<独白>





琥珀色の液体の入ったコップを傍らに、ランプの明りの下何十枚もの書類を広げ、忙しく手を走らせていたシグールに、眉を寄せたクロスが歩み寄る。
それに気付いているだろうに、シグールは顔も上げない。

「シグール」
「……おやすみ」
「いつまでやってるつもり?」
「ん、これ終わったら」
「シグールっ」

声を荒げてクロスはシグールの目の前に手をバシンとたたきつける。
さすがに視線を上げた彼の顔は、生気に乏しい。
連日酒ばかり飲んで夜更かししていれば、そうなるのも当たり前だ。

「いい加減にしなよっ、寝るんだよ寝なきゃだめだろっ」
「これ終わってから」
「シグールっ!!」
怒鳴りつけたクロスの赤くなった顔を、シグールは見て、視線を落とす。
「仕事だから」
「君がやるべき仕事かっ、これはっ!」
確かにマクドール家の総帥はシグールであるが、彼が直接やるべき仕事などたかが知れている。
丸一日、書斎に閉じこもってやるようなものではない。
「いいだろ、別に」
 呟いてクロスの手を跳ね除け、シグールは書類に向き合う。
 だが一寸の迷いもなく、クロスは彼の頬に平手を向けた。

「っ」
防御もせず、ただはたかれた頬だけが、僅かに赤みがさし、前の面影がある。
「何日も出てこなくて、テッドも心配して――」
「ほっといて」
口早にそう言って、シグールは顔をそむける。
「シグー」
「テッドの話、しないで」
「……なんで」
「……僕バカだった」

そう言って、シグールは呟く。

「グレミオが……歳取って……動けなくなって痩せていって……死んだ」
「……シグール」
「わかってた……だから怖かった。いつか僕の側にいなくなるって、わかってた」
クロスは何も答えずに、ただ彼の正面の位置に机を挟んで腰かける。
淡々と、驚くほど抑揚がない声でシグールは言う。
「怖かった、もしテッドが僕の側からいなくなったら? グレミオはいつか死ぬんだ、そしたら僕の隣には誰がいてくれるの?」

それに気付いたのは、セノの戦いが終わった直後だった。
ジョウイを連れてきて、嬉しそうに紹介するセノを見ていて、雷撃に撃たれた気がした。
セノは、ジョウイがいて。
いつかナナミが死んでも、ジョウイがいて。
僕は?
僕には誰がいるの?

「もし――もしテッドが僕に飽きたら? また旅に行っちゃったら? 僕より大事な人ができたら?」
そう呟きながら、机の上に置いたシグールの拳が細かく震えているのを見て、クロスは瞠目する。
この震えは。
「怖かった――本当に怖かった。必死に考えないようにして、でも」
結局思考はそこに戻ってしまう。
母にも父にも、置いていかれて。
グレミオもテッドも失った時は、この世に希望なんてないと思った。
この紋章も世界も何もかも全て、滅ぼしてやりたいと願った。
「ほしかったっ、絶対テッドは僕の側にいるって確信がほしかったっ!」

叫んだシグールの手が固く握られる。
何も言う事ができず、クロスはその姿から目を逸らす。
こんな彼の姿を見ていたくなくて。

「僕は最低なんだ……テッドにもう……合わす顔なんてない……」
呟いた言葉は、心の内の更なる言葉を引きずり出す。
「僕はっ――僕はテッドをずっと僕の側に置いておくために好きな振りをしてたんだっ……」

押し殺した呟きは、それでもクロスの耳にきちんと聞こえた。

「恋人になれば、絶対テッドは放りださないと思って」

うらやましかった。
愛しそうに互いに触れるジョウイとセノが。
喧嘩していても穏やかな目で互いを見るクロスとルックが。
うらやましかった。
壊れない絆があるようで。

「僕もほしかったんだ、絶対変わらないって思える何かが」

テッドの注いでくれる愛情を、疑うのは失礼だと分かっていても。
彼が他の人に心を砕く度に、不安になって揺れて嫉妬して。
「滑稽だよ、でも、僕は必死だったんだ」
二度目はない。
今度手放したら、絶対二度と会えない。
だから本当に必死で――

「置いていかれたくなかった――そのためなら手段なんて選ばない、テッドを手に入れられるならっ」
「……シグール」

静かな声でクロスが問う。
たった、一言。

「テッドの事、好き?」

顔を上げて、シグールの頬に一筋涙が伝う。

「……愛してる」

そう言って、重ねる。
「誰より、何より、愛してる。だから、もう、言えないっ!」
側にいてほしいとか、好きだよとか、ずっと僕を見ていてとか。
そういう我侭は、偽っていた醜い自分に気付いてしまったらもう言えない。
「僕は――僕は卑怯者だから」
彼の良心に漬け込んで、ただ自分の心の安定のために、利用して。


「――会えない、違う、怖い、テッドが僕から離れていくのが怖いっ!!」


たたきつけた拳は、グラスの中の酒を跳ねさせる。

「怖いんだ……」
落ちた涙は、ランプの光で煌めいた。
「そう、怖いんだ、こんな有様でもまだ僕は、テッドに側にいてほしいんだ」
幾度も同じ言葉を繰り返して。
「僕にそんな価値はないのにっ、それを望む資格はないのにっ!!」

「……シグール、テッドはね、君を何より大事にしているよ」
答えが返ってこないが、クロスは続けた。
「見ていればよくわかる、疑うなら聞けばいい」

静かに立ち上がって、クロスは部屋の扉に手をかけた。
振り返らずに、問う。

「君は、テッドの側にいたいの?」

その問いの答えを聞くことなく、クロスは扉を閉め、廊下をくだる。
机の上の拳を少し緩めて、シグールは唇を噛み締めて呟いた。


「いたい……」
例え彼がそれを望まなくとも。
「側にいたいよ……テッド……」
呟く声は嗚咽に変わり、机の上を濡らす涙は増えていく。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

細い肩は細かく震え。



長い夜が、明けていく。



 

 



***
坊ちゃん自覚編というか一体幾つですか貴方は。
相方の「葬式」読んで一気書き、書きながら泣いた
……(恥

なんていうか、ノリって恐ろしい
……。
ここのコメントは翌日書いてますが、正視できてません(今後一生できないな
……