砂利と砂の混ざった土を踏みしめて、彼の人はその城を見上げた。
長い間水の底に沈んでいたと聞いていたが、その建物は痛みひとつなく、まるで数百年前からそこにあったように堂々と佇んでいる。
……実際に数百年、水の中とはいえここにあったのだけれど。

城を仰ぎ見つつ、彼は感嘆の息を漏らした。
「……シンダルって、ほんとすごいんだなぁ」
故郷にもあったシンダルの遺産と数々の不思議機能に思いを馳せ、被っていたフードを取ると、隠れていた癖のない灰茶色の髪が顕になる。
海と同じ輝きをした瞳に楽しそうな色を交え、クロスはゆっくりと岸にかけられた吊り橋へと向かった。





<先駆者>



城の外に出ると、吊り橋のところで何やら揉めている気配を感じて、アルファードは行き先を変更した。
スバルと釣り対決でもしようと思っていたが、揉め事を放置するわけにはいかないので仕方がない。

現在アルファード達は、本意はどうあれど曲がりなりにも戦争中なので、入ってくる人間に対してはそれなりの調査がされる。
出入りの商人なら揉め事を起こす事などしないだろうし、難民でもまた然り。
キリィの時を思い出して、またシンダルの調査希望かなぁなどとアルファードは思った。
えてしてああいった人達は、揉め事を起こしやすい。

案の定吊り橋のあたりで兵士が数人、通路を遮るように立っていた。
アルファードの姿を見つけた者が、王子、道を開ける。
「どうしたの」
「それが、不審者……なのですが」
どうにも歯切れの悪い兵士の物言いに、アルファードは首をかしげた。

「へぇ、君が王子さま?」

兵の隙間から明るい声が立つ。
立ち塞がる兵士の合間を見事に縫って王子の前までやってきた彼と視線が合って、アルファードは小さく息を呑んだ。
アルファードより頭ひとつほど大きいが、どう見てもまだ十代の風貌だ。
少し眺めの灰茶色の髪と細面は女性かと見紛うが、先ほどの声は男のものだった。
それでもマントで隠れた体はそれでも随分と細身で、旅人や傭兵にしてはあまりに心もとない。

慌てた兵士達が武器を掲げて青年を制する。
槍の先端を向けられているにも関わらず、青年は顔色ひとつ変えずににこにことアルファードを見ていた。
「シンダル遺跡が珍しかったから少し見学したかっただけなんだけど」
「素性の不確かなものを易々と通すわけにはいかない」
兵士の鋭い声に、そうなんだけどねぇ、と青年は眉尻を下げる。

先日キリィというイレギュラーはあったものの、基本的に素性が確かめられなければ中には入れない。
ゴドウィンから密偵が送られてくる事を懸念しての事だが、実際はその必要性もなかったりする。
余計な心配と言ってしまえばそれまでなのだが、それを大っぴらに言うわけにもいかない。
「あなたもシンダルの研究を?」
「いいや、ただの物見遊山で。僕の故郷にも似たようなものがあったから、つい」
騒ぎを起こすつもりはなかったんだ、と青年は城を見上げる。
「……見学だけ、でいいなら」
「いいの?」
「そのかわり、僕も一緒にですが」
「王子!?」
「観光案内は必要でしょう?」
暗に不審者の見張りという意味を含んでいるのだが、青年はアルファードの言葉に、よろしくお願いしますと破顔してみせた。
「……王子、お知り合いなんですか?」
「違うよ?」
「ならどうして」
「いや、なんとなく」
こそりと尋ねてくるリオンに、アルファードは肩を竦める。
どうしてと言われても、アルファード自身も理由はよく分からない。
ただ目が合った時に、なんとなく懐かしい気がしたのだ。

さて、兵士達をどう言い含めようかな、とアルファードが頭を回しているところに、外付けの階段を登ってきたツヴァイクが目を丸くして声をあげた。
「クロス、か?」
抱えていた調査道具を取り落としそうになるのを慌てて抱え直し、ツヴァイクは眼鏡の下の目を見開いている。
「えーと……もしかしてツヴァイク?」
うわぁ久しぶりだ、とクロスはひらひらと手を振ってみせた。
「久しぶりすぎて一瞬分からなかったよ」
「……何をしているんだ、こんなところで」
「知り合い?」
「昔、会った事がある」
「……昔、そう、昔だ」
疲れた響きで呟くように言ったツヴァイクは、アルファードに視線を向け、彼の素性の保証は自分がしようと告げた。
「少なくとも我々に害を与えるような人物ではない」
「そう言ってもらえると嬉しいなぁ」
にこにこと笑うクロスとは対照的に、ツヴァイクは徐々に疲弊している気がする。
ツヴァイクが不可解なのはいつもの事なので、アルファードはよろしくと差し出されたクロスの右手を笑顔で握り返した。




幸いクロスがツヴァイクの知り合いだという事で、兵士への説明は簡単にできた。
しかし、それではさっそく案内を、といったところでアルファードがルクレティアに呼ばれてしまった。
案内をすると言った手前申し訳ないと思うが、軍師からの呼び出しはどうしようもない。
「ごめんね、僕が案内するって言ったのに」
「仕方がないですよ」
「ツヴァイク、あとよろしく」
「私は……」
ツヴァイクの言葉を遮るようによろしくと念を押して、アルファードはばたばたとリオンと共に城の中へと行ってしまった。
残されたツヴァイクは頭痛を堪えるように額に手を当てている。
その様子にクロスは微苦笑して、ぽん、と腕を叩いた。
「久しぶりだね、ツヴァイク」
「…………ああ」
「随分変わったね。いかにも研究者って顔つきだ」
「・・・・・・君が変わらなさすぎるんだ」
眼鏡を押しあげてツヴァイクは溜息を吐いた。
クロスの案内ということで研究道具は兵士に運ばせ、二人は遺跡に向けて階段を下りていく。
「あの時はまだ眼鏡もつけてなかったし、背も僕とほとんど変わらなかった」
「……まだ十代だったからな」
苦々しく言い捨てるツヴァイクに、くすくすとクロスは楽しそうに笑う。
彼が百年以上生きていると言われても、大抵の者は信じないだろうし、笑いとばしかもしれない。
ツヴァイクとて、シンダル遺跡のつながりで真の紋章についての研究していたが、それでもこうして目の前で実証されてようやく信じられるくらいなのだから。
真の紋章の存在と、宿した者の不老の呪いを。


ツヴァイクがクロスと初めて会ったのは、まだツヴァイクがシンダルの研究を始めたばかりの頃だった。
初めてシンダルの遺跡に足を踏み入れたツヴァイクは、トラップに引っかかって身動きが取れなくなったところをクロスに助けられたのだ。
まだ十代で知識も今ほど持ち得なかったツヴァイクは、自分とほとんど外見で変わらないクロスに半ば対抗意識を燃やしていたのだが、結局遺跡を出るまで同行され、その途中で彼が真持ちだと判明し、色々納得したと同時にこの記憶はツヴァイクにとって一生思い出したくないものの一つになった。
若気の至りとはいえ、かなり無茶をやらかした上、実際は云百年年上に対して結構色々言ってしまった。
クロスには色々な知識を教えてももらったが、正直二度と会いたくなかったというのが本音だ。

しかしアルファードに頼まれた手前、ただの案内ではなく見張りも兼ねているこの役目を放り出してクロスを一人にするわけにはいかない。
クロスが手を出すわけがないとは分かっているが、建前というものだ。
「それで、ここまで何の用だ」
「近くまできたから寄ってみただけ。ちょっと知り合いがいそうな気配がしたから、ついでに会えたら会いたいなと」
あっさりと理由を口にして、クロスはツヴァイクに微笑みかける。
「別にこの戦いに関わるつもりはないし、それにもう目当てにしてた人はいないみたいだし……本当に遺跡観光だけして、今日中に出ようかな」
「そうか」
「シンダルの研究は進んだ?」
「この国のシンダル遺跡は興味深い。もっとも余計な連中もいるが」
だいたいシンダル遺跡を本拠地に使うとは非常識にもほどがある、と不満を呟いているツヴァイクに、クロスは苦笑してツヴァイクの肩を叩いた。





シンダル遺跡というだけあって、建物はかなり状態もよく立派だ。
まだ一部分は湖の中にあるようで、そこには板で橋渡しが施されているが、これもその内水上に出てくるという。
「こういうしっかりした土台の本拠地ってのもいいなぁ」
城の中には入らずに、外側の塔や離れを見学して、桟橋を渡って遺跡の入り口へ歩きながらクロスが呟いた。
「僕は船だったからさー。こういうところって「帰ってきた」って感じがするよね」
「そうか……」
ツヴァイクの心のない相槌を流しつつ、クロスは桟橋から辺りを眺める。
広い湖は海とは違う輝きを持っていて、時々見える魚の姿も少し違う。
海水と淡水では棲む魚も違うというのを昔教えてもらった。

「あれ、釣竿」
「誰かが置いていったのか? 片づけもしないとは無作法な」
「…………」
「どうした?」
「んー」
ツヴァイクの問いかけに適当に返事をしつつ、クロスは釣竿を取り上げた。
目を閉じて、ゆっくりと辺りの気配を辿っていく。
釣竿から辿れる、紋章の気配の残滓。
ほんの少し前まで釣竿の持ち主はここにいたらしい。
「ああ、なるほど……この様子だと、追いかけてもちょっと無理かなぁ」
「何を言っている?」
「いや、大物に逃げられたかなーって」
「相変わらず、お前の言っている事はよく分からない」
呆れたような声音のツヴァイクに、そうだねとクロスは楽しそうに笑った。

 

 




***
好き勝手やってこうなった。