<入替>





後々までも、ルックはこの日を人生で最も怖かった日の一つだと語る。



「るーっく、ご飯だよー?」
 いつもなら実験中は一区切りつくまで部屋を動かないのだが、クロスの妙なモットーにより「食事は皆で」は余程の事情がない限り施行される。
今日はシグールを始めとする例の面子がきているので、なおの事そうだろう。
実験室に呼びに来たクロスに「はいはい」と答えて、目の前の薬品に集中した、その時。
「おお、相変わらずすごいな」
「うわーいっぱいあるー」
「……怪しいというかすごいというか」
「不健康だな……」
「……出てけ」

クロスだけならまだしも、勝手にずかずか入ってきた残り四人をねめつけて、ルックは薬品をぽたりと混合液に落とす。
ぽふ、と小さな音がして煙が上がり、横からひょいと覗き込んだシグールが眉を顰めた。
「なにそれ」
「どうでもいいでしょ」
「解毒剤みたいだけど」
机の上に置いてあった本をぱらぱらと見たジョウイが言い、シグールはへーえと呟いて顔を引っ込める。

そして、全ては連鎖的に起こった。

まず、ジョウイが本を閉じ机の上に置こうとすると、
その端にシグールのバンダナが挟まれていたのでシグールのバランスが若干崩れ、
空を切った彼の手をテッドが捕まえ引っ張り上げようとすれば同じくバランスを崩し、
それを見たクロスが慌てて体勢を変えて手を差し伸べ、
それにより小突かれた格好となったセノがうわっと叫びつつ転びそうになり、
慌てたジョウイが本から手を離してセノを捕まえその本が床に落ち、跳ね、……

ドンッ

「うわっ!?」

薬品の入った瓶片手に混ぜていたルックの膝あたりに当たり、驚いたルックが瓶を落とし。

しゅわーーーーーっ

「! ……ヤバッ」
 
とっさに床に広がった溶液の煙から顔を庇ったルックは、そのまま意識を失った。















「う……」
顔を覆っていた分マシだったのだろう、一番早く目を覚ましたルックが、ぼうっとする頭を振りつつ立ち上がる。
五人とも眠りこけているが、どうやら他に問題はないらしい。
「ただの睡眠薬か……」
文献には「精神を離脱させる」とかわけが分からない事が書いてあったのだが。
「クロス、おきて、クロス」
とりあえず一番ルックにとって重要な人物を揺すると、ううんと低く唸ってぱかりと深い海色の瞳を開く。
「ルック……?」
「大丈夫?」
「……はいっ?」
しばらく黙ったあと、信じられないと言わんばかりに目を見開き、口をパクパクさせてルックを見る。
クロスの奇行には慣れていたが、こういう反応をされるといささか傷つく。
「何、僕が謝っちゃいけないとでも?」
「いや……僕に謝ったことがっていうか――セノ、大丈夫かい?」
自分の膝の上に抱え込んでいたセノの体を揺すると、ううんと声は返ってきたがその目が開く様子はない。

「ルック、一体何があったんだ?」
「さあ? ただの睡眠薬だと思うけど」
そう言いながらルックは爪先で寝転がっているテッドを蹴っている。
「ほら、何してんのおきなって」
「いたた……転んでどっかぶったなこれ……」
向こうのほうでうずくまっていたジョウイが体を起こす。
あんたも問題なさそうだねと言い捨てたルックだったが、クロスは愕然としてその姿を見つめていた。

「は――え――ええっ!?」
「どうしたのクロス」
「……ルック」
ジョウイが口を静かに開き、何さとルックに言われて首を傾げる。
「それ、本当に睡眠薬?」
「……さあ、なんで」
「いや、気のせいか僕がクロスであっちがジョウイだと」
「……は?」
 
たっぷり数十秒の沈黙の後、そう返したルックはクロスを指差す。
「あんた、ジョウイ?」
「……だよ」
「じゃああんたが、クロス?」
「だね」

「…………」

一瞬泣きそうな顔になったルックは、くると二人に背中を向けて、思い切りいまだ意識の戻らないテッドの横っ腹に蹴りを入れる。
そりゃどう見ても八つ当たりだぞお前とツッコミを入れたかったジョウイとクロスだが、お互い脳内ではなんとなく同情もしていた。
そりゃ、クロスだってルックの中身がジョウイとかになっていたら嫌だし。
ジョウイだって、セノの中身がシグールとかだったら最悪だ。

「ぐっ……いたたたっ、なにするのさあっ」
激痛に顔をしかめ起き上がったテッドの胸倉を引っつかんで、ルックが言う。
「あんた、誰!?」
「ルック、どーしたの? 僕は――……」
「うわああああああああああああああああああああっ」

その言葉はクロス――の顔したジョウイ――の叫び声によって遮られる。

声がテッドだろうとも。
顔がテッドだろうとも。
名前なんざ聞かなくてもわかる。

「煩いっ、クロスの顔で喚くな!」
「あーあーあーあーあぼ〜くはなーんにもきっこえーない〜」
両手で両耳を塞ぎ、現実逃避に走ったジョウイは目を泳がせる。
その大声にさすがにジョウイの膝の上に寝ていたセノが瞼を震わせた。

「ん……うるさい……」
その唇から零れた声は間違いなくセノの声。
眉をしかめたその顔もまた色気があって好ましい。
……じゃないだろ僕!

脇に逸れだした自分の思考に渇を入れ、ジョウイはまじまじとセノの顔を見た。

「あれ〜? ルックなんで僕がクロスさんの膝の上にいるのに僕はこっちにいるの?」
「……なんでだと思うわけ」
「入れ替わっちゃったのかな? あ、これテッドさんの体だね?」
そう、テッドの中にいるのはセノなのだ。
無邪気な表情がはっきり言うと違和感あるけどなんか微妙に新鮮なテッドなのだ。
「? じゃあ今クロスさんが膝の乗せてる僕の中には他の人が入ってるの?」
「いや、僕の体の中にいるのはジョウイだけどね」
苦笑したジョウイ――中身クロス――の言葉に、首を傾げる。
「ジョウイ?」
「……セノ」
「僕、起きそう?」
「……たぶん」

眺めていたクロスとルックは脳内で瞬時に計算する。
ルックは難を逃れそのまま、クロスとジョウイは互いに入れ替わっている。
セノがテッドの体の中に入っているという事は、セノの体の中にいるのはテッドの可能性が高い……入れ替わりに規則性があるとすれば。
だが、クロスもルックもジョウイの運が肝心な時には最低メーターをブッちぎるのを知っていた。

だとすれば、まだ起き上がっていないのはシグールの体にセノの体。
起き上がっていない意識はシグールにテッド。
ジョウイにとっての最悪パターンは、愛しのセノの体の中にシグールの心なのは間違いない。
……どう考えても、セノの中身はシグールだ。

「んう……クロ……す?」
「あ、気付いたか、大丈夫?」
どうやらジョウイはまだ頭がそこまで回っていないらしい。
あるいは、回っていないほうが幸福なのか。
「クロス……? どーしたの?」
「……ジョウイ、離れた方が賢明だと僕は思う」
「右に同じく」
「どちらさまですかー?」
一人ずれた言葉を発するセノinテッド。
そんな彼をじっと見て、目を瞬かせた外見セノは、自分の目をくしくしと擦ってからもう一度マジマジとテッドを見て、続いてむくりと起き上がる。

そして、目の前のクロスを見、少し離れた位置に立っているジョウイとその真横のルック、そしてその足元に座り込んでいるおっとりとした表情を浮かべたテッドへ視線を向ける。
最後に自分の手を数秒見てから、笑った。

「――あーっはっはっはっは」
「ちょ――」
さすがのジョウイも、セノの体の中の人物がわかったらしい。
「シグール……か?」
「みたいだねえ」
にこり、と微笑んだセノの顔は。
今まで見た事がないほど黒かった。










結果としてシグールの中に入っていたのはテッドという事が判明したので、シグールご本人の手で叩き起こされ、頭六つつき合わせての相談になった。

「同じことをすれば元に戻るんじゃないの?」
「……薬の効果切れるの待つほうが利口だよ」
溜息を吐いて言ったルックの視線は、落ちつかなげに彷徨っている。
彼の隣には今クロスが座っているのだが、外見がジョウイなのである。
そんでもって、机の向かい側にはセノの横のジョウイ――外見クロス――がいるのだから始末が悪い。
「でも、効果が切れるって何時だ……?」
「さあね、文献どおりに僕の調合がなってれば一日」
「一日くらいならいいですよね〜」
「だよねー」
「……地獄だ……」
セノと微笑みあうシグール(しつこいが外見テッドに外見セノ)を見てジョウイが机に突っ伏す。

それを見てかぎりなーく嫌な顔をしたルックが視線を逸らし、その様子に破顔したクロスが肩に手を回す。
「るーっくん」
「……クロス、お願いだからその顔でその科白は止めて……」
両手で抱きついてきたクロスを押しのけ、ルックは顔を歪めて言う。
それを見ていたシグールが、立ち上がって満面の笑みでジョウイに抱きついた。
外から見るとクロスに抱きつくセノというほのぼのしい図なのだが。

「じょういーv」
「うわっ、セノじゃないシグールっ!!」
「じょういーv」
「気持ち悪いからやめ……」
「ジョウイは僕のこと、嫌い?」
潤んだ涙目に小首傾げ。
うっとつまった自分に素直なジョウイは、振りほどく事ができない。

「……ヤメレ」
ずべしと後ろからチョップをかましてシグールを引きずっていくテッド。
「うわーんっ、シグールさんのいじわるーっ! ジョウイ助けてよーっ」
足をバタバタさせつつテッドに引っ張られていくシグール。
……シグールに引っ張られるセノという貴重な物をそこにいた人物は目撃したわけだが、平静にそれを楽しめたのは多たぶんクロスくらいだろう。
「……ルック、ほんっとうに効果切れるまで待つのか」

シグールを元の席に押し込んで、ぐったりとしたテッドが呟く。
ルックは文献を引き寄せページをいくらかめくって、眉を寄せ仕方ないでしょと答える。
「もう一回やって、元通りになる保証もないんだし」
「あ、そっか……」
「これ以上酷くなるわけないだろうっ!」
 ダンっと机を叩いて抗議し、次の瞬間さめざめと泣き出したジョウイを見て、ルックは手に持っていた文献をぶん投げた。


「だからっ、クロスの顔でそういうことするなーっ!!」


 

 





***
……疲れた(私が
坊ちゃんはきっと八つ当たりもかねてすっごく楽しんでいます。
テッドの姿のセノがジョウイの隣にいたらそらもう
……。