<剣の誓い>

 

足をぶらぶらさせながら、サイアリーズは移り行く雲を見ている。
今日はゴドウィン卿が来ると母に言われたが、まったく全然準備をして迎える気はしなかった。
本当なら姉上のところに行くつもりだったけれど、姉は今息子のアルファードと遊ぶのに夢中だ。

新しい家族は王子だった。
王宮は一瞬落胆したけれど、その王子の見目が美しいアルシュタートそっくりだという噂が広まるや皆がそろって彼を褒めた。
――もちろん、王子に王位継承権はない。
他国か国内の貴族に婿に行く。それだけの存在だ。

……そんなことを、小さい甥の前で考えたくなかったのでサイアリーズはいつもの場所に避難していた。
どうせゴドウィン卿が来ているのなら、彼も一緒なのだろう。
そうであるなら。

「サイアリーズ様!」
「ギゼル、遅いじゃないか」
「そんな、ところにいらっしゃる、から、ですよ!」
息を切らしながら言う彼に笑って、サイアリーズは身軽に木から降りてくる。
「どうして今日もいつもみたいな格好なんですか!」
「……どうしてって、今日なにかあったかい?」
「…………」

がっくりと木に手をついて項垂れるギゼルをサイアリーズは不思議そうに見やる。
「ギゼル?」
「……まだ、ご存知じゃなかったのか……僕って何……」
黄昏だしたギゼルの頭を軽く叩く。
「何の話だい」
「……こ、」
「こ?」
「……こっ、ん」
「こんばんは?」
「違います! ぼ、僕と」
「うん」
「サイアリーズ様がっ」
「うん」
「こ、婚約したんです!」

顔を真っ赤にしてそう言ったギゼルをしばし見。

「……なんだそりゃ」

少女の素直すぎるほど素直な感想だった。










母のファルズラーム直々に話を聞いてきたサイアリーズは、釈然としない顔でギゼルの元にやってくる。
「ウソじゃなかった」
「あたりまえでしょう、何でそんなウソ……僕が……つくんですか」
「悪いね」
「えっ」
だってさ、と苦笑してサイアリーズは自分より低いギゼルの頭をわしわしと撫でる。
「政治的取引ってヤツだろ? 母上はバロウズ派で……姉上は番狂わせが生じてさ。だから次はあたしの番。あんたは歳が近かったからつきあわされちまっただけ」
「そんなっ……そんなことありません! 僕は」
「……ごめんね。本当は皆、姉上みたいに、好きな人と結婚できればいいのにね……」

眼を細めて呟いたサイアリーズの前でギゼルは正式の敬礼をする。

「ギゼル=ゴドウィンはここに誓います!」
「ギゼル?」
「この剣と名にかけて! 必ずサイアリーズ様をお守りする事を!」
「……あり、がと」
泣きそうな顔で微笑んだサイアリーズの細い手をギゼルはそっと取った。
「サイアリーズ様。僕は、本当に嬉しいです。サイアリーズ様が、好きだから」
「……あたしも、ギゼルが好きだよ」
「なら、僕達も好きな人と結婚できるんですね」

「そうだね……そうだよ。あはは、こりゃあたしもずいぶんな幸せ者だね」
ギゼルの手を握って、いつまでも二人はそうして笑っていた。










あの時と同じに。
互いの手を取って。
……はじまるためにではなく。
おわるため、に。

「……あたしは、絶対に結婚しない」
「…………」
呟いたサイアリーズは、ギゼルの指を強く握る。
婚約破棄を姉に提言したのは自分だ。
そして、二度と誰とも結婚しないと言ったのも。
「それが国のためだ」
そう言って優しい姉と義兄を説得した。
――それは、わずかな嘘を含んでいたけれど。

彼とは絶対に結ばれる事はないだろう。
それこそ二人が全てを捨てて逃げ出さない限り、不可能だ。
そんな事はできない。サイアリーズは大切なものがこの国に多すぎる。

自分が彼の隣に立てないならば。
こんな形で手酷く彼の愛を裏切らなくてはいけないのなら。
せめて捧げたかったのだ。
自分の半生を、彼に。


「……そうでしょうね」
「あんたはそんなこと言っちゃいけないよ。あたしを待ってるんじゃなくて。本当に国のためになる婚姻なら、結んでほしいからね」

そう言ったサイアリーズの指に、ギゼルは静かにキスを落とす。
――この人は。
本当に本当にこの国と王家の未来を憂いている。
慈しんで、愛しすぎて、その気持ちを貫くのだけで精一杯で。
……もし、彼女がもう少しでも己を愛する人であったら。
こんなに苦しまなくてすんだのに。

「それでも私は、誓約しましょう」
「……何をさ」
「この剣とこの名にかけて、必ずあなたを――そしてあなたの志を、お守りする事を」
動けないサイアリーズにギゼルは誓う。

「私の剣をあなたに捧げましょう。二度と、あなたを守る以外の剣は振るわぬと」
「ギゼ、ル」
「――愛しています、ずっと。たとえ時が過ぎてあなたが変わっても。私の立場が変わっても。ずっと。この剣が抜かれぬうちは」

その言葉に返せるものは何もなかった。
声の出ないサイアリーズにギゼルは微笑む。
「……あなたは誰とも結婚をせぬと言った。だから私も誓っただけ」
「ちがっ!」
そんな誓約がほしかったわけじゃない。
こんな形で、最後の言葉をささやかれたかったわけではない。
「――これは私の我侭ですよ。あなたが私を愛さなくなっても、私があなたを変わらず愛していると伝えたいがための」


優しい笑顔でそう言われて、サイアリーズは俯いた。
涙の伝うそのやわらかい頬に、最後の口付けが落とされた。




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「代理の理由」とセットでお読みください。