誰も死ななければいいなんて
思えない
<許し無き>
大きく揺れた船の上で、雨に打たれながらクロスは叫ぶ。
その命令が届いて、紋章砲が炸裂した。
「クロス様っ、敵艦引いていきます!」
ミレイの報告に、ようやくその張り詰めた緊張の糸を解く。
だが、沈むか沈まないかのぎりぎりのところで後退しつつあった敵艦は。
ドォン
「!」
大きく火柱を、上げた。
「う、わっ」
船が大きく、揺れる。
とっさによろめいたミレイに抱きついて、甲板を転がり奥へと行く。
なんとか振り落とされずにすんだことに安堵して、ようやく顔を上げる。
「ミレイ、大丈夫」
「あ、は……はい、平気です、すみませんっ」
「被害を見てくる。慣れないなら奥にいた方がいいよ」
にこりと微笑んで、クロスは立ち上がって走っていく。
戦闘のために外に出ていた人達を一人一人、視認するのは難しい。
この暗闇の中、この嵐の中。
「リノ王、大丈夫でしたか」
「反対側だっ、反対側で軽く三十人は海に落ちたぞっ!!」
その言葉を聞き終える前に、足が駆け出す。
反対側。
船の反対側には。
「クロスっ、波に飲まれて落ちた! 救助の手を呼んでくれ!」
「……ケネス、各班長を呼んで、人数の確認を」
まだ、落ち着ける。
振付ける雨で、視界が無いに等しいから。
「もうした。ダリオとシグルドの班が全員、ハーヴェイの班が半数、だ」
告げられた言葉に。
「……直ちに救助を。視界が悪い、ありったけの灯りを用意して」
「わかっている。お前は――そっちで指示をしてくれ、こっちは俺とキカさんで」
促されて。
それでも、足が動かなかった。
落ちたのは大半が、海賊たちだ。
小回りの聞くグリシェンヌ号で、キカに指示された海賊たちが動く――それが一番効率的な救助の仕方だ。
自分は、役に立たないだろう。
「ぼく、は」
去っていったケネスの背中が見えない。
「……ぼ、くは」
助けなきゃ。
早く、指示するべき場所に行って。
皆を助けなきゃ、一人でも多くの人を、少しでも早く。
僕は軍主なんだから。
―――……様
判断とか、そういうものではなかったのだろう。
理性とか理屈とか、それはとても大事なもので。
だけどそれは、役に立たなくなっていっていた。
「クロス!? クロス、待ってどこに――」
背後のポーラの声を無視して、クロスは一気に甲板から海の中へ飛び込む。
ぼしゃんという音と、体を貫いた冷たさに、それでも頭は冷えなかった。
(シグルド!)
その名前を呼ぶ。
(シグルド、シグルド――!!)
返事をして。
暗い海で。
波が命を奪う、冷たい暗い海で。
叫んだ。
声には出さず。
起きた時、いつの間にか半日が飛んでいた。
すっぽりと抜け落ちた記憶をいぶしかみつつ、シグルドは起き上がる。
「やっと起きたか」
「……ああ、波にさらわれて落ちたのか」
ハーヴェイの顔を見ると記憶が戻ったのか、納得した顔のシグルドにケッと相棒は肩を竦める。
「ひどいモンだったぜ、助かってよかったなお前」
「……どういう意味だ?」
「……五人、見つからなかった。三人、死んだ」
被害、八名。
その数字は、少なくない。
「そんなに、か」
仲間を助けようとして、警告の声を上げたけど間に合わなかった。
そのことが悔やまれる。
「そのうち四人はお前の班の――……だ」
名前を聞いて、顔が浮かぶ。
海賊としてその誇りを胸に抱いて生きた彼らは。
最期に何を思ったのだろうか。
「そう……そう、か。俺は……助けることも、できなかったんだな」
一人、二人。
そこまで仲間の手に託したのは覚えている。
三人目の腕を掴んで、引っ張って。
そうだ――彼はもう死んでいて。
四人目を助けに向かったところで、大きな波がきて、意識が。
「俺を助けてくれたのは?」
「へ? お前自力で甲板に這い上がってたぜ」
「そうか」
そんな覚えはなかったけれど、本能が働いたのだろうか。
簡単に結論付けて、シグルドは扉に手をかける。
「どこ行くんだ」
「少し、歩いてくる」
「へーい」
(心配、させてしまっただろうな)
落ちるなんて自分らしくもない失態だった。
――あの人を、心配させたくない。
きっと、意識が戻らないと聞いたら心を痛めているだろうから。
「クロス様」
失礼します、とノックをしてから部屋に入る。
返事は聞かなかった。
だから、見てしまった。
「っ!」
「クロス、様?」
「……な、んで」
床に座り込んで膝を抱えていたクロスは、顔を上げてシグルドを見た。
呆然としていた彼は、あわてて扉を閉めると向き直る。
「どうか、されましたか」
八人の被害のことを、思い悩んでいたのだろうか。
「仕方ないことだと思います――嵐の海で、投げ出されては」
「…………」
俯いて答えない。
シグルドは歩み寄ると、膝をついて目線を合わせようとした。
「クロス様――どう、されましたか」
「僕は」
そう言いかけて、首を横に振る。
「……犠牲者を出してしまったことが、悔しくて」
予想通りの言葉をつぶやく彼に、シグルドは気がついた。
「嘘を、つかないで。どうしましたか」
「嘘、じゃないよ」
「嘘です。じゃあどうして、俺の眼を見て言わないんですか」
頬に手を当てて、無理矢理こちらを向かせる。
深い色の瞳が、こちらを見ていない。
「クロス様」
少し潜めた声で名前を呼ぶと、顔を振ってシグルドの手から逃れる。
後ずさった彼は、しばらく息を止めていたように見えた。
それから、小さくため息を吐き出す。
「シグルド、一つ約束してくれないかな」
「なんですか」
「……僕を、許さないでほしいんだ」
呟かれた言葉の意味が、分からなかった。
だからシグルドは沈黙を返す、了承しかねるという意思をこめて。
「海から上がった僕は指揮を取り出した。そうしたら――すぐに、全員助かった」
「……どういう意味ですか」
「最初から指揮を取れば、八人も……被害を出さずにすんだと、思う」
「海から上がったって、どうして」
わからないの? とクロスは言った。
泣きそうな顔で、笑った。
「僕はあなたを助けに、海に飛び込んだんだ」
「――っ」
「なぜ、とかどうして、なんて僕にもわからないよ。あなたに死んでほしくなかった。あなたが見つかるまで、甲板に上がる気なんかなかった。僕が死んだら紋章は誰かに移るのに。僕が死んだらこの戦争は負けるかもしれないのに。僕が死んだら――」
考えていなかった。
何も考えていなかったんだ。
「海に飛び込んだ。冷たかった。あなたを、助けたかった」
叫ぶように、叩きつけるように、クロスは言葉を口に出す。
それを投げつけられたシグルドは、硬直するしかなかった。
「他の人が助かるかどうかなんて、どうでもよかった。あなたを見つける前に、僕は二人の人のそばを通った、だけど助けなかった」
手を伸ばせば。
まだ生きていたかもしれないのに。
彼のように、気絶していただけかもしれないのに。
手を伸ばさなかった。
その人は、彼ではなかったから。
「僕は、今まで、僕は最低の人間かもしれなくても、人の幸せを祈ることはできると思っていた」
価値がない人間でも。
せめて、他人の幸せを祈ることはできるのだと。
「――でも、わかったんだ。僕は、誰も死ななければいいのにとすら、思えないって」
望むのは皆の生ではなく
そのなかの一人の 生
「どうして」
ぽつり、漏らす。
「僕は、あなたに会ってしまったんだろう」
その言葉の衝撃が大きすぎて。
シグルドは気付く事ができなかった。
その時彼の頬に、涙が伝っていたことを。
***
シグ主、ダーク。
なお、ミレイ加入直後な感じ。
まだ告白前。
だからテッドとかフレアとかいないんだよよかったねハーヴェイ(ハーヴェイかよ