<光の人>





物音がして、シエラは目を覚ます。
体中の倦怠感をふるい落として、ゆっくりと体を起こした。

「起きたか」
「仕事はいいのかえ」
ああ、とナッシュは頷く。
「なあ、シエラ」
「ふあぁ……なんじゃ」
欠伸をしながら返すと、ナッシュは妙に真面目な顔でなあと再び呼びかける。

「しつこいのお、言いたいことがあるなら言わんか」
何かを躊躇っているのが分かって、シエラは苛々をナッシュへ向けると、しばらく躊躇っていた彼は小さな箱を取り出した。
大きさはシエラの手にも納まる程度。
青い色で、凝ってはいないが綺麗な作りだ。

「――ちょっと、買ってきたんだ」
妙に躊躇うその様子に違和感を覚えたが、シエラはそれより箱の方に興味があった。
中身は何だろうか。
大きさからして、何らかの装飾具かそれとも食べ物……ではなさそうだが。

「来いよ」
「おんしが食い物以外を買うとは珍しいのう」
いつもの調子で返すが、ナッシュは苦笑する事もなく言った。
「シエラ、手」
「手?」

手がなんだというのだろう。
とっさに利き手の左手を差し出すと、ナッシュは無言でその手を掴み、箱を開けた。
その箱の中には。
一対の指輪が入っていた。
金と銀と。
金が一回り小さくて、どちらにも黒っぽい色の宝石がついている。

シエラの指に指輪を通す手前で動きを止めて、ナッシュはシエラの目を見据えた。
「俺、ナッシュ=ラトキエは、いかなる時もシエラ=ミケーネを愛し、力の及ぶ限り彼女を守ることを誓います」
一息に紡がれたその言葉を受けて、シエラはしばし言葉を失った。

もし彼が「結婚してくれ」とかそういう事を言ってきたら、いくらでもかわす方法はあった。
永遠を誓ってきたら、それはないと反論できた。

だけど彼は、永遠を誓わなかった。
シエラとの間の壁を、理解していたから。
それでもナッシュは愛を誓った。
そして守ることを。

ひやりとした感触と共に、指輪が自分の指に嵌ったのをシエラは見た。
――左手の薬指。
一度もそこに何かを嵌めたことはない。
こんな自分にはありえないと分かっていながらも、祈るようなささやかな気持ちで、ずっと取っておいた指だった。

……彼ならばいいのかもしれない。
否、いいのだろう。
分かっていた、ただ、過ぎる時が違って怖かっただけ。

シエラは箱に残るもう一つの指輪を取る。
言うべき言葉は、分かっていた。

「―――わらわ、シエラ=ミケーネは、いかなる時もナッシュ=ラトキエを愛し、わらわの生の続く限り彼を愛おしむことを誓います」

けして忘れやしないだろう。
たとえこの先のシエラの生が今まで以上に長くとも。
今シエラの指に輝く金の指輪と、同じ色の髪を持つ彼の事を。
ナッシュはシエラに「永遠」を押しつけなかった。
ただ愛を捧げ、守る事を誓った。

ならばシエラは、それに返そう。
彼女の持つ「永遠」を、彼に捧げると誓おう。
それが唯一彼女にできる事。

「――っ」
「……何をしておる、早う手を出さぬか」
目を見開いて唖然とシエラを見返すナッシュに、指輪を持ったまま催促する。
正直シエラも大仰な事を言ったせいで少し恥ずかしかったが、ナッシュにいたっては耳まで赤い。
「ナッシュ」
「……シエラ」
「指輪が嵌められぬだろう」
「あっ――あ、ああ」
ナッシュの手を取って、シエラは指輪を嵌めた。
彼の手を離さないまま、口元に笑みを浮かべる。
「誓いの口付けは要らぬのか?」
「……い、る」
呟いたナッシュの手がシエラの腰に回されて。
シエラは赤い目を閉じて彼に身を任せた。
 


「この石は何じゃ?」
指輪に嵌められた暗緑色の石が何か見当がつかなかったので聞いてみると、僅かな間を置いて答えが返ってくる。
「ダイオプサイド」
少し傾けると十字に光が入っているのが分かった。
「斜めに光が入っておるのぅ」
「ああ、だからスター・ダイオプサイドって呼ばれるそうだ」
十字に入るその光が、とても綺麗だとシエラは思った。

「して、この石、宝石言葉は何じゃ?」
「……知らない」
おそらく彼ならそこまでこだわって選んだはず。
そうでなければこんなマイナーな石を選ぶはずもあるまい。
案の定、尋ねてみると視線を泳がせる。
「嘘をつくでない、おんしのことじゃ、調べておろう? のう?」
重ねて聞けば、がくりと肩を落としてぼそぼそと答えた。
「幸運への道しるべ」
「……何?」

普通結婚指輪には。
……愛や絆を誓うものを使うのではないのか。
幸運への道しるべ。
その言葉を選んだ彼の思惑は、どんなものであったのか。
―――そう、きっと彼は。

「旅人とかのお守りによく使われてたんだそうだ」
「そうか」
気遣ったのだ。
「永遠」は二人にふさわしくない。
「愛情」は押し付けがましい。
だから、シエラのこの先の幸福を願ったものを。

左手に嵌っている指輪を眺めて、シエラは笑った。
「おんしにしては良い物じゃ」
「そりゃどうも……それでは夕食に行きますか」
立ち上がったナッシュにあわせてシエラも立つ。
部屋を出ようとしていた彼の腕に、自分の手を添えた。
「シエラ?」
振り向いたナッシュを見上げて、笑う。
「腕くらい組んでやろうと思ってのう」
「そりゃ感謝します」
ナッシュは笑みを返した。

もうしばらく彼の傍にいたい。
子供っぽくて、そのくせ大人な、奇妙で愛しいな彼の傍に。


――願わくば、この時が穏やかに続きますように。