聞かなきゃよかったとルックは心底思った。
うまい話には裏があると格言があるのを失念していた事をこんなに悔やむ事になろうとは。

考えてみれば、公私混同しない(私に公を突っ込む事はよくある)ササライが部下に気取られるレベルで不機嫌な時点でおかしかったと気付くべきだった。
いつにない様子だからこそヒクサクもルックに投げてきたのだろう。

前提として、ササライは滅多に弱音を吐かない。
愚痴めいた小言は降らせるくせに、容量が大きいのかうまく流す癖がついているのか、人前で弱った姿はまず見せようとしない。
だからその理由は分かりにくく、仕事に没頭していると何か逃避したい事があるんだなとそこでようやく気づけるのだとヒクサクは言っていた。

それでも、ここ十数年は随分とそれは鳴りを潜めていたのだ。
同じシグールの被害者として意気投合したのか性格が合ったのか、フッチと友好関係を築いてから、フッチにだけは弱音めいたものを零すようになったらしい。
フッチなら他言しないと安心できるし余計な茶々を入れたりもしないから、話し相手としては最適だろうとルックも思う。
シグールやルックは解放軍時代からの付き合いで、同年代以下に見ているのでフッチ相手に弱音を吐く気にはならないが、外見が成長したフッチからしかほとんど知らないササライはその部分での抵抗もないと頷ける。

だからこそ、ルックも最初ヒクサクに聞いたのだ。
この話を持っていくならフッチが適任だろうと。
返答は「すでに頼んだが断られた」。
ついでに言うと、ササライに竜洞に遊びに行ってはどうかと促したら拒否されたらしい。

このあたりでなんとなく嫌な予感がした。
報酬で吊られずに、ここで断ればよかったんだ。

それでも引き受けてしまったのは、ササライの不機嫌の理由なんて、大した事ないと思ったのだ。
適当に聞き出して宥めてあとはヒクサクに押し付ければいいと安易に考えていたわけだが。



「……その原因がまさかの色恋沙汰かよ。しかもフッチ相手の」
「色恋未満だよ」
「立派な痴情の縺れだよ」
というか、ササライが痴情の縺れに仕立て上げてしまったという方が正しいか。

フッチも告白したら返事より先に寝台に引っ張り上げられるとは思わなかったに違いない。
しかもたぶん、奴の事だから返事はノーだと思っていただろう。
それはそれは混乱したと容易に想像できた。

「告白された直後に乗っかるってどういう緩さなの」
「緩くない」
「フッチ寝室に連れ込んでる時点で緩いだろ」
「本気じゃないと思ったから、断られる前提だよ」
「……まさかそれ本人の前で言ってないだろうね」
「言ったよ。気の迷いでしょうって」
さくさくさくさくとクロス手製のクッキーを無表情に近いまま口の中へおさめていくササライへ呆れた顔を向けてやれば、指についた粉を払って怪訝な視線を返してきた。

「なに」
「ササライってさ……手段選ばないよね」
「ルックに言われたくないんだけど」
「いや、プライベートな部分で」
「…………?」
自覚がないのか伝わらないらしい。

首を傾げる様子に、クロスも一緒に来てくれたらよかったのにとルックはここにいない恋人を思う。
……いても苦笑しながらお茶を注ぐに留まりそうだ。
シグールやテッドは腹を抱えて笑うだろうか。
ジョウイあたりなら、ルックに共感してくれただろうに。
横槍が入るのが嫌だからとササライのところを選んだのが悪かった。

もともとこういう役割は僕向きじゃないはずなのにと心中で愚痴を零しながら、ルックは足を組みかえる。
その役目を押し付けるべき先が今回の相手だからどうしようもない。
「あんた、仕事に関してはきっちり段階踏むけど、個人的なことになると一足飛びに結論に持ってこうとするだろ」
「そうかな」
「歩いてて袖が枝に引っかかったら躊躇なく袖破るタイプだろ」
「別にあとで繕えば問題ないよね?」
「……人間の心情はそうはいかないんだよ」

ササライの根底にあるのは面倒臭いという感覚なんだろう。
仕事は仕事で割り切っているがら別として、過程を飛ばして結論を急ぐのはその段階が面倒だと思ってしまうからだ。
先ほどの袖の話程度ならせっかちで済むが恋愛に持ってこられると笑えない。

告白した直後、返事ももらわない内に上に乗られた状態を据え膳と言えるほどフッチは豪胆ではないし、乗っかられた理由は告白のOK代わりではなく、「誤解を解く」というササライからしたら善意の、フッチからしてみれば大きなお世話からきたものなのだから、フッチは泣いていい。

「あいつの心情にも配慮してやれよ。そこそこ付き合い長いんだから」
「けど、一番早いじゃないか」
「何が」
「最後までやってもまだ好きだっていうなら考える余地があるし、どこかの段階で目が覚めたらそれで円満だろう?」
「最初の段階でフッチの心がまったくもって円満じゃないと思うよ」
あいつがその気もない相手に手ぇ出せると思っているのかとルックは問いたい。
出会いはルックの方が早かったが、過ごした時間はたぶん、ササライの方が濃密なはずなんだが。

「……ササライはフッチのこと嫌いなの」
「友人としては好きだったよ」
「過去形?」
「……大切な友人だと思ってたのに、どうやら向こうは違ったようで」
勘違いして告白してきた挙句、逃げ出してから一回も顔を出さないなんて薄情者です、と冷めた紅茶を煽るササライに、そろそろルックの視線の温度も冷めてきた。

誰か代わってくれないかな。
ていうかもうフッチ転移で連れてきて二人をどっかの部屋に押し込めたら解決しないかな。
これで自覚してないってんだから本当に。

籠の中にまだ残っていた菓子類をテーブルの上へと移動させる。
ソファにかけていた上着を羽織ると、気付いたササライが視線を上げた。

「もう帰るの」
「これ以上あんたから聞いてても惚気は出ても解決策は出ないだろうからね」
「惚気なんてどこにあった」
「このまま延々と聞いてたら出てきそう」
そもそもヒクサクに頼まれていた、不機嫌の原因は聞き出せたから、これ以上滞在する必要はない。
あとは二人の好きなようにと言いたいが。

「……面倒臭いと思わずに、もうちょっと段階踏んで、色々考えた方がいいんじゃないの」
「段階って?」
「…………」
たぶんこのままにしておいたら、ササライの仕事は捗り続けて目の下の隈の色を濃くしていくんだろうし、フッチは姿を現さずじまいになるんだろう。
「この貸しは高くつくからね」
小声で呟き、聞き返してきたササライへ溜息を吐いてルックは指をひとつ立てた。

「フッチからの告白抜きにしたら、今も嫌いじゃないんでしょ」
「ええ」
「会いたいとは思うんだよね。顔出さないの怒ってるくらいなんだから」
「……まぁ」
「もう一回告白してきたらどうするの」
「何度も同じ間違いをするとは思えないんだけど」
「どうするの」
「……また同じ対応をするだけだけど」
「で、最後までいただかれたら」
「……考える」
「の、結論はどっち」
「…………」

押し黙ってしまったササライに、ルックは今度はこれ見よがしに溜息を吐いた。
そもそも、さっきの会話の時点で無自覚なだけだ。
『やってまだ好きだというなら考える余地がある』なら、そこまで到達したなら嫌ではないと言っているようなもので。
フッチを試しているだけじゃないか。
それともそこまで考えが及んでいないだけなら、ササライは恋愛感情ってものを舐めている。

「フッチって、何十年も友人やってきた相手に、勘違いで切り捨てられるような覚悟で告白してくる奴だっけ」
「…………」
「自己防衛でも面倒でもいいけど、相手の心情ぶった切った行動するんだったら、返された時のこと考えとかないと、痛い目見るのはササライだからね」
覚悟を決めた奴は梃子でも動かないというのは数百年前に身を持って知っている。

「そもそも僕らが何ヶ月音沙汰なくたって、そんなカリカリしないくせに」
追い討ちをかけて、ルックはササライの表情を見ることなく転移魔法を発動させた。



体感温度の差に小さく身震いする。
ほの温かな室内ではなく、冷たく暗い洞窟の湿った空気に呼気が溶けていく。
「ほんと、この貸しは高くつくからね」
まがりなりにも兄弟と、少年の頃から知っている腐れ縁が相手じゃなきゃ絶対に動いてなどやらないものを。

「次はきっちり手を出すよう、言い含めておかないとね」
そしてとっととこの痴話喧嘩未満を終わらせてしまえと、ルックは竜洞の奥へと歩き出した。









***
1.このままフッチに一言だけ告げて去る
2.シグール達のところに連行して洗いざらい喋らせる


どーっちだ。