<アクシデント>
入室禁止の札をかけた部屋の中は怪しげな空気が沈殿している。
薄暗い部屋で様々な瓶や本に埋もれた机に向かい、ルックは何やら怪しげな実験を実行中。
アルコールランプで熱せられたビーカーの中でぽこぽこと泡を出している緑の液体が不気味である。
完成まで後一押しというところで、入室禁止のはずのドアをがちゃりと開く音にルックは振り向いた。
「ルック、お昼できたよ」
皆待ってるから早くおいで。
笑顔でのたまうクロスを半眼で見る。
入室禁止って書いてある札がかかってるはずなんだけど読めないのかあんたは。
と、
何度言っても毎度毎度入ってくるクロスに、いいかげん同じ事を繰り返す気力も失せた。
クロスのポリシーなのか何なのか、食事は全員揃わないと始められない。
普段クロスとレックナートだけならいいが、今日に限ってシグールとテッドが遊びに来ているのでそうもいかない。
遅れて行ってシグール達に嫌味を言われるのは癪なので、実験を中断して部屋の外に出ようと床に散らばった本を避け。
避けた先に転がっていた瓶を踏んづけてルックはバランスを崩した。
……なんてベタな、と言われようが踏んだものは踏んだのだ。
「ルック!」
クロスが机に頭を打ち付けそうになったルックを手を伸ばして受け止め、反射的についた手が机にあった瓶をなぎ倒した。
瓶が床に叩きつけられる音と割れる音。
そして勢いで宙を舞った数本の瓶は、それまたお約束の如く中身をクロスの頭上でぶちまけた。
「クロス!?」
さすがにルックが血相を変えて叫ぶ。
なにしろこの部屋には多種の薬品があり、もちろん劇薬も揃っている。
クロスが被った薬品がそうでないとは限らない。
返事のない事が焦燥感を煽る。
もう一度名前を呼ぼうと開けた口は、そのままぽかんと開けたままになった。
「どうしたの」
「凄い音がしたけど……」
開け放たれたままのドアの隙間から、瓶が割れる音を聞きつけた二人が顔を覗かせ、視線は呆然としたルックから次いでクロスに向けられそこで止まる。
「「……クロス」」
「……なんでしょうか?」
ずり落ちてきたバンダナを押さえながら、見た目十歳の子供は目を瞬かせた。
「幼児化……ねえ」
「しかもご丁寧に記憶まで当時に戻ってるとは」
面倒な事になったもんだとテッドは溜息を吐く。
ここ最近特に事件もなく面倒事もなく平和だなあと思っていたらこれだ。
結局自分に平穏は訪れてくれないのか。
「でも十歳のクロスって可愛いねえ」
「そういう問題じゃねえだろ」
楽天的に言うシグールに突っ込んで、テッドは大人しく椅子に座っているクロスに視線を向けた。
クロスが今着ているのは昔ルックが着ていた服だ。
あれから簡単な質疑をして、クロスの外見・精神は共に十歳頃まで退化しているのが分かった。
ちなみにルックはクロスを元に戻すための薬品作りの真っ最中である。
偶発的な産物なので、なかなか難儀しているらしい。
面白半分で構っているシグールとそれに対応しているクロスを見てテッドは目を細める。
(落ち着いてるよなあ……)
記憶が当時にまで戻っているのなら、当然ここは見知らぬ場所で周りにいるのも見知らぬ者ばかりだ。
しかも何の前触れもなく連れて来られたのと同じ状況のはず。
なのに怯えるわけでも慌てるわけでもなく、今のシグールにもソツのない返事をしている。
軍主であった頃から年不相応なまでに落ち着いた印象は受けたが、この頃からそうだったとはなんとも子供らしくない。
……落ち着いているというより、むしろ。
「あの、ひとつお聞きしてもいいでしょうか」
「ん?」
「旦那様はどちらへ行かれたのでしょうか」
「……テッド」
尋ねられたシグールの視線がテッドに向く。
誰それ、と如実に語っているそれに、何て言ったものかと頭を掻く。
『旦那様』と言うのは昔クロスが仕えていた家の主人の事だろう。
数秒悩んだ末に口にした理由はあまりにも普通だった。
「まあ……ちょっと忙しくなるから人を貸してくれって頼んだんだ」
「そうですか」
クロスあっさり納得の言葉を返し、それではお手伝いする事はありますか、と尋ねる。
忙しいと言った手前、特にないなんて言えるはずがなく。
「……ああ、ルックの手伝いに行ったら?」
「さっきの部屋だ、わかるか?」
テッドの言葉にクロスは一つ頷いて、部屋を出て行った。
こてんとテーブルの上に顎を乗せてシグールが不機嫌そうに変なの、と呟く。
「クロスだよね、あれ」
「まあな」
「……あれが十歳のクロスなわけ?」
「じゃないのか?」
「……なんか嫌だ」
「…………」
「しっかりしてると思うけどさ……一度も笑わなかったんだよね」
不自然な状況に対して疑問を口に出す事は一度もしなかった。
そうすればこちらが困ると察知してだろうが、年上の者達の思考を汲み取るのに長けていると言えばそれまでだが、子供としてはあまりに人間としてできすぎている。
「やっぱりいつものクロスがいい」
それにしてもどこをどう弄ったら今のクロスになるのか見当も付かないとぼやくシグールに、テッドは苦笑した。
入室禁止のはずのドアが開けられた音に振り向く事もせずルックは告げる。
「ここ、立ち入り禁止」
「何かお手伝いする事ありませんか」
耳に入る高めの声に、苛ついたように目を細める。
ビーカーの中に薬品を入れると軽い揮発音と共に色が変わった。
その色を見てルックは舌打ちする。
また、失敗。
「ないよ、出てって」
言い捨ててから完全な八つ当たりだという事に軽い自己嫌悪に陥る。
解毒薬の目処は立たず苛つきは増す一方で。
しかし、
だからといって、子供に当たる理由にはならない。
振り向くと、クロスは黙ったままその場に立っていた。
何の表情も浮かんでいない顔に眉を寄せ、ルックにしては珍しく素直に詫びた。
「ごめん、言い過ぎた」
危ないから部屋から出てなよ、と幾分柔らかく言い置いて、再び実験道具に向き直ったルックの隣に小さな気配が現れる。
変わらない色の瞳に見つめられて、避けるようにルックは実験に意識を注ぐ。
「どうしてそんなに焦ってるんですか?」
「……別に」
「そんなに大切なことなんですか?」
投げかけられた問いに、ルックは瞠目した。
奥歯を噛み締め、試験管を握る手に力が篭る。
きちんと調合されたものでないから、どんな副作用があるかも分からない。
下手したら一生このままなんて事もあり得るのだ。
あの時もっと足元に注意していたらなんて後悔、今更してもどうにもならない。
「……僕のせい、だからね」
首を傾げるクロスに自嘲気味に笑ってみせる。
「だから、できるだけ早く戻してあげたい」
言っておいて心の中で否定する。
本当は、ただ。
「淋しいんですか?」
「…………」
小さくなっても聡いのは変わらないのか。
この頃からこんなだったのかと思いながら、ルックは小さく頷いた。
「そっか、淋しいんだ」
「……え?」
先程まで何の表情も浮かべていなかった少年の顔に瞬時に見惚れるような笑みが浮かぶ。
それは、とてもとても見慣れたもので。
「……クロ、ス」
「いやー、るっくんはやっぱり僕が好きなんだ」
「あんた、いつから、記憶戻って」
「さあ、いつからでしょう」
飄々と言ってのけたクロスは、ぐいとルックの腕を掴んだ。
思いの外強い力に上半身を引っ張られ、かすめるだけのキスをされる。
いまだ呆然としているルックを見上げてクロスは笑う。
「できるだけ早く戻してほしいかな。この姿だと色々不便だしー」
でもそれも倒錯的で面白いかもね、などと好き勝手言うクロスに、ルックは恥ずかしさを隠すように叫んだ。
「一生そのままでいろーーーっ!!」
***
シリアス?ギャグ?
オチついたからギャグですか。