<序章>



まどろみの中から、アルファードはふっと浮上した。
寝起きは悪い方ではない、少なくとも叔母よりはよほどいい。
目を開けてしばらく見覚えのない天井を眺めて。
それからようやく、ここしばらく逗留していた闘神祭の会場の客間だと気が付く。
次の瞬間、最も大事な事に気付き、枕元に置いてあった三節棍をひっつかむと身を起こした。
「……誰だ」
低く呟かれたその声に、淡い灯りを持った人物が前に進み出る。
身構えていたアルファードはその青い目を細めた。
「誰だ」
「……ギゼル様の使いです」
「こんな夜中に? 見張りはどうした」
「ギゼル様がお待ちです」
「…………」

無表情の使いはそう言うと暗闇の中に灯りごと姿を消す。
闇の中に残されたアルファードはマントを羽織って棍を持ったまま、ゆっくりと自室の扉を開ける。

――見張っていたはずの兵は、いなかった。










ノックなしにアルファードは扉を蹴り開ける。
それも、かなり乱暴に。

幼いころからの躾で扉はノックする癖が付いていたが、それをあえてしなかった。
ましてや貴族王族の子息にあるまじき、とんでもない開け方だ。

「アルファード様」
振り返ったギゼルの顔には昼間浮かんでいた人を食ったような表情はない。
リムスレーアの婿になることが決定したのに、どうしてそんな厳しい顔つきなのか。
「何の用」
笑みも社交辞令もなしに、不機嫌そのままに呟いたアルファードはギゼルの勧めもなしに思いきり腰を長椅子に下ろした。
「人の神経逆なでする能力は一級品だね」
「王子殿下は豪胆ですね。この夜半にこの私に呼び出されて、護衛もなしにいらっしゃるとは」
「馬鹿にしないでほしいね。僕がリオンに負けるのは速さと魔力くらいだよ」
不敵にほほ笑んだ王子を見ていたギゼルは、固く組んでいた指を解く。

「……失礼いたしました。ではお話しいたします」
「その前に、僕にそれを話す理由を聞きたい」

「――事は、ゴドウィン家の謀反の企み。目的は現女王、女王騎士の殺害と、第一王女リムスレーア様の即位」


一瞬目を剥いてから、アルファードは喉の奥から声を出す。
「繰り返す。なぜ僕に話す」
「これは私の望むことではありません」
「父親を裏切るのか。密告して保身を図るのか」
「――違います」

きっぱりと否定したギゼルはまっすぐにアルファードを見た。
「ただ私が望むことではないということです」
「…………」
じっとギゼルを睨みながら、アルファードは忙しく考えを巡らせた。

ギゼル=ゴドウィン。
ゴドウィン家の嫡男、闘神祭優勝者、よって現在はリムスレーアの婚約者。
叔母のサイアリーズの婚約者であったが、アルファードの母であるアルシュタートの即位と共に婚約は破棄されている。
性格は人当たり良く温和にみえて、怜悧で残酷。
策を練るだけ練ってあとはアルファードたちが困るのを見て楽しんでいる、人物――

そこで思考を止め事実だけを抜粋する。
これがギゼル側の罠である可能性は高い。
一対一である以上、ギゼルの言葉を他者に告げてもアルファードを信じる人がどれだけいるか。
信じてくれるであろう両親は、証拠がなければ動けない。
そこまではギゼルだって承知のはず。
本当にその陰謀をどうにかしたいのなら、少なくともサイアリーズは共に呼ぶはずだ……。


引っかかりを感じ、アルファードはもう一度ここしばらくの事を振り返る。
王子であった以上、王宮でのごたごたには慣れていた。
それゆえに人の雰囲気、会話、かすかな違和感を記憶する能力には自信がある。
――そうだ。あの記憶だ。

――……あなたはそうしていた方が魅力的です

あの時のギゼルの言葉とその表情。
ちょうど見える位置にいたアルファードはかなりの違和感を覚えた。
それは世辞ではなかった、と思う。
どこかで見たのと同じ顔。


――ただいまアル。
――おかえりなさいフェリド。お疲れ様。
――おっと、訓練帰りで汗臭いから二人に触れるのは風呂の後に。
――そなたの臭いなどどうして気になりましょう、ほらアルフもおかえりなさいませと言いたくて待っていたのですよ。
――おかえりなさい、ちちうえ。
――おう、いい子にしてたかアルフ!


……そうだ、あの時の母の顔。
穏やかで、優しくて。
すべてを包み込むような。


「……ギゼル」
「はい」
「――三つの質問に答えてもらおう」
「何でしょうか」

アルファードは目を閉じた。

「一つ、どうして僕なのか。
 二つ、ここでの君の小細工に意味はあったのか。
 三つ、剣の名手と名高いのになぜ自ら出場しなかった?」

的確な三つの質問に、ギゼルは苦笑するしかなかった。
王宮育ちのぼんぼんだと、実際に間近で会うまではそう思っていた。
遠目にでも母譲りの美貌は目立つ。
ただお綺麗なだけの飾り物の王子であると、あの穏やかなほほえみを見てそう思っていた。

疑問を抱いたのはほんの些細な事。
船で接近した時、鮮やかな動きでモンスターを叩きのめした彼は、一瞬だけ鋭い眼差しをギゼルに向けた。
その鋭さに息を呑んだ。

もしかすると。
その思いはここしばらくで核心に変わる。


「一つ目は簡単です。殿下なら力になっていただけると思いました。陛下やフェリド様に申し上げてもどこまで信じていただけるか分かりませんでしたし……」
「女王の一存でマルスカールを捕えるわけにはいかない、確かに」
僕が何の力になるかは分からないけどね。
そう言ってアルファードは先を促す。
「二つ目は、はい、です。申し訳ありませんが、王子の器量を図らせていただきました」
「パスしたようで嬉しいよ。で、三つ目は?」
「――この剣はある方に捧げています。それ以外の用途には振るいません」

ふうんと呟いてアルファードは深く腰をかけた。
――図らずも、自分が国の左右を決める瞬間にいるのは分かった。
これが罠であったらギゼルを信用すればおそらく足元をすくわれる。
最悪の場合、母や父とともに自身も死を迎える事となる。
だがギゼルが真実を語っていた場合。
その計略はいつか実行され、その結果は。

「ギゼル」
「はい」
「賭けをしよう」
「……なんでしょう」

アルファードは立ち上がると、ゆっくりと棍を長椅子に置き、ギゼルに右手を差し出した。


「僕は僕の命を賭ける。君のこの持ちかけが罠であるなら僕の命を奪えばいい」
「…………」
「君には君の「ある方」を賭けてもらおう」
「……私に何の不利があるんですか?」
にこりとアルファードはそれを聞いて笑う。
「一歩君が間違えれば一生恨まれる、それだけだよ」
「……それは、嫌ですね」

苦笑してギゼルはアルファードの手を握った。


 

 

 



***
王子はグレーのはず。
王子はグレー、グレー、グレー。
じゃないとカイルとかロイとかカイルとかロイとかがマジでかわいそう。