<美しき人>





釈然としないというか、俺らの苦労を返せ的な終わり方を迎えたグラスランドの戦いから三年。
俺は相変わらず道中をシエラと共にしていた。
厳密に言うと、ふらふらしているシエラを俺が必死に探してとっ捕まえた、の方が正しい。いつものことだが。

「なあシエラ」
「なんじゃ」
「いつまでご一緒できるので?」
「そうじゃのう」
くすくすと馬の手綱をとっている俺の前でシエラが笑う。
銀の髪が風に靡く。青をアクセントにした白い服もその陶磁器の如き肌も、ピンクの唇と爪も鈴のような声も、伸びやかな白い四肢も、初めて彼女の姿を見た時から変わっていない。

――そういえば俺が彼女に会ってからもう十八年近く経つ。
そろそろ俺が四十だから、間違いない。

「わらわの気の向くまでじゃ」
「……一度でいいから俺の予定に合わせるとか言わないか」
「なぜわらわがおんしの意見を取り入れなくてはならぬのじゃ」
まあそれはそうなんですが。なんていうんだろう、最近この歳になるからってわけじゃないけどさ。
少しは労わりの粗悪品を持って俺に接してもらえないだろうか。

「シエラー」
「なんじゃ」
「……いや、今日はともかく明日は野宿になるかもしれないが、いいか?」
かまわぬよ、とシエラは言うとのんびりあくびをする。
なるべく彼女の生活スタイルに合わせて夜移動をしているのだが、今回はどうしても少しだけ急がなければいけなかった。

金の支給に時間期限つけやがってあの鬼畜上司……。
いや、そうでもしないと永遠に本部に戻らない俺にも責任があるんだが……だってシエラをハルモニアには連れて行けないから、本部に戻るイコールお別れになるわけで。

「眠いか?」
「少しのぅ」
「悪いな、昼過ぎには休めるようにするからな」
昨日の日没からぶっ通しで移動を続けている。
下手すると馬も潰れかねないので、たまにシエラだけ乗せて俺は歩くんだが。
一人ならとうに目的地に着いているんだろうが、まあシエラがいるなら仕方ない。
前倒しに予定を消化すれば済むのだし。

「ほら、見えてきたぞ」
「ほぉ、大きい町じゃの」
「ああ、俺は午後仕事があるから宿でゆっくりしておけ」
そうさせてもらおうかの。
シエラは呟いてくたっと俺の方にしなだれかかってくる。
「おい、シエラ!?」
馬から落ちる!
って、俺が抱きかかえればいいんだが……この体勢は少々……いや美味しいですが、とても美味しいですかちょっとこう我慢の限界点というものが存在してですね。

「気にせず進め……」
「眠いなら休むぞ?」
「かまわぬ……これで十分じゃ」
いやそりゃぁシエラは思い切り後ろに座る俺に体重をかけているわけで。
そりゃ十分かもしれないが。

俺は片手で手綱、片手にシエラを抱えて。
ついでに今は頭の中で理性と本能がせめぎあって論争中でなんか本能の方が勝ちそうな。
……落とさないように全力を尽くそう……。





宿で部屋をとって、眠そうなシエラを寝かせると、俺は町へ繰り出した。
仕事があるというのは大嘘。
実際はもう一つ向こうの町であって、ここはただの中継地点だ。
ちなみに中継地点と言っても遠回りの中継地点で、目的地とはかけ離れている。
なんでそんなところに来たのかというと。

「おやじさん」
俺が入った店の奥に立っていた店長は、俺を見ると笑顔になった。
「おお、おお、お久しぶりですね」
「そうだな、できたと連絡をもらったが」
「はい、はい、そりゃもう完璧ですとも」
奥の方からいそいそと主人は箱を出してくる。小さなそれの蓋を開けて、俺の前に差し出した。
「ご注文通り、きちんと仕上げておきました」
「どうも」
中を確かめて、俺は頷く。
注文通りきっちり仕上がっている……ここに頼んでよかったな。
「じゃあ後金はこれな」
懐から取り出した金を渡すと、主人は丁寧に金を勘定して頷いた。
「確かに」
「ありがとうな」
「いえ、また奥様のためのご購入、お待ちしております」
「あはは……」
宝石店から出て、俺は宿の方向へ歩きだす。

奥様、ねえ……。
とうの昔に告白してるし、体を重ねた回数も数えられないくらいある。
シエラは俺を嫌ってはないだろうし、むしろ好かれているだろうとは思う――血の味込みで。

だけど、一度も俺はシエラに愛していると言われた事はないし。
結婚しようとか一緒にいようとかそんなことを軽口でも言った事はない……一度だけあるが。
俺は半分冗談の半分本気だったのだけど、シエラの顔は強張ったから。
……その手の話はタブーなんだと思っていたんだが。

思ってはいるし分かってもいる。
だけど俺は、少し怖いんだ。
俺は、あと少ししかシエラと共にいられないから。
――だからシエラは、俺とそんな約束なんてしたくないのだろうけれど。

俺は。
彼女に。
傍にいてほしいんだ。
どんな形であっても……たとえ俺が死のうとも。
一緒にいた証を、何かの形で残したかったんだ。










夕食の時間の少し前にシエラは起きてきた。
仕事はいいのかえ、と聞かれて俺は頷いておく。

「なあ、シエラ」
「ふあぁ……なんじゃ」
「……なあ」
「さっきからしつこいのお、言いたいことがあるなら言わんか」
ベッドに腰かけて足をぷらぷらさせながら、シエラは俺を睨んでくる。
……睨まないでくれ、俺だって結構、色々格闘してるんだ。
だが、言い出したので覚悟を決めて町で買ってきた箱を取り出す。

「――ちょっと、買ってきたんだ」
「?」
「来いよ」

おんしが食い物以外を買うとは珍しいのうと好き勝手な暴言を吐きながら、シエラは俺の傍に寄ってくる。
どうやらかなり興味があるようで、視線は箱に一直線だ。
……っつーか気付けよ。

「シエラ、手」
「手?」
左手を上げてきょとんとした顔をするシエラに説明せず、俺は彼女の手を取ると箱を開けた。
中に収まっているリングのうち、金色の方を取り上げる。
「俺、ナッシュ=ラトキエは、いかなる時もシエラ=ミケーネを愛し、力の及ぶ限り彼女を守ることを誓います」

……言っちまったよ。
微妙な達成感と脱力感に襲われながら、俺はシエラの様子をそっと窺う。
ちなみに指輪はまだ指に通していない。

――シエラは、動かない。
拒絶されたなら、指輪は箱に戻そうと思っていたのだけど。これは、通しても、いいの、か?

俺はシエラの細い指に指輪を通す。
金の細い指輪に、薄青の石が綺麗に映えた。
……そしてこれまで無反応のシエラがいいかげん、怖い。

「シ――」
その時、シエラの手が箱に収まっていたもう一つの指輪に伸びた。
銀の指輪を取り上げて、シエラはその面持ちを伏せる。
「―――わらわ、シエラ=ミケーネは、いかなる時もナッシュ=ラトキエを愛し、わらわの生の続く限り彼を愛おしむことを誓います」
「――っ」
「……何をしておる、早う手を出さぬか」

今、なんて、言った?
シエラが。
俺の前で。
俺の名を呼んで。

「ナッシュ」
「……シエラ」
「指輪が嵌められぬだろう」
「あっ――あ、ああ」
俺の手を取って、シエラが指輪を嵌める。
「誓いの口付けは要らぬのか?」
「……い、る」

俺はシエラの腰を引き寄せて。
その甘い唇に顔を重ねた。



左薬指に嵌った指輪を眺めながら、シエラはこの石はなんじゃ? と聞いてくる。
……あんまり答えたくないんだが……
「ダイオプサイド」
たぶん知らないだろう、暗緑色のマイナーな石だ。
俺とシエラのと両方に、小さいが埋め込まれている。

「斜めに光が入っておるのぅ」
「ああ、だからスター・ダイオプサイドって呼ばれるそうだ」
十字に入るその光が、とても綺麗だと見た時に思ったから、これにしたのもある。
……実を言うと他にもっと理由があるんだが……。

「して、宝石言葉は何じゃ?」
「……知らない」
「嘘をつくでない、おんしのことじゃ、調べておろう?」
のう? とシエラに微笑まれて、俺は三秒後敗北した。
……常々思うが弱いぞ俺。
「幸運への道しるべ」
「……何?」
「旅人とかのお守りによく使われてたんだそうだ」
「そうか」
左手に嵌っている指輪を眺めて、シエラは笑った。
「おんしにしては良い物じゃ」
「そりゃどうも……それでは夕食に行きますか」
俺が立ち上がると、シエラも立ち上がる。
部屋を出ようとした時、すっと腕に彼女の手が触った。
「シエラ?」
「腕くらい組んでやろうと思ってのう」
「そりゃ感謝します」
俺を見上げて笑ったシエラに俺は笑い返した。
もうしばらく彼女の傍に俺はいたい。
時折小悪魔な側面を見せる、この無邪気で残酷な少女の傍に。



――願わくば、この時が緩やかに続きますように。