<かくれんぼ>
「はあ、はあ、はあ」
息を切らせて、少年は左右を見回す。
「本当に、どこに……」
流れた汗を拭う。
季節は、初夏。
太陽と水に恵まれたファレナ女王国は、それ相応の温度と湿気を備えている。
だが彼は国の筆頭貴族の嫡男でもあり、王族に御目通るために正装をしているので、温度も湿気も考慮されていない服を着ている。
暑い。
自宅ならば脱いでしまうのだが、あいにくここは王宮。
不敬になってしまうから脱ぎたくとも脱げない。
涼しい顔で真っ黒の衣装を身に纏い、廊下を歩いている女王騎士達が恨めしい。
日ごろの鍛錬の差というものだろうか。
せめて水場の傍で涼みたかったが、肝心の人物が見つかっていないわけで……。
「――サイアリーズ様!」
どこですか、と叫んでも王宮の庭は広い。
なお呼んでも答えが返ってくるはずもない。
現在はかくれんぼ中、さらに鬼はギゼルなのだ……。
「ああもうっ、どこにいるんだあの人はっ!」
いつもの坊ちゃん依然の表情をかなぐり捨て、ギゼルは誰もいない林の付近で絶叫する。
「いつもいつも勝手にどっかに行ってっ、僕が探し回るのを笑ってみてるんだ、そーだそーに決まってる!」
今日も今日とて、王宮に父と共に訪れたギゼルの手を引き、遊ぼうとあの笑顔で誘っておいて、庭に出たらひょいと飛び跳ね「百数えて探しにきなよ!」と逃げ去ったのだ。
そのまま放置できるわけもないし、相手は間違っても王族だし……。
……かくれんぼに付き合う義理があるのかは置いておいて。
「父上は……まだお仕事だろうし」
回れ右して帰ってしまおうかとも思ったが、遊んでいる時のサイアリーズは本当に楽しそうに笑う。
ギゼルに兄弟姉妹はいないが、彼女には一人姉がいる。
その姉とは九つも離れているから、親しく遊んだことはないのだろう。
王族だからなまじ他の子供と遊ぶわけにもいかないだろうし……。
……それで自分に白羽の矢が立ったのはありがたいのかありがたくないのか……。
「ああもう、探せばいいんだろ探せば」
放置するなんてそんな考えるに恐ろしい。
とりあえず左右を見るが人影らしいものはカケラもない。
ふと足元に視線を落として、ギゼルはわずかにその目を見開く。
一面に咲き誇っていたのは小さな白い花。
思わず片足を見て、下に踏み潰してしまっていたことに気付き眉を寄せる。
花の種類はさっぱり知れないけれど、あれば綺麗と思うから、潰してしまうのが惜しかった。
しゃがみ込んでギゼルは花を撫でる。
ゆらゆらと揺れるように思った花は、案外しっかりしていて、撫でる程度では動きやしない。
今度は少し弾いてみると、ひらと揺れてまた戻った。
小さいけれど、これだけあると綺麗だ。
彼女に渡したら喜ぶだろうか。
そう思って手折ろうと指を伸ばし――止めた。
たぶんこの花はこうやって咲いている方が綺麗な気がする。
足元を埋め尽くす花、それを見せた方が喜ぶだろう。
それに……どうせ摘むなら気がすむまで摘ませた方がいいに違いない。
サイアリーズの性格をつかんでいたギゼルはそう思って、踵を返す。
さて、いったいどこに行ったのやら。
「サイアリーズさまー! 早く出てこないとかくれんぼ終わりませんからねー!」
それが何だと言ってから思ったが、とりあえず聞こえちゃいないだろうから言ってやる。
「いっつもいっつも僕に押し付けて、たまにはサイアリーズ様が鬼をやるべきだー!」
そうだ、それで見つけれなくてぜいぜい喘ぐギゼルが諦めて帰ろうとすると、後ろから声をかけるんだ。
「かまわないけど、あんたがあたしから逃げれるのかい?」
くすくす、と笑い声が聞こえてギゼルはばっと振り返る。
いない――否。
「上だよ、さっきから一人で叫ぶわ百面相するわ、おかしいったら」
けらけら笑ったサイアリーズは、木の枝に腰掛けて足を揺らしていた。
「サ……サイアリーズ様! 何でそんなところに!」
「木の上まで見ないだろ?」
見つからないもんだねえ、と彼女は笑う。
「も、もしかして今までもずっと?」
「そうだよ、ここはあたしの特等席さ。ここからだいたい見えるからね」
そうと言ってサイアリーズは目を細める。
「ギゼルを見てるといっつも楽しいよ」
「……! ど、どこから聞いていらしたんですかっ」
「最初からに決まってるだろ」
そう言ってサイアリーズは姿勢をずらす。
まるで木の枝から直接飛び降りそうに見えたので、ギゼルは慌てて止めようとした。
「と、飛び降りないでくださいよ!」
「なんでさ」
「なんでって……なんでってそりゃ、危ないからですよ!」
知ってるよ、とサイアリーズは言ってさらに姿勢をずらす。
「ちょっ、本当に何考えてるんですか! こんなところから落ちたらケガしますよ」
「――ケガしちゃいけないのかい」
「いけないって……そりゃ、そうでしょう。あなたは――」
彼女は、王族なのだ。
この国にとってかけがえのない人なのだ。
今は定まっていなくとも、成長すれば女王になる可能性だって十分にある。
この国をすべる可能性のある――そういう人なのだ。
「あなたは、王族なんですよ!?」
「――……あんたもそれか」
ふいと顔をそらして、サイアリーズは呟く。
「王族がナンボのもんさ」
「……ご不満なんですか」
「あんたはどうだい?」
その質問にギゼルは少し目の光を険しくしたものの、口調はあくまでも丁寧に答えた。
「僕は、父上の子供であることを誇りに思います」
見上げた先の彼女は無表情だった。
なじられるだろうか。
お前なんかに分かるものかと、そう言われるのだろうか。
だが、サイアリーズの顔はふっと緩む。
「――そうかい、あんたはえらいね」
「……は?」
「ただあたしは嫌で逃げてるだけなんだし」
座り位置を直して、サイアリーズは俯いた。
「……姉上は、午前は勉強、午後は社交。城から一歩も出れやしない。あたしもいずれああなるのかと、そう思うとね……」
イヤになるんだよ。
そう言ったサイアリーズは、ギゼルを見下ろす。
「悪かったね」
「いえ――……その」
「そこの花、あんまり踏まないでおくれよ、綺麗だろう?」
「あ――す、すみません」
慌てて花の咲く場所から飛び退ったギゼルにサイアリーズはくすくすと笑う。
「じゃ、ちょっとそこで見てなよ――はっ!」
「!」
ドサッ
地面に落ちたサイアリーズの下に何とかもぐりこんで、ギゼルはうめいた。
「だ、だいじょうぶ、です、か」
「あたし、見てなって言っただろ」
ギゼルをつぶして平然と返すサイアリーズに、地面に這い蹲る格好になっていた彼は両手を突っ張ってなんとか顔を起こして言った。
「ケガしますよ」
「……だからさ」
「サイアリーズ様がケガしたら、鬼やってくれないじゃないですか」
嘆息一つと共に言ったサイアリーズにそう返して、ギゼルはどいてもらえますと続ける。
「重い、です」
「女性に重いとは失礼な奴だね」
「女性は普通木から飛び降りませんよ」
やっとサイアリーズが下り、ギゼルは座って首をさする。
正装は見事に泥と草の汁色に染まっている。
父が見たらさぞや怒るだろう。
「……あーあ」
無残に潰してしまった白い花に意図せず溜息が出る。
散った花びらを腕から払い落とし、わずかに眉をしかめた。
「あーあって……ああ、花か」
「綺麗だったのに」
「平気さ」
秋になると種ができてね、そいつをまけばあっという間に生えてくるよ。
そう言ったサイアリーズに、ギゼルはそうですかと相槌を打つ。
「信じてないのかい」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ今年の秋にまたここに来て二人で種をまいて、来年の春に見にこようじゃないか!」
信じてないだろうと重ねられて、ギゼルは違いますよと慌てて否定しようとして――止めた。
「本当でしょうね」
「本当だともさ」
「じゃあ今年の秋ですね、忘れたら賭けはサイアリーズ様の負けですよ?」
そう言って笑ったギゼルにサイアリーズは忘れるもんかと、胸をそらす。
「さて、走れるかい」
立ち上がったサイアリーズに言われ、ギゼルは頷く。
「ちゃんと百数えてくれるんでしょうね」
「約束するよ、わき見もしないさ」
笑って言うとサイアリーズはギゼルにその手を差し伸べる。
「ほら、立ちな」
「――あ」
伸ばされた手に自分の手を伸ばし、逡巡する。
「ったく、情けないね男のくせに」
ぐい、と掴まれて無理矢理引っ張り上げられ、ギゼルは思わずよろめいた。
「ほらっ、ちょうど百しか数えないよ!」
バシッと背中を叩かれ、ギゼルは軽く咳き込んでから走り出した。
「――ここにいましたか」
「!」
振り向いた少女は、栗色の髪を地面に流している。
座り込んだ彼女の前には一面の白い花。
「いけませんね、女王陛下が従者もつけずこんなところに」
「なっ――どうして、どうしてここが分かったのじゃ!」
驚きの色を隠せないリムスレーアは、憎悪の色も共に含んでいる。
まあ――無理もないというか当然のことであろうが。
「ここは、ここは兄上も知らない叔母上との秘密の場所じゃぞ! 叔母上と一緒に毎年――」
「――の、ようですね」
リムスレーアの言葉を途中で遮り、ギゼルは足元の花を見る。
あの時のような一塊ではない。
林に所狭しと生えているその花は、変わらず美しさを誇っていた。
「ちょうど今の季節が見頃ですから」
「……どうして、それを……」
呆然と呟いたリムスレーアは、その可能性に思い当たったのか唇を固く結ぶ。
「よろしければご一緒してもいいですか――綺麗な花だ」
リムスレーアが返答する前に、ギゼルはその正面にそびえる見事な枝の大樹を指差し言った。
「登ってみますか?」
「――は?」
あまりに意外な言葉に唖然とした彼女を見て、ギゼルは薄く笑う。
「降りられなくなったら受け止めて差し上げますよ」
「な、何を言っておるのじゃっ――わらわは木登りなぞせ――」
……木登り……
『あの木にはよく登ったものさ』
『あんな高いところにか? 叔母上はおてんばだったのじゃな』
『あっはっは、あんたももう少し大きくなったら登るよ絶対。景色が最高にいいからね』
「登れる、かのぅ」
呟いた少女に、彼はどうでしょうねとしか返さない。
「私は木には登りませんので。そのご衣裳では難しいかもしれませんね」
「…………」
興を削がれた気がして、リムスレーアはその場に膝を抱えてしゃがみ込む。
白い花。
毎年叔母と来て、花をめでて、摘んで帰って、母の髪にさして父に束で渡して、兄には頭から花びらを散らせた。
秋になれば種を取って、そこらじゅうにまいて。
もっと綺麗に咲くようにと。
「……ギゼル」
「はい、なんでしょう?」
「――摘んで帰る、手伝え」
そう言ってぷちりと一本摘んだリムスレーアに、ギゼルは無言で従う。
淡々とお互い無言で延々と花を摘み、気付けば片手に一束作れるほどになっていた。
一息ついて少し離れて花を摘んでいるリムスレーアに問いかける。
「どうするんですこんなに摘んで」
「叔母上と――」
ぷちり
「兄上と、父上と、母上と、わらわと――」
ぷちりぷちり
「……みなの部屋に飾るのじゃ」
「……そうですか」
「帰ってきたら叔母上もきっとびっくりして――」
――そして悔しがってくれるだろうか、今年の花を逃した事を。
約束してくれるだろうか、秋には共に種をまくことを……。
ぐっと言葉を飲み込んで、リムスレーアは花を摘んだ。
***
過去のギゼルとサイアの年齢は微妙です。
10〜12くらいだと思うけど。