<紅き薔薇>





「……はあ、きっついぜまったく」
別に人手不足っつーわけでもないだろうに、なんで俺にこんなに労働が回ってくるんだ? 
戦闘なら他の元気な奴ら連れてけよ、勘弁してくれ、俺はもう若くないんだっつーの……。

なんとか重い体を引きずって、俺は自室へと上がる。
若い頃から色々なところに行ったし色々なことをしたし、なんていうか百戦錬磨である自信はあるんだが、どうも体力の低下は否めない。

正面から打ち合うんじゃなくて、相手の攻撃を避けて必殺を仕掛けるというスタイルにした意味はどこに……。
扉を開けたら即、ベッドに倒れこもう、そう決めた。

俺は固く決意してノブをひねり、次の瞬間月明かりの降り注ぐ部屋の真ん前で硬直した。
「なんっ、なっ、な、なっ!?」
「久しいのう、下僕男」
銀の髪を肩に降ろし、靡く薄いショールを肩に掛け、赤い目と白い肌を持った少女。
その美貌は人のくくりからは抜きん出て、まるで等身大の人形のよう――じゃないだろ俺っ、見惚れてる場合か!

「な、何やってんだお前はっ!?」
後ろ手に扉を閉め、最大限の小声で叫んだ俺に、冷たい目を向けてシエラはさてなと嘯く。
「さてなじゃないだろ、お前ここがどこかわかって……」
飄々としている彼女に、俺は訴えながら背筋が凍るのを感じる。
だってここには真の紋章持ちがうようよいて。ていうかササライがいるのだ。
彼にシエラのことが見つかったら何をされるか……いやどうにもできないかもしれないが。
「ところでナッシュ」
「なんだ?」
「おんし、いつの間に結婚なんぞしたのかえ?」
し、しまったーっ!?

白い蝙蝠の姿をとって、シエラはひらひらと城の周りを舞っていた。
幸い夕方になると普通の蝙蝠の姿もあり、シエラはさほど目立たない。
木の下や軒の下を回りながら、ちらほらと聞き知っている名前の噂で楽しんでいた。
ここにきたのは半分気まぐれだ。
ナッシュはしばらく前から任務でここにいるという。会うにしてもかなりの気まぐれだったので、別に一年くらいどうという事もなかったが、ハルモニアまでかなり本格的に動いたとの話を聞いて、少し興味が沸いた。

ここに来るまでに聞いた噂を統合すると、十中八九「破壊者」とは風使いの彼のことであろう。
付き従う人物も、一名は対面したことすらある。
あの時はずいぶん偉そうな暴言を吐いてくれた男で、思い出すとむかつくが……まあそれはいいのだが。

「ねえねえ、ナッシュさんの奥さんってどんな人だと思う?」
「結構気性が激しいって聞いたけど……」
「あらでも、いい女とも言ってたわよー」
くすくすと女性達が笑いあうのを聞きつけて、シエラはひらと近くの木に止まる。
「あれだけしょっちゅうカミさんカミさんって言ってるんだもの、メロメロなのねぇ」
「あーあー、うらやましーわー」
「さりげなく紳士だし、優しいし、強いしちょっとお間抜けでほっとけないところもいいわよねぇ」
あと十年早く出会えてたら私達だって脈があったかもしれないのにねー。
そう言って彼女達は笑う。

「うらやましいわよねーあんなに愛されてて」
「ほんとにね、どんな方かしら。やっぱり落ち着いてて清楚で知的で……」
「それくらいじゃないとやってられないわよ、もう何ヶ月ナッシュさんこの城に逗留してると思ってるの」
奥さん、お可哀相よねー。
そんな噂話を聞きながら、シエラはゆらとその場を離れた。





「というわけじゃ」
いったいどんな女性を言いくるめたのかのう、この詐欺師。
そう言われて俺は頭の中が真っ白け状態で必死に弁解を試みた。
「ちがっ、違うってば! てゆーかお前」
「なんじゃ?」
こんなところにわざわざ、そんなことを言いに乗り込んでくるなんて……。
「えーっと……やきもち?」

ピシャン

「何するんだいきなり!」
当てるかフツー!?
しかもここ室内だぞ、家具とか燃え移ったらどうするんだよ。
「妻がいるくせにわらわに言い寄ってきておったのか」
「ちょっ、よく考えろシエラ! こんな仕事してる俺が結婚できるとでも思ってんのか!?」

ふむ、と一旦手を止めて、シエラは考え込む。
この機を逃すまいと俺は畳みかける……この職に就いて苦節二十年近く、よく動くようになった俺の舌万歳。
「そうだろ、な、今回接近する相手を安心させなきゃいけなかったから、所帯持ってる振りをしたんだよ」
「で、その女は美人かえ?」
「え、ま、まあ……ってなんで女だってわかるんだ!?」
シエラの赤い唇が横に引き伸ばされる。笑っている――のかもしれないが、俺はただ恐ろしい。
お喋りな俺の馬鹿やろう。
「所帯持ちで接近しなくてはいけない相手とは、すなわち若い女じゃろう?」
「…………」

さすがです。ビンゴです。その通りなんです。
ついでに二人旅までする羽目になったんです。
……そこまでは言うまい、必要ないからな。

「しかしそれが真であるとしても、嘘の上手くなったものよのぉ」
「ああ、カミさんの話か」

っつーか気付いてないのか? 
俺はてっきりそれに気付いて照れ半分で怒って乗り込まれたものと思ってたんだが……そうですかそれは期待が桃色過ぎましたか、そうだなシエラにそんな夢を求めた俺が馬鹿だった……。
待て、気付いてないってことは、今ばれたら、俺は、ヤバ、い?

「皆「ナッシュは愛妻家だ」と言うておったぞ」
「ははは、スパイ冥利だな」

笑っとけ俺! 話題を逸らすんだ全力で!
これ以上シエラに突っ込まれるとやばいぞ!

「して、かほどに皆をだませた訳でも聞いてみようかのぅ」
「……はい?」
隠すない、と言ってシエラは椅子に腰かける。
「普通、架空の人物を語る際には具体的な誰かを思い浮かべるものじゃからな」
さすが八百歳。痛いところを、ていうか核心を……。
「さ、さあな。その場の勢いで適当に作っただけだからな! はははははは!」

笑え俺!
笑うんだ!
今度は雷じゃ済まないようなそこはかとない予感というか予想がする!

「そうかえ」
呟いたシエラは目を細めて、次の瞬間俺の背後に回りこんでいた。
細い指がす、と俺の首に当てられる。
「シ、シエラ?」
「はようベッドに腰かけんか」
微妙に朗らかな調子で言い渡されたその言葉に、俺は嫌な予感を抱く。
普通なら当然お誘いと取れるのだが、相手が相手だしこの場合は――聞くまでもないのだが……一応念のために。

「あの、何をするんだ?」
「決まっておろう、わらわは腹が減っておるのじゃ」
「やめてくれ!」

頼むから本気でそれはやめてくれ!
俺は今疲れてふらふらで若干貧血気味な気がするんだ!
今吸われたら死ぬ!

「シエラ……他のものなら何でもやるからそれは今ちょっと堪忍してくれ」
「つまらんのぅ、おんしが他にわらわにどんな有益なものを提供できると言うのじゃ」

う。
それは。

「腹が減ったのう」
「厨房に下りて何か作るから」
それで満腹になってくれ頼む!
「そうじゃの、ならば野菜炒めでも作れ」
「はいはい」

こんな夜遅くに部屋の外をうろついている奴も少ないだろう。
警備の位置は分かってるし、上手く抜けて厨房に行けそうだ。
「静かに付いてこいよ」
「当たり前じゃ」

……頼むぜほんと。



当然廊下はしんと静まり返っている。
俺は足音をたてずに歩くくらいは朝飯前だが、シエラの小さな足音も気になる。
「もうちょっと静かに歩け」
「……無理を言うな」
気を遣えるほど腹が満ちておらぬのじゃ。
そう言うとシエラは俺の首筋に指を這わせる。
「少しもらえれば元気が出るがのう」
「やめろ! ったく……」
ちょっと油断するとこうかよ。油断も隙もない相手だ。いや、俺としては油断も隙も見せるのは問題ないんだがその、事が血に及ぶのでリアルに俺の命なわけで。

「シエラ」
「なんじゃ」
音を立てないで歩けないなら解決策は一つしかない。
いくら深夜でも起きていない人間がいないわけではない。このまま歩くと見つかる。
厨房付近で見つかるのはどうでもいいんだ、ササライの周辺で見つからなければ。

「失礼してもよろしいですかお姫様」
俺がそう言うと、シエラは暗闇でも目立つ赤い目でこちらを見上げて笑った。
「ほう、若造の癖に粋がるのう」
「それは承諾だな?」

片手をシエラの背に当て、一気に横に抱き上げる……まあいわゆるお姫様抱っこというやつだ。
くすくすと俺の腕の中で笑って、お姫様は体を揺らす。
足音を殺す意味がないような。
楽しそうなので文句は言えないが。
「何が楽しいんだ」
「おや、静かにしなければいけなかったのではないかえ?」
くそう。

厨房近くで俺はシエラを下ろす。相変わらず、軽い。
普通これくらいの体躯だったら、もうちょっと重いはずなんだが、身のこなしのせいなんだろうか、脱ぐと結構あるし。
……今の思考聞かれたら殺されるな。

「はようせい、わらわは腹が減ったぞえ」
「はいはい、女王様の仰せの通り……」

厨房に先に入っていったシエラの後を追おうとして、俺は足を止める。
廊下の端に人影……ここは警護区域ではないはず。
ふらり、と人影が揺れる。
夜目の利く俺の目に、かろうじてぼんやり浮かび上がった人影は、見覚えのある相手だった。
「ユミィさん?」

彼女がどうしてこんなところに?
しかもよく見れば、いつもの服装より遥かに軽装……これはもしや寝巻きでは……?

「何をしておる」
「しっ」
ばっ、馬鹿シエラ! どうしてそこで顔を出す!
「おや――どうしたその女子」
「どうしたって……あれ? ユミィさん?」
ユミィさんはシエラを見ても無反応だ。
否――視線が彷徨っている……っつーか声かけた俺の存在も無視ですか。
「ほぅ、どうやら夢遊病のようじゃな」
「夢遊病?」
「そうじゃ、夜中に寝ているのに体が歩き回ってしまうことじゃ」

そういえばそんな症状聞いた事があるような……あれじゃどこかにぶつかりそうだな。
もしや寝所に引っ張って帰った方がいいんじゃ……いやでも、彼女の部屋に男の俺が入るのはどうかだし、だいたい今はシエラがいるわけで。

「何をしておる、はよう作れ」
「いや、ちょっとま――あれ?」
俺が顔を上げると、ユミィさんの姿はもうなかった。

……まあ、いいか。
とりあえず厨房に入って野菜が入っている箱を覗く。
朝起きた料理人達が気付かない程度に失敬しておかないとな。
そういえば一昨日野菜が運ばれたばかりだから、結構新鮮なのも残っているはずだ。

「お、白菜あるぞ」
「南瓜もほしいのぉ」
「南瓜ね……あと玉葱とか適当に炒めるのでいいか」
よいぞ、と頷いて満足そうなシエラは、脇に置いてあった空箱に腰かける。
……そうしてると可愛いのに。
「はようせい、はよう」
「はいはい」



神様、なんで深夜の厨房で、俺は愛しい女に野菜炒めを作っているんだろうか。
これで彼女の腹を満たしても、どうせ後で血を吸われるような予感がするのは気のせいでしょうか。
……がんばれ、俺。