<臨時休業>
目の前に広がるのは紺碧色の海。
群島諸国では海を目にするのは日常において当たり前の事だが、綺麗に晴れ渡った日の海は遠くまで澄んでいて美しい。
浜に敷き詰められた砂も日光を反射して白く輝き、一枚の絵のような光景が辺り一面に広がっている。
そしてそのところどころに色を飾るカニや岩場の海草が点在している。
こんな日にゆっくり海を眺めて過ごせたりしたら最高だ。
けれどクロスは、そんな最高の景色を前にして、深々と溜息を吐いて額に手を当てていた。
視線は海を向いているけれど、その目は遙か水平線の向こうを見据えていて、海を眺めようという意識はなさそうだ。
「……あちゃー」
海の向こう側に船の影ひとつ見えない事を確認して、しまったとばかりにクロスは呟いた。
その横に立っているシグルドが苦笑交じりに尋ねる。
彼自身ほぼ現状の見当はついているから、確認の意味合いが強いだろう。
「クロス様……ここは無人島ですよね?」
「あー、うん、たぶん、そうだと思う」
「失敗……ですよね?」
「そもそもテレポート頼む前だったから、失敗っていうより事故かなぁ」
ビッキーのテレポートの失敗にもそろそろ慣れてきたから、混乱より先に現在地を把握する癖もついてきた。
群島諸国にはいくつか無人の島があるけれど、ここはところどころに見覚えがある。
以前オベルに拾われる前に漂流した島に違いはない。
自分達の船を手に入れてからも何度かここへ来た事はあるから、シグルドにとっても既知の場所だ。
「来た事がある場所でよかったよ……」
「そうですね……海の上だったり、クールークだった日には、目も当てられないですから」
「……なかなか怖い事をいうねシグルド」
クロスは乾いた笑いを浮かべて、不毛な会話は打ち切る事にした。
それらの可能性に比べれば、無人島へ飛ばされたことなど些細なのかもしれない。
しれないが、失敗は失敗だ。
ほんの十数分前、朝の一仕事を終えてエレノアと話をし、その日の予定を立て終えたクロスをシグルドが迎えに来た。
今朝は軟風で、船は支障もなくゆっくりと針路を取っていた。
部屋の前の階段を降り、鏡の前にいたビッキーに挨拶をして、今日の行き先を告げる前に彼女がふとくしゃみをひとつ。
あ、と思った時にはもう遅く、視界は船内の薄暗さから太陽の照りつける外へと変化していた。
今頃船では大騒ぎ……するには頻繁に起こる事象なので、今頃はエレノアかキカの指揮の下、捜索が開始されているだろう。
悲しいかなそれくらいに巻き込まれているのだけれど。
当分戦いが起こる気配はないと今朝エレノアと話したばかりだったから、それほど焦る事はない。
「瞬きの手鏡があればよかったんだけどねー」
「昨日アルド達に預けて、そのままですか?」
「今日のメンバーに入れてたから、ついでに返してもらおうと思ってたんだよ……」
「迎え、どれくらいかかると思いますか?」
「ドーナツ島に向かって進路を取ってたから……」
「各島に捜索隊を派遣するとして、ここまでくるのに一週間はかかりますかね」
「だろうね」
予定が狂うなぁ、と頭をかくクロスにシグルドは首をかしげた。
疑問を含んだ視線にクロスは真剣な表情で答える。
「今モルド島で塩が買い時でさぁ」
「…………」
「せっかく買い占めて高騰してから一気に売ろうと思ってたのに」
「……それは」
笑っていいものかどうか、という微妙な表情でシグルドは返す。
そこまで軍主がやる必要がないと常々色んな人から言われているクロスだが、最早趣味の一種なのか止める気配がない。
エレノアの目をかいくぐり、暇を見つけては買いつけに行ったりしている。
「もしかして今日の予定というのは……」
「うん、塩の買いつけ。その後はモンスター退治するつもりだったけどね?」
答えて、クロスはざくざくと砂を踏みしめつつ波打ち際に向かっていく。
何をするのかと思いきや、靴を脱いでよいせっと水の中へ入っていってしまった。
「……クロス様?」
「まあ、今の状況じゃ僕らからはどうしようもないわけだし、食事の用意でもしようかなと」
「食事……」
「魚と海草と貝ゲット。ついでに涼めて一石二鳥」
確かに高い位置に昇った太陽に照らされ続ける空気は大分温まってきている。
ほらシグルドも、と手招きされて、シグルドも水際にまで近寄った。
澄んだ水の下、砂の合間から貝殻がいくつか垣間見える。
魚も警戒心が薄いのか、小さいものがクロスの足首の間を潜り泳いでいた。
「一週間、せっかくだしゆっくりしようよ」
「あなたがそんな事を言うのは珍しいですね」
「普段休めって煩い筆頭が言う?」
「それもそうでした」
笑うシグルドに、クロスも笑ってと水を勢いよく蹴り上げた。
……ふと、クロスの笑みが引き攣ったものに変わる。
クロスの蹴り上げた飛沫で肩から盛大に水をかぶったシグルドは、頬に飛んだ水滴を指先で拭ってにっこりと笑った。
***
このあと二人してずぶぬれになればいい。
……何歳だこの人たち。