<たとえ世界中が君の敵になっても>
「『たとえ世界中の誰もが敵になったとしても、僕だけは君の味方だよ』」
同じ空間で思い思い好き勝手をしていた中で、シグールの呟きに全員の視線が集まる。
シグールの口から出た意外すぎる言葉に、ルックとチェスをしていたテッドは黒のポーンを手から零し、盤面を見つめていたルックの頭から数手先までのプランが飛ぶ。
古着をテーブルクロスに仕立て直していたクロスは針をうっかり指先に刺し、新聞を読んでいたジョウイは何の記事を読んでいたか忘れた。
同じく読書にいそしんでいたセノが唯一ダメージを受けずに、本から顔をあげてシグールに尋ねた。
「シグールさん、それ、今人気の本ですか?」
「うん、そう。セノも読んだ?」
「作者がデュナンの人なので、ぜひどうぞって勧めてもらって。薄かったのでさらさらって読めました」
頷くセノに、本の中のフレーズと知って四人はなんとなく詰めていた息を吐き出した。
「あーびっくりした……」
「シグールがそんな歯の浮くようなセリフをいきなり言うわけがなかった」
「つーか、どんな展開でそんなセリフが出てくんだよ……」
駒を持ち直したテッドが盤に置いて聞く。
「主人公がヒロインに告白する場面での愛の言葉」
「……告白でそれか。重いな」
「愛の重さで言うなら変わんないと思うけどね君ら」
指から特に血が出なかったのを確認しながらクロスが笑う。
まぁ、たしかに絵空事での愛の言葉より、紋章ひとつを分け合った方が重いけれども。
「告白でそれ言われたら普通は引くよね」
「いやいやヒロインは感動して抱きついてきたよ」
「……さすがフィクション」
「けど、そもそもどういう想定なんだろうね、それ。」
ピショップを持ち上げて、盤に視線を固定したままルックが呟く。
「いや、もしもの話だろ。実際にあってたまるかそんなこと」
「だいたい、本当に世界全部が自分の敵になったと想像してみろよ――ここにいる奴らが敵になるんだぜ?」
テッドの言葉に全員が固まった。
視線をめいめいに巡らせ、同時に首を横に振る。
「「無理」」
「勝てる気がしませんよー……」
少しだけ想像したのか、セノがそれだけで疲れたような表情を浮かべる。
自分vsここにいる他五人とか、勝てる気がしない。
しかも自分以外すべて、ということは、五人は結託してくるんだろう。どんな窮地だ。
「それぞれが別勢力だったらワンチャンあるかもしれないけど」
「それにしたって多人数vs1に変わりはないよ?」
「そのへんの雑魚だけなら分割撃破でなんとかなるでしょ」
一般人には決して言えない一言を告げるシグールにとって、目下の敵と認識しているのはこの部屋のメンバーなのだろう。
「多人数相手なら、奇襲か遠距離からの一撃が効果的だもんなぁ」
「そうするとクロスとかジョウイが有利だよね」
いったい何の話をしているのか。戦略の話になりつつあるそれらにのめりこみかけて、ジョウイが「けど」と首を捻る。
「本当にそんな状況になるって、どんな時だろう」
「えー……国家転覆させるとか?」
「その程度で敵に回るの」
「……さすが、国ひとつ崩そうとした人は言うことが違う」
「実際、回らなかったじゃないか」
盤面から視線を動かさないままルックはなんでもないように言うが、正面に座るテッドには見えている。
目元が赤いぞるっくん。
「ま、あれはトランやデュナンが対象じゃなかったのもあるだろうけどな」
「その場合も取った手は同じだと思うけどねー」
「だから。そういう、世界が敵に回るとか、そうなる前に手を打つだろ」
にやにやと笑っているシグール達にもルックの顔は容易に想像がついたらしく、笑いを含んだ声にルックの声音は逆に低くなった。
照れてる、とシグールと視線をあわせてにやにや笑う。
「うん。それにルックが世界を敵に回すなら、僕はルックにつくって決めてるし」
にっこり笑ったクロスにルックが体を揺らす。
その振動でチェス盤が載っていたテーブルが揺れて、チェスの駒がばらばらと倒れた。
「あ」
「……僕の負けでいい」
俯いて搾り出すように言うルックは耳まで真っ赤だ。
「クロス、そんなこといつ言ったの?」
「ルックがぼろっぼろになって戻ってきたお説教の時」
シグールのわくわくとした問いかけにクロスは笑顔でなんの照れもなく返す。
お前らやめてやれ、ルックがそろそろ切り裂きをくりだしそうだ。
「僕だってセノが世界を敵に回すならその時はっ」
「前科がある奴が何を言う」
拳を握り締めたジョウイをルックの低い声が袈裟切りした。
ありえない想像な分、つい追求してしまう。
つまりは全員暇だった。
「それが無理なら……世界中の人間が、その一人以外全員洗脳されちゃうとか」
「……試してみる?」
「「お前が言うとシャレにならないのでやめてください」」
セノの言葉に反応したルックが低く笑う。
それが冗談には聞こえなくて、テッドとジョウイは同じく口にした。
「洗脳なら、別に一人だけ残さなくても全員洗脳したら敵も何もなくならない?」
「あ、そっか」
「一人だけ残して……とかどれだけそいつのこと嫌いだよってなるよな」
それじゃあ結局ありえないのか。
「そんなありえないことで愛を囁かれてもなぁ」
「要するにそれだけ君のことが好きだって言いたいんだろうけど」
「うすっぺらく聞こえるんだよね」
結局のところ、ありえない状況を想定して愛を言われたところで、実感がないのだ。
操られてもそれを振り切って最後の最後に命を賭けて守ったり。
自分の命を投げて相手を生かそうとしたり。
世界を敵に回そうとした相手をどこまでも追いかけて引きずり戻したり。
そういう実践を経ている彼らだから、尚更に。
「つーか、さぁ」
チェスの駒を片付けながらテッドが。
「世界中全員が主人公の敵になったら、そいつも敵になるんじゃんね?」
「「あ」」
***
一応、それでもならないよっていう話、なんですけどね、たぶん。
一人だけ残されて残りが敵になったら勝ち目のない戦である。