<正式雇用>
「一年間ありがとうロイ。頑張っていい役者になってね」
契約期間を終えたロイにアルファードは微笑んで右手を差し出す。
一年間の雇用契約を終えて、ロイはこれから役者を目指す第一歩を踏み出すのだ。
差し出された手に
ロイは躊躇いはしたが、最後だからと思ったのか、アルファードの右手をしっかりと掴む。
少し照れながら、ロイもまた小さく笑って。二人は別れの握手を交わした。
「――っていうのを思い描いてたんだけどなぁ」
「寝言は寝て言え」
「寝ていいの?」
「いいわけねぇだろ」
口より手を動かせ、と視線も向けられずに言われて、アルファードは気のない返事を口にした。
少しだけ離された二つの机の間を埋めるように、書類やら資料やらが置かれている部屋はアルファードの仕事部屋だ。
ここにロイの机が運び込まれてもうすぐ三年が経とうとしている。
つまるところ、借り入れ女王騎士も三年目。
申し立てがなければ自動更新されていく契約は、当面の間打ち切られる予定はない。
もちろんロイの方から申し立てる選択肢もないわけではないのだが、こちらが全力で手放さないと名言している以上、無理に断った後を考えてかスムーズな更新が続けられているのだった。
なんだかんだで責任感の強い彼のことだから、現状を放置しておけないと思ってくれているのかもしれない。
「ロイー」
「無駄話なら付きあわねぇぞ。誰の仕事やってると思ってんだ」
「ボクの」
「わかってんならまず本人が働け」
ぴたりとロイの手が止まり、じろりと睨みあげられる。
手伝ってもらっている手前文句も言えず、アルファードは渋々目の前の仕事に戻った。
影武者って文字の癖まで真似できるんですねぇ、と言ったのはミアキスだったか。
別にそこに血の滲むような努力があったとかそういうわけではなく、元々文字の書けなかったロイにアルファードが文字を教えたから自然と似たというのが正しい。
癖を矯正するよりも、最初からその癖で覚えた方が楽という典型的な一例だ。
もちろん意識して似せなければまったく同じにはならないが、意識さえすればこうしてアルファードのかわりにロイがサインを入れても国政が滞りなく進む程度には似ている。
影武者という点でも補佐という点でも一女王騎士という点でも、ロイは非常に優秀だ。
優秀だからこそ、臨時女王騎士として三年も契約を延長しているのだけれど。
滑りかけたペンがまた止まる。
カリカリカリと動くペンの音はひとつだけだ。もちろん自分のものではなく。
どうして今日に限ってこんなにネガティブに考えるのかなぁとアルファードは自問自答する。
もうすぐ契約の更新時期がやってくるからか。
今のところロイから何か言われているわけでもないし、
現状では契約延長四年目の突入は難くない。
「おいアルフ」
「……ごめんねー」
「謝るくらいなら手を動かせっての」
「いや、このまま契約四年目突入しそうだから」
「…………」
ロイの手が止まる。
ぺたりと机に頬をくっつけて、アルファードはロイを窺い見た。
はぁ、とロイが大仰に溜息を吐く。
「女王騎士が一年二年で増えるわけねーだろ」
呆れた風に言われてアルファードはぐうの音も出なかった。
「まぁ、来年にはトーマが見習いでくるっつーし、他にもちらほら候補生が出てきてるみてーだから、楽にはなるだろうけど」
「うん……」
後進は順調に育っている。
だからあと一年頑張ってもらえば、思い描いていた未来は四年ほど遅くなったけれどきっと実現できるだろう。
ロイの夢を、ずっと止めてしまっているという意識はあって。
戦争が終わっても影武者なんてさせてしまう事への申し訳なさもあって。
ようやく全部から開放してあげられる日がくるかもしれない。それを喜ぶべきなのに。
ロイに五年目はないかもしれないというのを想像して悲しくなるのはなんでだろうと
そこまで考えて、はたとアルファードは気付いた。
ああそうか、寂しかったんだ。
女王騎士が育って契約延長の必要がなくなったらきっと、ロイはお役御免だなとか行って役者になるために出て行ってしまうだろうから。
そしたら気軽に会ったりとかできなくなるのは、寂しい。
「何言ってんだ?」
「……僕、口に出てた?」
「思いっきり」
「……うわぁ」
恥ずかしい、とアルフは机に突っ伏した。
自分らしくない。あれだ、疲れてるんだ。連日書類に埋もれて思考回路がおかしくなってるんだ。
気にしないで忘れて、と呻くアルファードの耳に、ロイの声が届く。
「つーか、契約とか何の話だ?」
「へ?」
視線をあげると、ロイが頬杖をついてアルファードを見ていた。
「俺、二年目から正式採用のはずだけど」
「……え?」
ぱちくり、とアルファードは目を瞬かせる。
知らない。
そんなの知らない。
だって最初の時に臨時女王騎士で一年って!
いてもたってもいられなくて、アルファードは席を立って資料のつまった本棚を漁り出した。
後ろから飛ぶロイの声も気にならない。
目当てのファイルは比較的あっさりと見つかって、
城で働く者達の労働契約の書類の中に、それは確かにあった。
ロイの女王騎士としての雇用契約書。
二年前。確かにロイは正式に女王騎士として雇用されていた。
サイン欄にはロイ自身のものと、アルファードのもの、リムスレーアのものがきちんとある。
だが。
「僕、書いた覚えない……」
まじまじと自分のサインを見つめてアルファードはぼそりと呟く。
二年前だからなんて事はない。書いたらいくらなんでも覚えている。
「……まさか」
呟いて振り向けば、ロイは何枚目か分からない書類に署名していた。
ロイは今何をしていますか。
アルファードの名前をアルファードの署名をして書いています。
そこから導き出された答えに、自然とアルファードの声は震えた。
それが嬉しさからなのか怒りからなのか分からない。
「……ロイ、まさか」
「女王陛下も気付かないってんだから、俺の腕ってすげぇよな」
手を止めて言ったロイの顔を見て、アルファードは乾いた笑いを零しながらとりあえず手にしていたファイルをロイめがけてぶん投げてやった。