との距離はずいぶんとあって、落ちたらさすがに死ぬんじゃないかなぁと嫌な方向へと思考が引っ張られる。
……と、足元に気を取られていたところで、目の前を閃光が過ぎた。
「っ!?」
はらりと長く垂れていた前髪が風に舞う。

「だめだよー、足元見ちゃ」
「な……な……!?」
剣先が届く距離にクロスがいた。
さっきまで中央部分にいたのに。
一瞬目を放した隙に、この距離を一気に詰めたのかとジョウイが目を丸くしていると、クロスは双剣を両手に持ったまま、マストの上でくるりと一回転してみせた。

「あのさジョウイ、忘れてないとは思うけど、僕群島育ちだよ? 騎士団出身だったんだよ? マストの上での戦闘訓練を積んでないと思う?」
「……デスヨネー」
「さぁジョウイ。ここから甲板に急降下↓と、マストの先から海への華麗なるダイビング☆と、僕の剣の錆になるのとどれがいい?」
「本当に申し訳ありませんでした」

柱の上で土下座ってできるもんなんだと後にジョウイは思った。
人間、極限に追い込まれるとできなかった事もできるようになるらしい。