<日常と友人:ジョウ主編>
麗らかな午後を。
愛しい人と二人楽しんでいた、過去形で。
「あはは、それで?」
「えっと、それでですねー……」
「なんでそうなるわけ」
「だって、あれは……」
たまにぶらり訪れる訪問者。
セノが楽しそうなので文句は言えないが、はっきり言ってとっとと帰れと口に出したい、ものすごく。
「ね、ジョウイ。この間ナナミが持ってきてくれた花瓶、まだ箱に入ったまんまだった?」
いきなり水を向けられ、ジョウイは目をぱちくりさせた後、ちょっと考えて答える。
「たぶん……物置の入口に置きっぱなしだとも思うけど――持ってくる?」
「え、」
「いいよ、見に行くよ」
笑ってそれに答え、クロスは立ち上がる。
セノが先に立って歩くのをついていったクロスを見送って、ジョウイははあと溜息を吐いた。
「早く帰ってほしそうだね」
「……わかってんならとっとと帰れ……」
「いやだ」
言うと思った、とジョウイが呟いたその瞬間、ガシャンと何かが割れるような音が響く。
「セノっ!?」
「クロスっ!!」
顔色を変え二人同時に立ち上がり、足の速さはジョウイの勝利だったが、いち早く物置の扉を開けたジョウイはその場で凍りついた。
「ジョウイっ、布っ、タオル持ってきてっ!」
「セッ……」
クロスが自分の服を破いてセノの傷口を塞ごうとしていたが、動脈を切ったのかどくっと新しい血が溢れ出る。
横たえられたセノの右足と両腕が、酷く出血していた。
服が赤いせいで、どこまでが血の赤か分からない。
「クロスっ!」
固まったジョウイとは違い、何をするべきか分かっていたルックが洗面所からタオルをひっつかみそれをクロスへと投げ渡す。
二人の足元にはガラスの破片が飛び散っていた。
ドアの側に置いてあった棚のガラス戸を壊してしまったらしい。
「セ……セノっ!」
ようやく事態を飲み込んだジョウイが叫んで入ろうとすると、意識があったらしきセノに止められる。
「だめだよジョウイ……足、切っちゃう……」
「そっ、そんなこと言ってる場合じゃないだろっ!」
「やだよ僕、ジョウイが怪我するの……あ、クロスさんごめんなさい大丈夫ですか?」
「僕より君が大丈夫じゃないっ! 大人しくして」
セノは微笑みながら、右手を掲げる。
「大丈夫ですよ、僕は紋章で……」
「動いちゃだめだって!」
「紋章宿してるからこんなことじゃ、死にません、って。それより、クロスさん頬怪我して……」
自らの血に濡れた指で、クロスの頬に僅かに光る右手を伸ばす。
すうと彼の指が通った部分だけ赤く汚れ、しかしその下の傷は癒えた。
「ルック、今すぐセノの部屋に運んで!」
「平気だって――ジョウイも言ってよ、本当にへい……」
ゆっくりとセノが目を閉じる。
ぱたんと落ちた腕の脈をすかさずとって、クロスの顔が青ざめる。
「いけない、これじゃ――」
ジャリ
ザクッ
「! ジョ――」
靴の下で嫌な音がする。
鋭い欠片はきっと彼の靴底を貫通し、中にまで届いているだろうに、そんな素振りは一切見せない。
「僕が運ぶ」
「……任せるよ。僕は応急処置の手当を、ルック、薬取ってきて。あと医者を」
「うん」
ルックの姿がそこから掻き失せると、クロスが蒼白のまま呟いた。
「落ちてきた棚は――……僕は受け止められる位置にいたんだ……それなのにセノが間に入ってきて、割って……頭から……っ……ごめんっ、僕が気をつけていればっ」
「クロスが謝ることじゃない」
「でもっ――」
横抱きに抱き上げたセノを抱えて、振り向かずにジョウイは言った。
「僕とセノ、血液型同じだから」
応急処置を、と言ったジョウイにクロスは頷いた。
ずきんずきんと両手と足が痛い。
どうしたんだろうとふいと思い返してみれば、白い天井が見える。
「セノ!」
「クロス……さん?」
呼びかけられた声に、おずおず名前を返すとほっとしたように微笑んだ。
「よかった……」
「僕……あ、ガラス片づけなきゃっ」
「ちょっ、ベッドに入ってて!」
布団を跳ね除け起き上がろうとしたセノを慌てて押し戻し、クロスは溜息を吐く。
「君は――本当に、危なかったんだよ」
「クロスさん、傷は平気ですか?」
「だからっ!! 僕のことじゃなくて!」
思わず怒鳴ったクロスは視線を逸らす。
「……君は……本当に……」
「クロスさん、ジョウイは?」
「ジョウイは、さっきまでここにいたけど……」
「ジョウイ、呼んでもらえますか」
「うん、ちょっと待っててね」
クロスが出て行ってしばらくすると、ジョウイが入ってくる。
ジョウイ、と呼びかけてセノが微笑んでも、厳しい顔つきのままふいっと視線を逸らされた。
「ジョウイ……?」
声をかけても返事をせず、離れた位置に腰かける。
「ジョウイ、ジョウイ……」
何度呼んでもあの微笑みもあの声もなくて、セノの目尻に涙が浮かぶ。
「なんで……? なんで怒ってるのジョウイ……! わかんないよ僕!」
痛みを堪えて上半身を起こしても、何の応えもなくて、拳を握っても腕に力の入らない事に気付いた。
「じょう、い」
「……右腕三針、左腕五針、右足六針の計十四針縫ったんだ」
静かに口を開いたジョウイは、セノから視線を逸らしたまま言う。
「クロスさんは十分受け止められる位置にいたのに、どうして飛び込んだんだ?」
「それは――だって、クロスさんが怪我するのは、いやで」
「それで自分の方がもっと大きな怪我をするとわかっていたのにか」
「それは――そんなこと、考えて」
「怪我した後、無理矢理紋章発動させて相手の怪我治そうとして」
「だって」
自分が誘った場所で、自分が誘った人が、事故に巻き込まれそうになって。
それを庇うのは、間違っているのだろうか?
「君は、自分勝手だ」
溜息と共に冷たい声でそう吐き出されて、セノの吐息が凍る。
瞬きすらできなくなって、ただじっと見つめる事しかできない。
「君が自分のせいで怪我をしたと、クロスがどれだけ苦しんだと思うんだ。あの無茶な魔法を使ったせいで、どれだけ魔力を消耗したかわかってるのか?」
セノは下唇を噛んで、俯く。
ジョウイの言っている事は正しい。
だから、何も言えない。
「軍主をやってて、何を学んだんだ君は。自分を守れなければ仲間も守れないと、そんなことがまだわかってないのか?」
厳しいジョウイの口調は、いつもの彼とは別人で。
冷やかさすら垣間見える青い目は穏やかさを湛える常とは全く違う。
ある意味の恐怖すら覚えて、セノは顔を歪めた。
「だっ、て」
「とっさに行動するより他に、することがあるだろう」
「……ごめんなさい」
「謝ったって、時間は戻らない」
「……ごめんな、さいっ」
ぽたりと涙がシーツの上に落ちても、ジョウイは側に来てもくれなかった。
「――……めんな、ごめんなさぁいっ」
声を上げて泣き出したセノに、ジョウイは無言で椅子から立ち上がる。
その後姿へ向けて届かない事を知りながらも手を伸ばして、セノはぼろぼろと涙を流す。
「ジョウイっ……っく、かない、で」
「反省するまで外にいる」
「反省、したからぁっ」
「でも君はまた、同じことをするんだ」
固い声で言われて、セノは黙った。
否定はできない。
あんな状況で、冷静に判断して、体を止める事なんて自分にはできない。
「……だから、僕はずっと、君の側にいるんだけどね」
「え……?」
寝て、と一言残しジョウイは扉を開ける。
「ジョウイ」
「……おやすみ、セノ」
柔らかな笑みを残して、ジョウイは扉を閉めた。
***
おおっ、落ちなかった!!