<葬式>
人が皆出払った屋敷内は、しんと静まりかえっていた。
明かりが灯されていない廊下を歩きながら、何気なくテッドは窓の外を見た。
黒い雲が立ち込めて、今日は夏なのに薄ら寒い。
けれど暗いと感じるのは、日が翳っているからだけではないだろう。
上下共に黒い服を着たテッドは、かつてこの屋敷の全てを取り仕切っていた者の部屋のドアを叩いた。
返事を待つ事もなく開ける。
常に整頓されていた室内が今はむしろ閑散とした印象を受けるのは、
グレミオが事前に全て片づけてしまったからだ。
残っているのは、彼が最期まで使っていたほんの数品のみ。
視線を巡らせると、
綺麗に整えられたベッドの上に腰かけて俯いているシグールがいた。
テッドは床に無造作に投げ捨てられた黒の上着を拾って軽くはたく。
皺になるぞと苦笑気味に言っても何の反応もない。
仕方ないとわかっていても溜息が零れた。
「シグール」
「…………」
「埋葬、終わったぞ」
「……そう」
抑揚のない声。
抜け殻のようだと葬式に参列していたクロスが言っていたのを思い出す。
嫌がると思っていた葬儀にもあっさりと出た。
けれどグレミオが死んでから、シグールは全ての感情を失ったかのように何の表情も浮かべなくなっていた。
そして葬儀が終わるや否や姿を消し、探してみればここにいた。
遠からずグレミオが死ぬことはシグールも理解はしていたはずだ。
紋章の力で生き返った事がそもそもありえない事であり、本来ならトラン開放戦争の時にすでに死んだはずの彼が今まで生きていた事が一種の奇跡だ。
それでなくとも年上の者が先に死ぬのは自然の摂理だ。
頭では理解できているだろう。
それでも、感情が付いていっていない。
テッドは何も言わずにシグールの隣に腰かける。
「シグール」
「…………」
「辛いか?」
小さく息を呑む音が音のない部屋に響いた。
シグールは紋章を隠すために包帯を巻かれた右手を左手で握り締める。
そして、搾り出すような声で呟いた。
「だって、死ねない」
解放戦争時、幾度となく呪って、憎んで。
あの頃は大切な人を奪っていくこれが憎かった。
けれどどうしても捨てられなかった紋章。
だってこれは、
「返すか?」
その言葉にシグールを顔を跳ね上げ、真直ぐに自分を見詰めてくるテッドを凝視した。
「辛いなら俺に紋章を返せばいい。そうしたらお前も数年で死ねる」
実際年齢は六十になろうとしているから、寿命で遠くない内に死ねるだろう。
人として死んでいける。
もともとは俺が渡した紋章だからと笑うテッドの笑顔に何か言うべきだと口を開くが、何も出てこない。
顔を歪めて目を伏せ、更にきつく手を握り締めた。
そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
再び俯いてしまったシグールの頭に手を置いて、そのまま自分の肩口に押し付ける。
何の抵抗もなく寄りかかってくる体は小さく震えているが、それでも泣かない姿が逆に痛々しい。
テッドの記憶の中のシグールはよく泣いていた気がするが、再会した後は滅多に涙を流して泣く事はしなくなっていた。
そうさせてしまったのは自分だと知っているから、もしこれでシグールが紋章を返すと言えばそれでいいと思った。
「……テッドは、それでいいの?」
「また旅にでも出るさ」
小さな問いに、柔らかな声で答えて頭とそっと撫でる。
「お前が死んでから、な」
なんてったって、グレミオさんから頼まれたからなあ。
そう言うと大きく肩が揺れた。
「シグールの事、頼むって」
シグールがほんの少し席を外した間にグレミオがテッドに言った言葉だ。
本当はずっと傍にいたかったろう。
けれどできない、それが分かっているから、代わりに、ずっと傍にいてくれる相手にシグールを頼んだ。
それをテッドは引き受けた。
「ま、頼まれなくてもいるつもりだがな」
親友だし、とわざと茶化して言うと、ぐっと服を握り締められた。
「ごめん」
「ん」
「ちゃんと、笑える、から」
だから今日は。
そう言って声を上げて泣き始めたシグールの背を抱きながら、テッドは彼との約束を噛み締めていた。
***
趣味……の産物だったんですが続き物に(しかも連作)
このサイトでのテド坊像確立を目指してだそうです。