<Intermezzo>
何度目かの攻撃をかわされて、ミアキスは最後の仕掛けに手を伸ばす。
空中で回し蹴りをお見舞いしつつ、服の裾に仕掛けてあったひも付きナイフを回転させる。
ぴっと虚空を切り裂いたそれは、たがえることなく狙い通りにミアキスの蹴りを避けたドルフの方へと向かい。
だが一瞬早く、身を沈めていたドルフの裏拳がミアキスへと向かっていた。
それを見切って彼女は上半身をそらせ避けようとする。
しかしミアキスは忘れていた。
彼女自身が放ったナイフの存在を。
しかも運の悪い事に、刃は落としてあるものの、このままだと急所に刺さる位置であった。
寸前に気付き、なんとか急所をはずす。
背中に走る激痛を覚悟して、そのあとの体勢の整え方を模索し。
ドンッ
鈍い音がして、ミアキスは背中から床に倒れこむ。
走るはずだった痛みは、なかった。
「……え?」
呟いて思わず跳ね起きる。
痛みはない、外傷は、どこにも。
「!」
組み合っていたはずの相手の姿もなくて、少し視線を動かせばそこに彼はいた。
「慣れないものは使わないほうがいいよ」
そう言ってドルフは自分の腕に刺さったナイフを引き抜く。
ぴっと抜かれたその刃にわずかな血がついていたが、傷口からは何も零れていなかった。
「組み立ては悪くはなかったと思うけどね」
それだけ言うと背を向けた彼の肩を思い切り引っつかみ、ミアキスは全力で自分の方に引っ張る。
さすがにその力には抗えず、ドルフは足を止めた。
「どぉして避けなかったのよ!」
「ミアキス殿に刺されば無事ではすまないからね」
「どっちだってそれは同じよぉ!」
きっとドルフを睨んだミアキスは、その顔に怒りを色濃く浮かべて叫ぶ。
「私は、女王騎士なのよ! 自分のミスぐらい自分で負えるわよ!」
かばったのに、と思っているドルフの腕の部分の服をミアキスは一気に手にしたナイフで切り開く。
そこに露出したのは、割れている肌と――肌だけ、だった。
「……う、そ」
呆然と呟いたミアキスから傷口を隠して、ドルフは首を振る。
「けっこうだ。手当ては自分でやるよ」
「どうして……血が……」
「聞いているとは思うけど、僕は薬の副作用で半分死んでいる身体だから。案外便利なものだけどね」
血の流れない身体。
痛みもなく、よって恐怖もなく。
戦う事にしか能がない自分には、とても便利な身体だ。
失ってかなり長い時間が経つそれらは、逆にどんなものか忘れているから。
もう、取り戻したいとも思わなくて。
「でも、痛い、でしょう?」
大きな紫暗の目でミアキスは問う。
「だから、僕は」
「痛くないはずなんか、ないじゃない」
呟いて彼女の手が傷口に触れる。
「――痛みというものの、感覚がないからわからないな」
体温のない肌。
血の流れの分からぬ、身体。
「っ……なんでよぉ!」
顔を歪ませたミアキスはドルフの肩を思い切り突き飛ばして、その場で肩を震わせる。
いきなり突き飛ばされて、さすがにその場に倒れこんだドルフは、唖然として彼女を見上げた。
「どぉしてよぉ! なんでリオンちゃんと同じこと言うのよぉ!!」
左手に持っていたナイフを、思い切り床に叩きつけた。
「なんで、なんでそんなこと平気で言えるのよぉ……」
俯いている彼女の表情が、下から見上げているせいでよく見えた。
目に大粒の涙を溜めていた彼女は、さっと背中を向けるとその場から走り去ってしまう。
残されたナイフを拾い立ち上がって、ドルフは裂かれた服とその中の傷跡をちらと見やった。
ほんのわずかに血液が染みているが、服につくほどの量にはならないだろう。
「これ、どうするかな」
手に持ったナイフをくるくると器用に回しつつそう呟いた。
バンッという音と共に自室に駆け込んだミアキスはずるりと扉に背をつけて座り込む。
そうだ、ドルフは「半死人」であると聞いていた。
だけどそれがどういう意味か、今日初めて理解した。
怪我をしても血が出なくて。
怪我をしても痛くなくて。
――私はきっと、人を殺めるということの……痛みの、感覚がなかったんだと思います。
大事な後輩で、妹みたいな彼女の言葉がよみがえる。
その言葉はとてもとても悲しいと、聞いた時に思った。
だって、その言葉は周りの人を、悲しくさせる。
その言葉を聞いた時に、アルファードもとても悲しそうな顔をして。
それからリオンの手に自分の手を重ねて、こう言った。
――今は痛いかな。痛いなら僕にも分けてね、リオン
優しい王子の言葉に頷くリオンを見ながら、ミアキスは罪悪感を覚えていた。
人を殺める痛みなんて。
そんなもの、自分が切り捨ててきたものだった。
女王騎士である以上、命を奪ったことは数多い。
大事な人を守るため、崇高な任務を果たすため。
そこに悪があるなんて思ったことがなかった。
だけどその痛みがないというのを聞くと、悲しいと思う。
その己の矛盾に、腹が立った。
そうだ。
武器を振るう自分の手を眺めて、ミアキスは小さく呻いた。
自分は悲しいのだ。
あの時と同じように。
傷つけない彼を見て。
痛みなんて感じない心がほしいと思ったことがある。
血なんて流れない身体がほしいと思ったことがある。
それは戦う者なら誰しも一度は思ったことだと思う。
何かを殺める度に疼く心が、誰かに切りつけられる度に流れる血が。
とても とても 疎ましい。
「…………っ」
悔しさにミアキスは唇を噛む。
あのナイフの件は完全に彼女のミスだ。
それを敵のドルフにかばわれた、それが武人として悔しい。
痛みなど微塵もないような顔でナイフを抜いて。
恩を着せようとする事もなく。
血の流れない傷の存在は、違和感を通り越して恐怖に近い。
傷に触れるのを躊躇わなかったと言えば嘘になる。
「……こんどはっ、かって、やるん、だか、らっ」
自分の中の葛藤を振り切るように、ミアキスは押し殺した声で誓いを立てた。
***
殺意→恋愛に変わるきっかけはあまり転がっていません。
独白ミアキスは無駄にまとも。きっと偽者、動揺してるからね!