<故郷 1>
後の歴史には大改竄して記録された、グラスランドでの意味不明な戦から一年。
事後処理を終え、シーザーを送り出し、アップルは故郷に戻っていた。
とはいえども元が孤児のアップルにとっては、ここは生まれ故郷というよりは育ちの故郷なわけだけど。
雑草の茂った石畳の階段を上る。
ここに戻ってくるのは何年ぶりになるのだろうか。
アップルの覚えている教室は、まだマッシュやシュウがいた頃のものだ。
それと多くの仲間と。
温かい思い出ばかりがあるそこに一人ではいるのは、少しだけ気が引けるけれど。
でも、これが自分のしたい事。
そのために戻ってきたのだし。
……まあ、向こうしばらくはこの家の清掃に追われるのは目に見えている。
何十年もほったらかしだったはずだ、屋根なんか下手すると朽ちているかもしれない。
「……あら」
階段を上りきったアップルは驚いて目をわずかに開く。
そこに建っていたのは、記憶とほとんど変わらない建物。
壁の色がわずかに違うような気もするが、瓦も壁もきちんとしている。
雑草が生い茂っている様子もなく、今にも中から誰かが出てきそうだ。
(おかしいわね、近所の人が掃除してくれてたのかしら)
そう思いながら、アップルは扉に手をかける。
きいと、鍵のかからない扉が開いた。
ふわりと、わずかなぬくもりが頬を撫でる。
それは――
「よ、久しぶり」
「あっ――ビクトールさん!」
最後に会ったのがいつだったか覚えてはいなかったが、その風貌は時が経っても変わらない。
温かな声と、豪快な笑み。
「おーい、アップルが来たぞ」
「聞こえてるよ、久しぶりだな」
「フリックさんも! お久しぶりです」
ぺこりとお辞儀をしたアップルに、奥から出てきたフリックは優しく笑う。
髪にはまばらに白いものが見えて、青いバンダナもマントもないが、やはり彼も変わらない。
「ど、どうしてここに?」
「ああ、ちょっとした依頼で手入れにな。年に二回くらいかな」
部屋の中央に置いてある机の周りを囲んで椅子が置かれている。
それも記憶どおりで、アップルはたとえようのない懐かしさを覚えた。
ここで、皆で勉強したのだっけ。
「座れよ、長旅だっただろ」
「女一人でグラスランドからなんて、ご苦労だったな」
「いえ……その、知って?」
大変だっただろ、とねぎらってくれたビクトールやフリックに、黒幕の正体とかむしろその後の彼がどうなったのかとか言いたかったが、アップルは言わないでおく
事にした。
平穏に人生を送るにおいて、知らないに越した事はない。
「それにしても、年に二回って、今までずっと?」
「あー……いや、最初に来たのは十何年前だよなあ、フリック」
「十二年かな」
「十二年前……そんなに長い間、ありがとう」
「マッシュ殿には俺らも世話になったし」
恩返しだと思うさ、と言ったフリックにビクトールが笑う。
「あ、依頼って誰から? ぜひ会ってお礼を言わなくちゃ」
あー……と遠い目で呟いて、ビクトールはフリックの様子を窺う。
「……いや、どうだろう?」
「どうだろうって、私は会えない人ということ?」
しかし、マッシュがこの片田舎で子供相手に塾を開いていた事など、ほとんどの人は知らないはずだ。
当時の解放軍のメンバーも、初期からの面子でもまず知らないだろう。
先日完成したアップルの手によるマッシュの伝記でも、町の名前には触れていない。
「お願い、会いたいわ」
懇願するアップルに、二人は困ったように顔を見合わせている。
「まあ……その、なんだ。どうしても会いたいっつーなら連れてってやるけど」
根負けしたようなビクトールが、弱ったといわんばかりの顔をして承諾する。
「ぜひお願いしたいわ」
「そもそも、依頼人がアップルの帰ってくるってのを聞きつけて、俺達をここに寄越したんだし」
連れてって文句は言われねーだろ、とフリックが半ば投遣りにぼやく。
「依頼人と会わせた後は俺達関与しないからな」
と、微妙な念を押されて、アップルは内心首を傾げつつも頷いたのだった。
二人に連れられ、馬車に揺られてアップルが着いた先はコウアンだった。
元々結構立派な町であったが、さらに栄えたような印象を受ける。
……まあアップルがここに来るのは実に五年ぶり以上になろうか。
「ここなの?」
「……アップル、いい加減察せよ、俺は可哀相になってきたぞ」
呆れたように呟くフリックは、相変わらず青いマントを外出着にしているらしい。
ここでその風貌は無駄に目立つのでは? と思ったが案の定町に着くと子ども達に囲まれてしまう。
「もしかして英雄のフリック様?」
「俺がいつ英雄になったんだろう……」
遠い目で呟いたフリックの横では、ビクトールはさらに酷い扱いになっていた。
「あっ、熊殺しのビクトールだ!」
「ビクトールだ、おかーさん、ビクトールだ!」
「フリック様だ、青雷のフリック様が来たよー」
「……なあ、アップル。俺は常々気になってたんだが、なんで俺が熊殺しなんだ? そしてフリックとのこの差はなんだ?」
「見目かしら」
素直に答えたつもりだったが、がっくりとビクトールは肩を落とす。
彼らがここで活躍したのは二十年近く前なわけで、二人とももう四十はとうに越し五十に接近中である。
にもかかわらず、フリックは相変わらず顔(だけ)はいいし、物言いや行動はむしろ年を経て落ち着き洗練された感がある。
対してビクトールは……まあ、変わらず野性味あふれるというか……逆に昔からより完成された大人であったと言えばきこえが良いが。
……話のタネなら見栄え的にフリックかな、と実際の彼らを知るアップルも思う。
そういえばグラスランドにいた時の演劇でも、二人の評判は概ねこんな感じだった。
当時の軍主が聞けばざぞかし――さぞかし、腹を抱えて笑うに違いない。
子供に取り囲まれている二人に苦笑して、アップルは自分の用事をこなす事にした。
「で、その依頼人ってどこにいるの?」
「とりあえずそこの飯屋で待ってようぜ。そのうち来るだろ、この騒ぎだし」
閉口したようなビクトールに、それもそうかとアップルは頷く。
「ビクトール、ビクトール、何のお話してくれる?」
群がっていた子供たちに袖を引かれて、ビクトールはそうだなあと考え込む。
「ぼく魔法使いの話がいい!」
「あたしは忍者がいい!」
「おれは英雄シグール様!」
口々に話をリクエストする子供達を丸い目で見ていたアップルに、フリックは自分にまとわりついてくる子供達を大人しくさせて苦笑した。
「依頼完了報告に来てるんだが、妙になつかれちまってな」
「ああ……そう、そうなの」
なんだかんだ言いながら楽しそうに話すビクトールに、アップルはわずかに目を細める。
「あ、おいビクトール」
「ん? ……あ」
後ろでビクトールの語りを聞いていたフリックが彼の背中をつつく。
「よし、続きは外で話そう」
「あ、待ってよフリック様ー」
わらわらと子供達が移動するフリックの後についていく。
どうしたのだろうと話にいつの間にか聞き入っていたアップルは、その視線を今にも立ち去ろうとしているビクトールの向こうに向けた。
薄いマントを肩にかけ、少しくすんだ色の髪を少し伸ばして。
数歩向かってきたその人は、軽く息を飲み足を止める。
それから、またこちらに向かって歩き出した。
「よぉ……アップル」
「シーナ……ど、どうして」
最後に会ったときと何も変わらない彼は、んーと困ったように笑った。
「どうしてって言われても、ここ俺の実家だし、親父は変わらずグレッグミンスターに詰めてるし」
いい加減何とかしないとと思って、と微妙な語尾で濁してシーナはアップルを見下ろす。
「アップルこそ、どうしたんだ」
「わ――私は、私はただ、マッシュ先生の家を手入れしてくれてた人に――」
そこまで言って、ますます困ったような顔になったシーナとそろり退散していたビクトールの背中を見、アップルは事の次第を悟った。
「まさか、シーナ」
「あー……まあ、そーですね。依頼してたのは俺だけど」
イチオウ、と認められてアップルは開いた口がふさがらない。
だって、彼らはこういっていたではないか。
それは、十二年前からだと。
「十二年も……?」
「あ、うん」
あっさりとそっちは認められ、アップルは唖然として立ち尽くす。
十二年。
それは、シーナと結婚する前からだ。
「私に一言もなしで?」
「スイマセン、その件については謝る、というか言い出すタイミングが微妙だったっていうか」
ぺこり頭を下げたシーナに、アップルはなんていえばいいか困った。
しばらく会わない間に、彼はどこか変わったのだろうか?
「なんで……?」
確かにシーナもレパントも、マッシュには恩がある。
だけどアップルはあの家の事をシーナにもレパントにも話した事はない。
「だってあそこはアップルの実家みたいなもんだろ。俺なんか不肖モンだけど、帰ってきてあの屋敷がなかったら、嫌だし」
それに、アップルはマッシュ軍師みたいに子供を教える仕事もしたいって言ってたから、その時はあそこから始めたいのかなって思ったし。
そう言ったシーナは、久しぶりに会った彼女が肩を震わせているのに気付く。
「いやその――断らなかったのは悪かった。あ、家の名義はお前になってるから……アップル?」
顔を覗き込もうと腰をかがめると、容赦ない一撃が右頬にヒットする。
「なんでっ――なんであんたは昔からそうなのよっ!」
怒鳴ったアップルの顔は、上がらない。
「てんで勝手で、放蕩者で、浮気ばっかりで不真面目で……なんでそういうところだけ押さえてんのよ!」
「――……お前、泣いてんの?」
ひょいと完全に顔を見られて、アップルは怒りに肩を震わせる。
「余計なお世話よこのダメ男!!」
怒鳴ってから、アップルはすとんと椅子の上に座る。
「――ほんと、ばっかじゃないの、私が帰らないかもしれないのに十二年も」
「でも、戻っただろ。っつーか平気か? 聞いたぞグラスランド、その……」
言葉を濁したシーナを見上げて、アップルは知ってるの? と尋ねる。
「まあ、黒幕がアイツだったってのなら」
「あ、でも、そのね」
彼は死んではいないと言おうとしたアップルに、苦い顔で彼女の正面に座ったシーナは続けた。
「……そしてシグールが現れて殴り倒したってことを」
「……あら、そう」
そこまで伝わっているなら、それ以上言う事はない。
昔の仲間の、あの小生意気な魔法使いは、半死半生をさまよって十分反省しただろう。
「それと。お前の弟子の、シーザーから手紙が来てたぞ」
「あらやだ、グラスランド出た後に届いたのね」
うちにあるから、後でもって行けよ、と言われてアップルは頷く。
そこでようやく化粧の崩れた自分の顔を自覚できて、慌ててハンカチで顔を覆う。
若い頃ならともかく、この歳で化粧の崩れた顔は他人に見せたくない。
「……アップル」
「なに」
「――……いや、トランに来たってことはセイカに腰を落ち着けるのかなと」
「ええ、まあそのつもり」
「そう、か」
妙に歯切れの悪いシーナに、アップルは眉を顰める。
「なによ」
「いや、なんでも。言うと怒るし」
「……言いなさいよ、聞いてから怒るわ」
「どうせ怒るのか……」
昔と変わらないやり取りをして、苦笑しつつシーナはじっとアップルを見てくる。
あの母親の躾なのか、彼は面と向かって話す時、妙に人を凝視するところがあった。
だからこそ女が落ちるのだと、かつてアップルも身をもって経験済みだ。
「親父の仕事の関係で、たまにグレッグミンスターに行くんだよ」
「それで?」
「たまに、セイカによってもいいかな、と」
「……シーナ、あなた本当に変わらないわね」
半眼になってアップルはこの元夫を見返す。
たしか今年で三十五のはずだ。
「私みたいな枯れたオバサンまで律儀に相手してくれないで結構よ」
かたりと音を立てて立ち上がったアップルを、シーナは反射的に出した手で掴む。
「そういう意味じゃない」
「どういう意味よ」
「俺が言うと、身勝手な我侭だってアップルは怒るぜ」
「聞いてから怒るわ」
「なら言わない」
子供か、と毒づきたかったがアップルは自分にゆっくり言い聞かせる。
(私は大人、私は大人、もう十代後半や二十になったばっかりの小娘じゃないのよ……!)
「いいわ、この件だけ怒らない。なに?」
その切り返しは予想外だったらしく、シーナはわずかに眉を上げてから、一拍おいて答えた。
「より戻してほしい」
(……冗談じゃないわよこの浮気者ー!!)
口に出す寸前まで言ったが、アップルは殺気を全身から放出するだけにとどまった。
(というかどの口が言うのどの口が!? 私をさんざ口説き倒して結婚してからも、一年も経たない間にそこの子あそこの子とそこらじゅうの女を引っかけていたのはどこの誰!?)
もちろん、シーナの浮気癖は分かっていたし、多少なら目を瞑ろうと覚悟していた。
あんなやつ止めとけ不幸になるぞ、という知り合いからのまったく正しい忠告は、胸にずしんと届いてはいたのだが、心の中ではなんとなく期待していた。
――結婚したら、彼を独り占めできるかもしれないという淡い期待を。
だがもちろんそれは期待で終わり、結婚前よりは確かに控えめになったものの、シーナの火遊びは一向に治まる気配もなく。
業を煮やしたアップルは、最終的に離婚を突きつけて家を出たのである。
(私がどれだけ悩んだかも知らずに、このすっとこどっこいー!! あんたなんかねぇ、あんたなんか外に出て帰らない旦那を待つ妻の気持ちなんかわかんないわよ、他の女と寝てるんじゃないかって想像する私の心配なんか欠片もしてなかったくせに!!)
「……あら、どの口でそれが言えるのかしら」
やっと感情を飲み下して、冷ややかな声でそう言ったアップルは、それ以上言うと怒りが爆発しそうだった。
「だと思った。だからいいって、忘れろ。じゃあ俺は仕事があるから――」
立ち上がったシーナは、悪かったなと呟いてアップルの腕を放す。
あまりにあっけなく彼が身を引いたので、アップルは愕然として掴まれた腕が痛い事にも気付かなかった。
昔の彼なら、それでもとごり押ししてきていたはずだ。
まあ離婚通知を叩きつけた時は、のっぴきならない現場を押さえられたため、ぐうの音も出なかったが。
逆に言えばそこまでしないと彼は納得してくれないだろうと思って、アップルはわざと現場を押さえたのだ。
それなのに――妙に、あっさりと。
「ちょっと――」
「ん?」
「……その――手紙は」
ああ、と足を止めてシーナは少しだけ考え込む。
「今晩はここの宿に泊まるか?」
「たぶん」
この時間からセイカに帰るのは難しいだろう。
「なら、明日の朝にでも届けさせる。じゃあな」
届けさせる。
つまり、シーナではない人が届けに来るという事だ。
「――シーナっ」
「なに?」
「……プライベートなものだから、信用できる人に届けさせてほしいのだけど」
言ってからやや自己嫌悪に陥る、遠まわしもいいとこだ。
それからもっと落ち込む、これじゃあまるで――
「はいはい、りょーかいしました」
にっと笑って、シーナは店を出て行った。
***
微妙に切ってみました。
……続き書いたほうがいいですかね(汗
なおビクトールとフリックはこの後何を思ったか戦士の村へ向かいます。
そこで昔の仲間とのめくるめく感動の再会です。
シーナ×アップル(断定)は「別れた」ってのがポイントで好きになりましたヨ!(待