<水煌>

 

 
外に出ようか、と言ったのは、珍しくヒクサクからだった。
ヒクサクの部屋からは裏の森へと出る事もできたが、大抵はテラスか室内で過ごす事が多く、裏の森へと行く場合は、レックナートが転移で連れ出す事がほとんどだった。

ハルモニアでは瞬く間に過ぎてしまう夏はすでに終わりかけていて、それでも太陽が出ていればそれなりに暑い。
「やはり、暑いな」
「暑いのであれば薄着になればいいでしょうに」
呆れたように言われてしまい、苦笑する。
室内は気温がある程度管理されているし、仕事に集中しているから気にならないのだ。
ふとした時に暑いと思うが、再び仕事を始めてしまえば忘れてしまうので、ついこのまま過ごしてしまう。
おそらくそういうところがササライに「もう少し身辺に気を配ってください」と言われる原因なのだろうが。
「普段外に出ないからね。我慢できてしまうんだよ」
「それでも、ハルモニアは随分と涼しいですよ」
「トランはもっと暑いのかい」
「そうですね。おかげで日が沈むまでは、塔の外に出るのも億劫で」
「……君の方こそ薄着になればいいのでは?」
「その日の天候でいちいち服を考えるのも面倒でしょう」
同意を求められるように言われてしまい、苦笑いとともに頷いた。
この分ではクロスやルックも苦労していそうだ。

「今日も随分と暑くて。クロスやルック達は湖で水浴びをするそうですよ」
「……水浴び、ね」
ふむ、と頷いてヒクサクは当てのない散歩に目的地を定めた。





「……で、水浴びですか」
「たまにはいいだろう」
「ご自分の年を考えたらどうですか」
「それは彼らにも言えるのではないか?」
外見はともかくとして、実際は数百歳な事に変わりはないだろうに。

小さな清水に流れる川まで辿り着くと、腰下まである上着を脱いで近くの木にかける。
靴を脱いでズボンを捲ると、ヒクサクは水に足を浸した。
ひんやりとした清水が肌を包む。
「気持ちいいですか?」
「そうだな」
ぱしゃん、と軽く足を踏み出せば、水飛沫が足の少し上の部分にまでかかる。
素足で水に入るなど、リーヤがまだ小さい時に遊びに来た以来ではないだろうか。

「レックナートもどうだい?」
「……そうですね、暑いですし」
少し考えたあと首肯したレックナートに、ヒクサクは瞠目してから笑う。
重そうなローブを受け取って同じように枝にかけると、ブーツを脱いだレックナートの手を取って水の中に降ろしてやる。
「冷たいですね」
「涼しくなるだろう?」
「……そうですね」
同意された瞬間、体が後ろに傾いていた。

盛大な水飛沫があがる。
川底に座り込む形になって、ヒクサクはぱしぱしと瞬きをした。
立っても膝までしかない深さだったからいいものを、スボンに水が染みてきていて少々不快だ。
「…………」
溜息を吐いて、自分を今しがた川に突き落とした人物をヒクサクは見上げた。
……至極楽しそうに、レックナートは笑っていた。
「涼しいでしょう?」
「……そう、だな」
あまりに楽しそうな笑顔に、文句を言う気にもならず、ただ苦笑するしかなかった。

差し伸ばされた手を掴んで、そのまま引き寄せる。
ぱしゃ、と水飛沫がもう一度上がった。
「……何をするんですか」
「涼しいので、同じ目にあってもらおうかと」
やられっぱなしでは割りに合わない。
くつくつと笑うヒクサクに、まったく、とレックナートは意趣返しとばかりに手で水をすくってヒクサクにかけた。
シャツに染みるが、どうせズボンはぐちゃぐちゃなわけだし、帰ってササライに怒られるのは目に見えているので今更だ。

しばらく水底に座り込んだまま二人でのんびりとして、体が冷え切る前にと岸に上がった。
足だけを川に入れたまま並んで座る。
「若いですねぇ、私達も」
「まったくだ。ササライに見られたら確実に怒られるだろうな」
「私も帰ったらクロスとルックにお小言でしょうねえ」
水浴びをするなら濡れてもいいような恰好をしてください、とか。
濡れた服を着たままでいるだなんて風邪ひいたらどうするんですか、とか。
ひとしきりのお小言が予想されて、二人して忍び笑う。

くすくすと笑いながら、レックナートはヒクサクの肩口に頭を預けた。
なんだかんだでヒクサクの上半身も濡れているので、比較的無事なレックナートの髪まで湿り気を帯びる。
「濡れるぞ?」
「今更ですよね?」
「ああ、下の方は濡れてしまったか」
「まとめておけばよかったですかね」
「濡らしたのは私だしな」
戯れに、自分の肩に零れた黒髪を梳くって口付けると、笑い声に艶やかさが増した。

「もうそろそろ戻らないとまずいでしょうか」
「ササライが探していそうだ」
「書き置きしてこなかったんですか?」
「まずかったかな」
最近つい忘れがちなんだとおどけて言えば、くすくすと笑い声が返ってくる。

「服が乾くくらいまではこうしていようか」
「そうですねぇ……濡れたまま帰って怒られるのも嫌ですし」
泥遊びをした後の子供のような事を言い合って、また笑った。








***
盛大に修正。
かつて読み返して吐血をするようなものでしたが、修正しても目を背けたくなりました。




2009.12.01