ひらり舞い込んだ一通の紙。
手紙と言うにはあまりにオソマツなその紙切れを見て、テッドは絶句した。
「……うそだ」
彼の言葉には二重の意味が含まれていたが、隣で紙を読んだグレミオとクレオは蒼白になった。
互いに別の意味で。
<KIDNAPPED!>
――シグール=マクドールを預かった
返してほしくば1000000ポッチを用意して
明日の日暮れまでにサラディまで届けにこい――
その文面をもう一度そして二度読み返し、テッドは遠い目をしてクレオへ渡す。
「これどーよ、クレオさん」
「どうよって……行くしかないだろう?」
「そ、そ、そうですっ! ぼ、ぼ、坊ちゃんをお助けしなければ!」
「……いや、あたしが行くのは誘拐犯の骨を拾いにって意味だけど……」
興奮するグレミオに苦笑して、クレオはひらひらと紙を振る。
「可能性一、坊ちゃんの狂言」
「可能性二、あいつらの誰かとの共犯の狂言」
呆れたようにテッドが続けると、そうだねと彼女は肩を竦めた。
「可能性三、タチの悪いイタズラ」
「可能性四……」
「テッド君にクレオさん! 私は今すぐ百万ポッチを用意してきますからここにいてください!」
「グレミオ……頼むから落ち着いてくれ」
狼狽しているグレミオの肩に手を置いて、クレオは言い聞かせる。
「いいか? 「あの」坊ちゃんがだぞ? 建国の英雄のシグール様がだぞ? たかだか誘拐犯に後れを取るわけがないだろう?」
「し、しかし! 現に脅迫文が!」
「シグールやあいつらの字じゃないのは確かだな。クレオさん」
「ん?」
グレミオを抑えていたクレオにテッドは声をかけ、外套を手にして肩を竦めた。
「俺一人で様子見てくるよ」
「そうか」
「テッド君! 私も、私も坊ちゃんのっ」
「絶対、連れて帰ってくるからさ」
部屋を出て行きながら、テッドは振り向いて笑う。
「シチュー作って、待ってて」
「テッ、テッド君!! いけません相手はお金を、身代金を!」
「いいから! 落ち着けって言ってるだろうグレミオっ!!」
「離してくださいクレオさん!」
必死の形相で拘束を解こうとするグレミオに、キれたクレオは怒鳴りつけた。
「だから、坊ちゃんが誘拐犯ごときに誘拐されるはずないんだって!! 万一されても喰えちゃうんだから!」
「……あ」
そこでようやく、主がただの非力な少年ではなかった事をグレミオは思い出したらしかった。
――水がほしいな
呟いた彼を見張り番の男は見やる。
「ダメだ、食事の時間まで待て」
「こんなあっついところに監禁しておいて、無茶言わないでよ」
額に張り付いた黒髪にうっとうしそうにしながら、整った顔の少年は見上げてきた。
年の頃は十五六だろうか、武器らしき棍を一応持ってはいたが、あまりに非力で捕らえるのに造作はなかった。
名前を聞き出して、あのマクドール家の子と知り驚いた。
「まあ、そろそろ来る頃だろうしもういいよね。飽きたよ」
後ろからした声に男は驚いて振り向く。
そこには手枷足枷をいつの間にか外した少年がゆらりと立っていた。
「ああ、別の紋章つけておけばよかったな」
そう言うのを聞いた次の瞬間、見張り役の男は昏倒していた。
シグールにとっての誤算は、見張り役の男が倒れた時に予想よりかなり大きな音がした事だ。
しまったと思う間もなく、ほぼ全員がなだれ込んでくる。
「……しまったな」
棍は手の届かないところにあるし、ソウルイーターは相手が死んでしまうので使えない。
ここは体術で切り抜けるしかないのかなと、そのあまりの面倒臭さに溜息が出た。
向かってくる人数を適当に蹴り倒し張り倒し殴り倒しで、捌いていく。
見かけ十五六だろうがなんだろうが、二つの戦争を潜り抜けたその手腕は確かである。
――むしろ誰もシグールの正体に気付かないあたり、彼らの世間への疎さを嘆いていいだろうか。
やれやれと足元をすくおうとしてきた相手の手から棍を取り返し、シグールはひゅいとそれを構えて最後の大暴れを。
しようとしたその時。
ガンッ
死角から飛び込んできた鉄パイプを避ける事ができず、シグールの左足にそれは直撃する。
耳に響いた嫌な音と、脳に伝わる痛みに何が起こったのか正確に判断を下すと、痛みをシャットアウトしてシグールは真顔になった。
「ハンデ有り。じゃあ、手加減はいらないね」
使えなくなった左足から右足へと重心を動かした。
慌てた様子のクロスが駆け込んできて、いまだおろおろしているグレミオと、疲れ果てたクレオと、机の上に置いてある紙を見て顔色を変える。
「やっ、やられた!」
「クロス君……これはいったい、どういう」
「どうしよう、先越されちゃったよ!」
「仕方ないじゃないか、どっかの誰かがのろのろしてるから」
後ろから入ってきたルックの冷たい視線を受けた玄関口のジョウイが、僕ですかと引き攣った顔で答える。
「クレオさん、詳細は後で説明します。ルック、急いで飛ばして!」
「ちょっと、そんなに火急な!?」
さすがに焦りを浮かべたクレオに、クロスは真剣な顔で頷いた。
「はい、一刻を争います。シグールは本当に、誘拐されたんです」
「ぼっ、坊ちゃんが!?」
叫んだグレミオを押さえて、ジョウイはとりあえず椅子に座らせる。
「落ち着いてくださいグレミオさ……」
「坊ちゃんが、坊ちゃんが本当に誘拐だなんて、そんな、私は助けに!!」
「グレミオさん、落ち着いて……」
必死に押さえ込むジョウイを手助けしようと手を伸ばしたセノの手を掴んでルックが引っ張る。
「ダメ、あんたは要る」
「うん、急ごうルック」
「わかった」
こくり頷いて、ルックは目を閉じると小声で呟いた。
テッドが、サラディの外れにある、いかにも怪しい小屋の裏口に手をかけたのと。
ルックに連れられた三名が表口に到達したのは同時だった。
「「シグール!!」」
図らずも全員が同時に叫び、そしてクロスが表を蹴破りテッドは裏から駆け込む。
「おいっ、無事か!」
「うん、無事だよぅ☆」
血相を変えて入ってきたテッドに、部屋の真ん中にいたシグールは笑顔で振り返る。
ばかやろうと怒鳴ってテッドはシグールの頭を殴った。
「なんだこの惨状は!」
「えーだって」
「だってじゃねぇ! お前、おとり捜査はするなって言っただろうが!!」
「これが一番早いじゃん。それにー、僕はホントにさらわれたんだよ? マクドール家の坊ちゃんって世間じゃ英雄って言われてるのに、大胆だよねえ」
あははと笑ってシグールは倒れている男の横腹を持っていた棍で突く。
その彼の目がちーとも笑っていないのに気付いて、テッドは冷や汗を流した。
「永遠なる許し」
「許すものの印」
「母なる海」
横でクロスと共に駆け込んできた二名が治療魔法を発動させる。
「で、お前は怪我はないかシグール」
テッドに問われてシグールは彼の腕を引き寄せるとぐいと体重をかける。
「おいこら」
「テッド、おぶってって」
「はい?」
「僕、足が折れてるんだよね」
厳密に言うと、こことそこのに折られたんだけどね。
痛くて歩けそうにないからさ。
よく見れば棍を支えに使って立っていたシグールに溜息を吐いて、テッドは彼に背中を向ける。
「ほら」
「うん、ありがとー」
よいしょ、とおぶさったシグールをしっかりと背負って、テッドが帰るぞとまだ小屋の中で治療をしている三人に声をかける。
「え、だって」
まだケガ人が、と言いかけたセノにテッドはいつもの笑顔で言う。
「シグールの足を頼めるか」
「あ、はい!」
「ルック、テレポート」
「……はいはい」
「あ、ルック待って僕も」
ぱしゅん、と小さな音がした後に。
五人の姿は残っていなかった。
「いやあ、僕大活躍☆」
最近グレッグミンスター周辺で勃発していた誘拐事件を見事に解決したシグールは、満足そうにソファーに沈んで報告書を読んでいた。
「おとりなら僕がやるって言ってたのにー」
先越されたーと不満そうなクロスに、まあ解決してよかったですよとジョウイが言った。
「まさか本当に誘拐されるとは、というかお前がオトリになるとは思わなかった」
ぼやいたテッドに、僕もそう思いますとセノが同意する。
「シグールさん有名だから、そんなこと考える人がいたなんて」
「あはは、馬鹿だよねえホントに」
そういうシグールの足は紋章のおかげでほぼ完治しているが、今のところ一応安静だった。
「ったく、心配したんだぞ」
「ごめんねー、僕もまっさかあそこまで腕が落ちてたとは思わなかったんだよね」
最近なにもなかったからかな、と呟いたシグールは傍らのジョウイを見上げる。
「ね、ジョウイ」
「……ナンデスカ」
「完治したら、手合わせしない?」
「ごめんだ!!」
悲鳴に近い声を上げたジョウイにセノが不思議そうな顔をして、どうして嫌なのと尋ね。
今回の事で心底肝を冷やしたらしいテッドは、「じゃあ俺が審判な」と笑顔で告げた。
***
こんな感じで坊ちゃん誘拐(狂言)よろしいでしょうか……。
あまり誘拐犯相手にソウルを連発すると、捕らえた後の証言がいただけませんので。
あ、レパントの依頼なので逃げられなかったらしいです。
杏さんへの相互お礼小説でした。