俺は許さない

俺もあなたも 拒否も





<想いだけ>





――どうして僕は、あなたに会ってしまったんだろう

その言葉が、胸を蝕む。
剣で刺されたより、はるかに痛む。
傷口がふさがらない。

「――っ」
「おい、大丈夫かよお前……体調、悪ぃのか? メンバーから外されるなんて、初めてじゃねーか?」
「……少し、黙っててくれ、ハーヴェイ」
黙らせて、シグルドは水の紋章で回復した。
こんな雑魚相手に後れを取るなんて。

別働隊へ何も言わず自分を移動させたクロスの意図が、読めない。
あの日から一度も、顔を合わせてもらっていない。
声を聞いていない。
挨拶を――

「ぐ――ごほっ」
「お、おい! ちょっと休んでろ!」
口を押さえた指の間から、液体が落ちる。
喉に焼ける感覚があった。
「シグルド、大丈夫か」
「……大丈夫もなにも」

どうしてこんなところで一人で悶々と悩んでいるのか。
彼は言った、許さないでくれと。
ならば許してなどやるものか。
「休んでくる」
「後は任せろ」

ふらりと立ち上がって、シグルドは中へと入る。
グリシェンデ号には、戻らない。


勝手知った船内を歩く。
廊下に誰もいないのを確かめて、その部屋の扉を開けた。



許さない。
――どうして僕は、あなたに会ってしまったんだろう
そんな言葉を、自分の中に溜め込んでしまったあなたを。
俺に心配すらさせてくれないあなたを。
俺を助けるために飛び込んだあなたを。

許さない。










戻ってきたキカが何か耳打ちを受けて、顔をしかめる。
「どうかしましたか」
「……いや、シグルドが突然吐いたそうで……ここ数日、妙に覇気がないし風邪でも引いたのかと思っていたのだが」
たちが悪いものだったようだな、と呟いたキカにクロスは貼り付けた笑顔を返す。
「それはお大事に。ではまた明日」
「ああ」
いつもと同じ返事。
いつもと同じ言葉。
いつもと同じ挨拶。

彼がいないだけなのに。
隣にいないだけなのに。
ここに生きているのに。

「クロス……?」
「あ、今日はありがとう、ケネス」
「任せろよ。でもシグルドさんが調子悪いなんて……心配だな」
「すぐよくなるよ」

動揺が走ったことを見取られないように、クロスは早口で返すと歩みを速める。
ケネスから十分離れたのを確認して、足を止めた。
だけど表情は動かさない。
「…………」
溜息も吐けない。
この船はいつの間に、こんなに息の詰まる場所になったのだろう。


前を向いて。
紋章に怯えず。
強く、強く。
皆を率いて。

皆を守らなくちゃいけない。
戦争に勝たなくちゃいけない。
それが僕の役割で、僕が期待されていることだ。

「――うっ」
胃液が口の中まで逆流してきたが、根性で飲み込んだ。
ひりひりする喉を抱えて、足取りだけはせめて普段どおりにと自室へと向かう。
「……っ、はっ」
ここ数日、何を食べてもしばらくするとさっきのように吐いてしまって。
ついには食べない方法を取ったのだけど。
それは確実に体力を奪っていく。

「クロス様、どうかなさいましたか?」
「あ、うん。戦闘で少し足を痛めたみたいだから、今日は部屋におとなしくいるよ」
ごまかしの言葉を言ってみれば、心配そうな顔をされる。
「そうなさってください。ユウ先生をお呼びしましょうか」
「いや、いいよ……ありがとね、ミレイ」

部屋に、入る。

「お帰りなさい」
「!」
「俺がこの部屋にいる理由、わかりますか」

微笑んでシグルドはクロスの手に自分の手を重ね、静かに扉を閉める。
硬直した彼の耳元に、楽しそうにささやいた。
「あなたは許すなと言った、だから俺は許しません」
「シグ、ルド」

「俺に会えたことが不満ですか」
「……不満じゃない、だけど、間違いだったと思う」
沈黙と予想していた質問に、クロスはしっかりと返してきた。
「僕は、あなたを優先しなくてはいけない理由なんてないのに。あなたを他者より優先した」
「鈍い人だ」

笑って、シグルドは鋭い音と共に壁に両手をつく。
囲い込まれた格好となったクロスは、自然と自分より上背のある彼を見上げる事となる。
「シグルド……?」
「あなたは知りませんが、俺があなたを他者より優先する理由はある」

相手は言葉の続きを知っている。
だから逃げようと瞳を揺らしている。
それがわかっていたから、シグルドは彼に逃げる間も考える間も、それ以上与えなかった。
その代わり、彼が予想していた類の言葉は言わなかった。

「あなたと会えて幸福だ」
「――っ」
「だが間違いだった。それは認めましょう」
「シグルド」
まだ腕の中に囲まれているクロスの瞳は、もう揺れていなかった。
だが彼の眼は、深く傷ついていた。
その理由は明らかだった、だがシグルドは言葉を重ねた。


「どうして俺はあなたと出会ってしまったのでしょう」

その言葉に。
びくりとクロスの全身が反応したのを確認して。


ゆっくりと手を壁から離す。


「ど……して、そんなこと」
怖い。
あの優しい声が低くなって。
たくましい両腕が逃げ道を奪って。

――どうして俺はあなたと出会ってしまったのでしょう

その言葉に、傷ついた。
言葉自体ではなくて、それを言ったシグルドが微笑んでいたから。

どんな気持ちで言ったのか。
わからない。
この人の気持ちが、わからない。

「間違い、だった?」
「間違いだったのでしょう。そうおっしゃった」
「――シグルドにとっても、間違いだった……?」
なんてことを、してしまったのだろう。
出会うのが間違いだった、お互い間違いだった。
それなのに、クロスは。


顔を近づけ、耳に唇が触れるほどの距離で。
彼はささやいた。
甘く、強く。
「間違いでした。あなたに出会わなければ俺は、こんな自分に気付かずすんだ」


壁に背中を預けていたクロスが、ずるりと滑る。
ずるずると、彼はその場に座り込むことになり、シグルドはそのはるか上から見下ろした。
だが彼は膝を折り、その顔をとても近くに近づける。
大きな手の、繊細に動く指が力の入らないクロスの顎を持ち上げた。
「こんな――酷い人間だと」
「――シグ、ルド」
「あなたを守るためなら、俺はきっと何に手を上げても後悔しない」
乾いている唇に指を軽く滑らせる。
「あなたに俺以外の者が触れるくらいなら、俺はあなたを殺すでしょう」
「…………」

「あなたを危険に陥れるなら、それが俺自身でも、消す」
「なっ!」
頬を包み込むと、確かに温かかった。
「どうして飛び込んだんですか」
「――わか……らない」
「出会ったのが間違いならば、俺はいない方がいいですか。軍のためにも、あなたのためにも」
「…………」

問いかけられて、クロスは黙す。
会うんじゃなかった、とあの時は本当にそう思って。
このままだと自分は、軍を駄目にしてしまうと。
求められた結果を求められたように出す、そんな自分が壊れそうだった。

でも。
いないほうが、いい?

「それは、会えなくなるってことだよね」
「お望みなら、一生涯目の前に現れませんよ」
「……それは」

それは、いやだ。
答えは簡単に出た。

「いやだ」
「わがままな人だ」
笑ってくれて、ほっとした。
いつものように優しい笑顔だった。
けれども――けれども、この優しい笑顔がある限り自分は同じ事を繰り返すから。

「――グリシェンデ号に移ってくれないか」
「いやです」
「え……え?」
きっぱりと言われて、クロスは狼狽する。
シグルドは微笑んだ。
「その前に、もう一言ないなら、いやです」


言葉を選ぶことができなかった。
その言葉しか知らなかったから。



「好きだよ……だから」
続けようとしたのに。
シグルドの指が唇に触れて、クロスはそれ以上言えなくなった。
「キスをします、いいですね」
「――え」


指が離れたと思った次の瞬間。
ぐいと頭を抱き寄せられた。


 

 




***
話になっていない。
シグルドがダメな大人の見本。

危ない人の見本。