天災は突然やってくるが、人災は来てほしくない時にやってくる
―――――太陽暦523年 神官将ササライ
<嗚呼 人災は突然に>
厳しい寒気も緩み、ハルモニアにも春がやってくる。
南方の国々と比べると遅い春ではあるが、その分春の輝かしさは格別だ。
柔らかな春の陽射しを浴びながら、ササライは仕事を進めていた。
細く開けた窓からは、いまだ冷たさの残る風が吹き込むが、冬と比べるとずっと暖かい。
部下の一人がサインをした書類を持っていくのを見送ってから、ササライはペンを置いて伸びをする。
ちらりと外へ向けた視線は、青い空を認める。
バシャ
「……春だな」
響いた水音は聞かなかった事にして、呟いて僅かに口元に浮かんだ笑みは、しばらくそこに残っていた。
ハルモニア神聖国。
クリスタルバレーを聖都として抱き、独特の「神官政治」を行っている。
その頂点に位置するのは神官長であり、次席にあるのが神官将。
神官将は将軍との名を冠していることから明らかなように、有事の際には一軍の将軍職にも就く。
神官将は一人というわけではないが、その中でもダントツ人気を誇る人物がいた。
「ほらっ、きたわきたわっ、ササライ様よっ」
「まあ、なんて優美な物腰、麗しいお顔」
「幼さの残った顔立ち、それでいて紳士な態度……」
「それでいて実力では神官将No1!」
物陰に隠れて声を潜め囁きあう侍女達の声が耳に入ったのかなんなのか、素通りしようとしていたササライがふいっと足を止める。
「……誰かいるのですか?」
「! もっ、もうしわけありませんっ」
仕事をサボっていたも同然なので、真っ青になって頭を下げる侍女達。
そのうちの一人があわわっと足を滑らせ、転倒しそうになる。
「気をつけて」
ふわりと受け止め、優しく笑ったササライは、笑顔の残照をその場に残したまま立ち去った。
「ステキ……」
「……まさに貴公子……」
ほうっと惚けた顔でそんなササライを見送っていた侍女達は、気付いていなかった。
彼女達の隠れていた柱の、さらに後ろに潜む人影を。
ふと正気に若干戻った一人が眉を顰める。
「……あら、ササライ様どちらへいかれるのかしら……?」
「どちらって?」
「だって、この先は庭園じゃないわ、裏手道よ?」
「裏手道、って……」
通常使用人、それも城内での地位が最下層の者しか通らない道である。
そんなところをなぜ、神官将などが通るのか。
「もしかして」
「ええ、もしかして」
「「お忍びかしら?」」
女性は噂話が好き。
恋バナなんてもう最高。
目を合わせて口を揃えて、楽しそうな顔をした侍女達は、足音を殺してササライの後を追った。
一部始終を見ていた人影はくすりと微笑み、しなやかな身のこなしで天井裏へと抜ける。
ひらり翻った赤いバンダナが、暗闇へ最後に消えていった。
つけていた侍女は最初四人だったのが、数名巻き込んで六人の大所帯。
こっそりこっそり裏手道を抜け、城外へと出る道へ続く。
このまま下れば町へと出るが、そこまで行くのだろうか。
「あ、曲がったわ!」
「え、でもあれって森の方に抜ける道よね」
「ロマンチックじゃない、森での密会v」
「きっとササライ様のお相手ですもの、美人よね〜」
「あら、ササライ様ほどの方が公然とお会いになられないんだから」
きっと、禁断の恋よ。
そう囁いて、乙女達の瞳が輝く。
「平民の方とか」
「もしかすると不倫かも」
「いいえ、きっと他国の姫よ」
「あら、もしかするとエルフとか」
憶測を飛び交わせつつも、しっかと後をつけていく。
森の入口付近で左右をきょろきょろ見回していたササライは、遠目にもはっきりと分かるほど喜色を顔に滲ませて、木の幹の陰から出てきた人物に被っていた帽子が落ちるほどの勢いで抱きついた。
「きゃ〜っv」
「えっ?!」
「ちょっと待ちなさいよ、あれって……」
小柄なササライより、高い身長。
さらり流れる灰茶の髪は、短くはないが長くもない。
黒い上着を羽織った肩は広く、ひざまでのズボンから伸びる足は長く。
「あ、あれって……」
((男っ!?))
内心の叫びをやっとの事で押し止め、侍女達は獲物を狙う狩人の目つきで様子を覗う。
陶磁器のように白いササライの肌に青年が手を添え、ゆっくりと上を向かせる。
「「!」」
声にならない喜声を発した侍女達の目前で、二人はゆっくりと口付けた。
「さ、ササライ様に恋人が……」
「しかも男……」
「ああ、でも美青年v」
「二人並ぶとほんと絵になってる〜v」
きゃいきゃい時も忘れてはしゃいでいた彼女達だったが、互いの腰に手を回して潜んでいた茂みへ歩いてくるのを悟り、慌てて身を低くする。
「……て、大変?」
「大変だけど、楽しいよ。でも……あまり会えないのが、寂しい」
「そっか、また来るからね」
「……うん、待ってるよ」
よりによって侍女達が潜んでいる茂みのまん前で、相手を見つめ合う事数分。
もう一度唇を合わせて、惜しむように離れる二人。
「じゃあ、頑張っておいで、「ササライ神官将様」」
「それ、嫌味」
「あはは、じゃあね」
拾っておいた帽子をササライの頭に被せて整えると、ちゅっと目尻の辺りにキスをして、ひらひら手を振りつつ青年は森の奥へと入っていってしまう。
見送っていたササライは、ふうと溜息を吐いて踵を返す。
その瞬間、さっと表情が変わり、先程の幸せそうな表情から、いつもの柔和な顔に変わった。
「……ああ、この時だけがササライ様の真に心休まる時なのですね」
恍惚として呟いた彼女達の解釈は、ある意味正しい、たぶん。
「はい・・・?」
「ですから、そういうことでしたら無理にお忍びされなくとも」
「ちょっと待った、なんで僕、じゃない私が」
苦笑している部下にいきなり切り出されて、今日丸一日なんでか部下が濡らして台無しにした書類の復元に追われていたササライは唖然とする。
「私は同性愛でも本人が望むのなら支持を」
「ちょっと待ってくれ、本当に、何の話をしてるんだ?」
誤魔化している上司にしかたないですねえと部下は苦笑する。
「ですから、本日ササライ様がお忍びで会われた恋人の方ですが」
「僕に恋人なんかいない」
「またまた、誤魔化されなくともよろしいですよ、皆で応援しております」
何を!?
叫びたくなってササライはとりあえず部屋の外に出る。
これ以上部下の「わかってますからね」な生温かい視線には堪えられない。
だが、外に出たら出たですごい事になっていた。
「ササライ様! 険しい道でもめげないで下さい!」
「応援しております!」
「とってもお綺麗な恋人ですとか」
「……だから、何の話なんだ、と……」
なんで僕が男色家でしかも恋人持ちな話になってるんだ。
怒りを必死に堪えるササライを囲んでいた人垣が、ざっと割れる。
「なに……」
「ほら、ササライ様っ、いらっしゃいましたわよっ」
「お二人でごゆっくりお話なさいませっ」
「は?!」
侍女がひっぱって来た青年は、赤いバンダナを巻き黒い上着を着て。
……赤いバンダナを巻き、黒い上着を。
この人は。
この人は。
「ササライ、ちょっと積もる話もあるし、君の部屋に行ってもいいかな?」
無造作に伸ばした左手でササライの肩を掴み引き寄せ、甘言を囁くような声で耳元に呟く。
思わず手で耳を押さえそうになって、必死に自制心で堪える。
この男は。
「……なんの、目的」
そこまで呟いて気付いた。
今日、自分は丸一日部屋に閉じこもっていた。
今日、なぜか「恋人」と僕が目撃されている。
……つまり。
「うん、そう」
事態を自分なりに解釈し、苦々しい思いで口に出してやると、クロスはあっけからんと頷いた。
「ばれちゃってたねールック」
「気付かなかったら馬鹿でしょ」
そう言ってふわっとその場に現れたのは、自分と瓜二つの存在。
同じ顔、同じ声。
……同じ服。
「……ルッ、ク」
「長居は無用、帰ろうかクロス」
「そうだね、それじゃあねササライ」
つまり。
書類に水をぶちまけたのは、自分を一日篭らせるため。
わざわざ噂好きそうな侍女の前を通り過ぎ、ゴシップになるような事をやらかして。
最後は正々堂々テレポーションでサヨウナラ。
「…………」
沈黙しか落ちないササライの執務室。
今更、誤解を解くなんて仕掛けた張本人がいないのなら全く説得力もない。
つまり、つまり、この誤解は。
「……覚えてろ」
小声で呪うくらいしか、ササライにはできなかった。
***
ササライに同情しますが、こんな性格にルックがなったのはレックナートと坊とクロスのせいです。
(責任転嫁)