<その心までは>



憔悴した顔で、彼女はやぁと呟く。
ひび割れた唇が更にそれをやつれさせて見せる。
下ろした髪は緩やかなウェーブとともに肩に下りていた。
「悪いね、ごたついてる時にさ……」
「いえ」


ファルズラーム崩御。
あの血で血を洗う後継者争いから、たった二年だった。
三年前、オルハターゼが亡くなった後、一年近くかけて行われた争い。
大勢の人物が公に――また秘密裏に――死んだ。

位を得たファルズラームが行ったのは、シャスレワールを含む親族の粛清。
後の憂いをなくすための政治的手法――としては当然のことだし当たり前である、が。
それはすなわち、サイアリーズの伯母や従姉妹のことだ。

彼女にとって、するものされたのも、親しき人――


「……ありがとう、助かったよ、本当に」
まだ国内が落ち着いていないときの崩御。
それに続くアルシュタートの即位。
「あまりに全てがめまぐるしかった……」
呟いたサイアリーズの肩をギゼルは支える。
「どうか、お休みください」
「いや、今日は話があってね」

寂しげに微笑んだサイアリーズは、ギゼルを見上げる。
今年になって、彼はようやくサイアリーズの背を追い越した。
それまでは当然のように二つ上の彼女が見下ろしていたのだが。

「話、ですか」
「……きな」
そう言ってサイアリーズは踵を返す。
アルシュタートが即位したものの、城内は騒然となったままだ。
貴族連中も浮き足立っているし、隣のアーメス国の動向が怪しいというのがもっぱらの理由。
今攻め込まれたらこの国に――明日があるのか誰も分からない。

廊下を渡っていき、ギゼルは行き先に見当がついて思わず足を止めた。
「どこに――」
「あたしの部屋」
「……それは」
「いいから」

きな、と命令を下してサイアリーズは自室へ入る。
表の見張りには廊下を見張れと言い捨てて、ギゼルを中に入れた。

「結婚前の女性が男を寝室に連れ込むものではありませんよ」
真面目な口調で言った彼に、サイアリーズは微笑む。
「……いいのさ、あたしはもう、ね」
「サイアリーズ様?」
彼女の意図することが分からなくて、ギゼルは声を詰まらせる。
何を言おうと、しているの、だろうか。


「――リムスレーアが生まれた。時期女王の座は彼女のものだ」
「それは――まあ、そうなりますが」
状況によってはサイアリーズが継ぐ可能性もあるが、基本は直系が継ぐからこのままアルシュタートが王座に座り続ければ、次世代は現在二つになるかならないかのリムスレーアになるだろう。
サイアリーズの唐突な言葉は今に始まったわけではないので、ギゼルはそれが、と先を促した。
「あたしはもう、あんなことはごめんなんだ」
「……それは、三年前の?」
そうさ、と言ってサイアリーズはギゼルを真っ直ぐに見た。


「あたしとあんたの婚約を、破棄したい」
「!」

絶句したギゼルを前に、サイアリーズは拳を握る。
「勝手なのは分かってる! だけど、だけどあんなに仲の良かった伯母上と母上があれほど争ったんだ、あたしと姉上がそうならない保障がどこにある!?」
「……それ、は――」
本当に争ったのは、シャスレワールとファルズラームでは、ない。
全て彼女たちの後ろについた、貴族の政権争いだ。
女王の座を継ぐ資格の持つ彼女達は、その道具にされただけ。
そんなこと、若干十五のギゼルにも十分に分かっていた。

そして、十七になるサイアリーズも。

「私が、ゴドウィン家の人間だから、ですか……」
「……そうさ」
目を伏せてサイアリーズは呟いた。
「そして、あたしがファレナス王家の人間だからさ」

そう言った彼女の声がくぐもっていて、ギゼルはゆっくり片手を伸ばす。
はらりと落ちた髪をすくい、ゆっくり頬に手を当てる。

―――冷たい



「――分かりました」

一拍おいて、そう答えた。

「……ほ、んとうに、いいのかい」
「おっしゃる事はもっともです、私があなたの許婚である以上、どうとでも利用される。私とて、アルシュタート陛下にはいい治世を築いていただきたい。火種になど、なりたくありません」
「――……本当に、すまない……」

小さくしゃくりを上げたサイアリーズに、ギゼルはしかし、と呟いた。
「――約束していただけますか」
「何を」
「陛下の治世が安泰して、リムスレーア様が押しもされぬ次期女王候補になって――貴族の政権争いが治まって……この国が平和になったら……」
「なったら?」

「その時は、もう一度考えてください。今回は、一時破棄、と言うことで」

そう言ったギゼルを見上げて、サイアリーズは涙顔で笑う。
「そんなの、何十年かかると思っているんだい」
「待ちますよ」
「その間に、あんたはもっといい娘と結婚しちまうさ」
「しませんよ」
苦笑して、ギゼルはサイアリーズの頬から手を離し、その髪を梳く。
「あなたこそ、どこかに飛んでいかないでほしいですね、諸国巡りとか言いながら」

バレたかいと言って数歩歩いて、サイアリーズはギゼルの肩に額をつける。
「ごめんね」
「いいですよ」
「……あたしが王族じゃなかったら、こんなことなかったのに」
「闘神祭で圧勝したら、花嫁を掻っ攫える制度だとよかったのですが」
その言葉に小さく笑って、サイアリーズはギゼルに抱きついた。


 

 

 


***
事実関連に矛盾があるかもしれません、むしろ前後関係不明
……。
で、このギゼルは何パーセント偽者なんでしょうか。