「好きです」

告げた言葉は衝動的に零れたものではなく、明確な意思をもって、自分の意思で口にしたものだった。
この間貸した本の感想を楽しげに話してくれていた口がぽかんと丸く開けられ、柔和に細められていた目が見開かれている。
それだけで彼の中にこの展開はまったくなかったんだろうと分かってしまってフッチは少し口角を歪めた。

「……今日のお茶、口に合いましたか? よかったら帰りにいくらか包みましょうか」
「俺は今ササライさんに言ったんですが、話題を避けるくらいに嫌でしたか」
「僕も友人としてフッチのこと好きですよ」
「恋愛対象としてです」
気付かなかったと装うには、数十秒の沈黙は長すぎた。
苦しすぎるすり替えを飲み込めるような戯れでフッチも口にしたわけではない。
まだ逃げようとするササライに追撃を当てれば、再び長い沈黙が落ちた。

「……逃げ道潰してきますね、君」
「逃がせる程度の覚悟で口になんてしませんよ」
言えばササライは僅かに笑みを浮かべて首を傾げて見せる。
どこか淋しそうな表情は、友人と思っていた相手からの告白のためか。
口にした事を後悔しそうになったが、今更撤回をする気もないままササライの言葉を待った。

「君にその手の趣味はないと思っていましたが」
「そうですね。男性相手というのなら、ササライさんが初めてです」
「ドッキリのネタバラシをするなら今ですよ」
「誰も潜んでやしませんよ」
そもそもここはハルモニアのササライの私室だ。
ササライの許可なく誰が潜め……そうなドッキリ発案者はいるけどそれはないと否定しておく。
「友情や憧れの延長では」
「残念ながら、それも否定済みです」

淡い恋慕くらいならそのまま放置していたかもしれない。
自分より長く生き、人をまとめる手腕やその性格は大いに尊敬しているから、フッチ自身も最初はそれを疑っていたのだ。
だが、少し前に二人きりで酒を飲んでいた時、頬を染めて笑いかけてきた様子に、まずいと思った。
有体に言えば欲情したのだと直接は言えなかったが。

ササライが女性を好むとは知っていたし、もともとフッチも女性しか好きになった事はなかった。
だからこそ無防備なのだと、それが自分には毒だと理解したあたりで、早々に口にしてしまおうとフッチは決めたのだ。
返答は概ね予想がついている。
これからも良い友人でいてくださいのやんわりコースが本命で、ないですねと切り捨てられるのが二番手。
どん引きされたらしばらく凹むだろうが、友人付き合いを少なくとも表面上は続けてくれるだろう。
こうして二人きりでのんびりと酒を飲む機会には恵まれなくなるだろうが。

結論を出されるまでの長く短い時間の間、思考に落ちていたフッチは、眼前に差す影に顔をあげた。
席を立ったササライがフッチを見下ろしている。
普段はフッチが彼を見下ろす方だから新鮮だが、前髪が影になっていて表情が見えない。

「わかりました。寝室に行きましょう」
「…………は、い?」
「現実を見せて差し上げます」
今度はフッチが沈黙を挟む番だった。

にこりと笑ったササライに手を引かれるまま寝室に入ったのがいけなかったのだと気付いた時には、ササライはフッチの腹の上に乗って上着を脱ぎ捨てたところで。
数分くらい記憶が抜け落ちているのは気のせいだろうか。
足払いをかけられた気がするが、ふわふわなベッドのおかげで打ちつけたはずの後頭部も痛くない。

「あの、何をしているんですか」
「現実を見せると言ったでしょう」
よいしょ、と腕を袖から抜いてシャツを横に捨てると、薄暗がりの中で上半身が露になる。
露出の低い服を着ている姿しか見ていないから、その下を見るのは初めてだ。
肌の白さだけがやけに目についてしまい現実を実感できていない間に、腕を取られてぺたりと胸に当てられた。
少しひやりとした温度は陶器のようで、だけど僅かな弾力は生きている人間のものだと判別できる。というか薄くないか。この人ちゃんと食べてるのだろうかと心配になる――という現実逃避中の頭にササライの声が届く。

「僕、男でしょ」
「知ってますよそれくらい! というかちゃんと食べてますか。薄くないですか」
「必要なだけは食べていますよ」
「それ全然安心できない言葉なんですが……」
「ほら意識が逸れてますよ」
ねぇ、とササライはフッチの目を覗き込むように体を倒す。
「僕の顔、中性的でしょう。だからあまり抵抗がないんでしょう」
「……ササライさん?」
「実際にヤってみれば分かりますよ。男となんて、女性との性交のようにいいものでもないって。あなたのその感情がただの一時の勘違いだと目も覚めるでしょう」
ほら、と胸に押し付けてくる体は冷えている。風邪をひかないか心配になるくらいに。


「もし一晩共にして、まだ同じことが言えたなら考えてもいいですけど」
そんなことありえないでしょう、と。
言葉の続きにそう聞こえた気がして、フッチは気付いたらササライを突き飛ばしていた。

ベッドの上に転がったササライが目を瞬かせて何が起こったのか理解ができない間に、転げ落ちるようにベッドから降りる。
「フッチ?」
訝しげな声は自分の行為が正当だと信じ込んでいる声音で、それに返す言葉を奥歯を噛み締めて飲み込むと、フッチは寝室から駆け出したのだった。










***
フッチ視点でスタート。
そしてササライのネジが飛んでいることが発覚する話もスタート。
ここにくるまでいろいろと(作品はないけど)あったんです。