<最後の望み>
「……ギゼ、ルっ」
抑えきれないその声に、腕を伸ばしてかき抱いた。
「サイアリーズ様」
耳に落ちてくる低くなった声に、サイアリーズは嗚咽を漏らす。
幸せそうな義兄と姉を見る度思っていた。
もうすぐ自分も、こんな風に過ごせるのだと。
ギゼルはきっと女王騎士も十分に務まる青年になるだろう、あの黒装束を着てサイアリーズを守ってくれたらどんなにうれしいか。
そして皆で過ごす日々はどれほど幸福だろう……。
だけどもうその夢は見ない。
サイアリーズが王座継承権を放棄しても、アルシュタートの治世に少しの陰りでもさせば、たちまちゴドウィンは彼女を担ぎ上げようとするだろう。
最悪、姉を――そんな事は耐えられない。
二度とこの国を権力を求めるやつらに蹂躙させたりなどしない。
疲弊しきった、この愛しい、母国を。
たとえそのために何を投げ捨てたってかまわない。
それが己の幸せであっても。
この胸に抱く熱い、思いであっても。
「……ギゼルっ」
二度と望まないから。
「――サイアリーズさま……?」
今夜だけは見逃してほしい。
「……お願いがあるんだ」
一度だけの思い出がほしい。
「あたしを――」
とても愛した人だから
「――あたしを、抱いて、ほしいんだ」
――抱いて、ほしいんだ
告げられた言葉にギゼルは抱擁の手を緩める。
信じられない思いで、胸の中の彼女を見る。
未婚の女性のファレナ王族への直接の接触は、極刑に値する罪だ。
今のギゼルの抱擁ですら、たとえ彼の身分が貴族筆頭の嫡男であり、かつ婚約者であろうとも、他者に見られたらどうなるか分からない。
だから彼女を抱きしめたのは、事故を除けば今日が初めてだ。
「どう、いうこと、ですか」
「言葉のそのままだよ、抱いてほしい。男として、女の、あたしを」
「それ――それはっ」
それはできない。
二重の意味で、ギゼルにとっては禁忌に等しかった。
彼女は王族で、その王族の純潔を汚すのは国にとっての侮辱に等しい。
そして。
崇拝している 彼女を 自分が
「できません……」
「ギゼル」
「……私に、サイアリーズ様を汚すことなど、できません……」
この綺麗な人に、そのような事はできない。
誰より強くて凛として、何より憧れる素敵な人。
弱く首を振って抱擁を解くギゼルに、サイアリーズは呟く。
「違うよギゼル……汚すなんて、そんなわけないだろう……」
「……しかし」
「好きだから、行うことなんだよ。それはとても、素敵なことじゃないか」
眼を伏せたサイアリーズの手が、するりとギゼルの背から滑り落ちる。
「お願いだよ……あ、あたしだって、勢いで言ってるわけじゃないんだ」
「――……」
震えている彼女の肩に触れるべきかどうかわからなかった。
だがギゼルは少しだけ動かしてしまった手を握りこむ。
ここで手を伸ばしてしまったら、きっと彼女に逆らえない。
欲したことはあるのだ、幾度も、たとえそれが禁忌でも。
触れて、さらって、閉じ込めて。
彼女を自分だけのものにしたいと、欲した事は数えきれないほどに。
いつか彼女の横に立つのにふさわしい男になって。
公に認められる夫としての立場に立つまでそれは行動に移してはいけないのだと、わかっていた。
しかし、もうその機会がくることはないだろう。
破棄された約束にギゼルは淡い期待を述べたが、それはどれだけ先のことか。
それまでサイアリーズの心が変わらぬ保障などどこにもない。
「さいご、なんだから」
呟いたサイアリーズの瞳から涙が零れる。
それを受け止めようと指を伸ばしたギゼルは、彼女の頬を掠めた。
手袋はつけていなくて、だから直に触れて。
その暖かさに彼はぐらつく。
「本当だ、これが終ったら、何も」
何も頼まない。
何も言わない。
「……サイアリーズ様……私は」
何を言えばいいか分からなかった。
拒絶するべきなのか、それとも受け入れるべきなのか。
今までギゼルを支えていた「ゴドウィン家の嫡男として」「サイアリーズの婚約者として」の判断基準は同じ方向を指しているのに。
それで自分の行動は迷うことなく決着がつくはずなのに。
どうすればいいか分からない。
分
わからないのは、彼の心が叫んでいるから。
今ここで、彼女の望みに沿いたいと。
これが本当に、最初で最後になるかもしれないから。
「サイア、リーズ、様」
「……うん」
「本当に、よろしいのですね」
「……うん」
ゆっくりと頷いたサイアリーズを引き寄せて、ギゼルは彼女の頤に指を当てる。
顎を持ち上げて目を閉じてきた彼女に、柔らかい口づけを。
そして永遠に忘れられぬように、優しい夜を。
***
切ってみる。
既成事実があろうが無かろうが。
この10年くらいあとにはまたあるんだからどっちでもいいけどね!