<邂逅>
――くちゅっ
「……なに、してんの」
「あれれぇ〜?」
えへ、と笑うビッキーに呆れた眼差しを向けていたのはルック。
何をどう間違ったのか、彼女がいきなり塔へ現れた。
まあ大方、テレポーテーションのミスというか……瞬きの紋章ってそんなに扱いがきついのだろうか。
「おっかしぃな〜……えいっ!」
「ってうわちょっま」
パシュッ
「ルック? さっきの話し声って……あれ?」
部屋を覗いたクロスは、無人なそこを見回して首を傾げた。
ドスッ
「いったー……」
着地を失敗して地面でしたたかに腰を打ったルックは、顔をしかめて立ち上がる。
隣に立って「あら〜?」と首をかしげている元凶を睨むと、えへ、と返された。
溜息を吐いて右手を上げ――
「……ここ、どこ」
ただ普通のテレポートの場合なら、ルックは巻き込まれても自力で家に帰ることができる、のだが。
たった今やってみても帰れなかった、という事はつまり……。
……ビッキーの「瞬きの紋章」の特性、タイムスリップまでやらかしたらしい。
「しんじ……らんない……」
がっくり肩を落としたルックに、後ろからいきなり声がかけられた。
「ビッキー……?」
「あ……あら〜?」
「やっぱりそうですね、どうしたんですかこんなとこ……彼は?」
響いてきた落ち着きのある声に、ルックはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、三十代前半であろうか、端整な顔つきに黒い髪を持つ男性。
「あ、えーと」
「……あんた、誰」
「俺はシグルドといいますけど……」
その名前に、ルックは目を見開いた。
シグルド。
「……海賊、の」
「え? 誰に聞きましたか?」
「……あんた、今誰といる?」
その声が震えていた事に、シグルドは気付いた。
そして、目を僅かに細める。
この少年は、いったい。
「……俺が誰といたって、関係ないでしょう?」
「――クロス」
呟かれた名前に、シグルドは眉を寄せた。
彼とクロスが共に住んでいる事は、そう大勢の人間は知らないはず。
……まあ、口止めしているわけではないけど。
「そっか……あんたなんだ」
「ええと、クロスの知り合いか?」
「まあ、ね」
いつどこで接触があったのか分らないが、とりあえずクロスの知り合いならば、無下に放っておくわけにもいくまい。
そう判断して、シグルドはおろおろしているビッキーと、少年に微笑みかける。
「家にくるか? 生憎クロスは買い物だけど」
「え、でも――」
「行く」
即答したルックがシグルドの後についていくのを見て、慌ててビッキーは二人の後を追った。
お茶を出してもかなり重く漂う雰囲気に、いたたまれなくなったのかビッキーはお外に出てますと呟いてぱっと家の外に行ってしまったので、シグルドは少年と二人きりで部屋の中に残される。
「どうぞ」
勧めた茶菓子をちらと見て、少年は無言でそれを口に運んだ。
クロスお手製クッキーで、甘めな物を好まないシグルドのために少々甘さ控えめになっている。
ぽり、とそれを噛み砕いてから、またしても無言のまま少年はお茶を口に運ぶ。
「……で、クロスに何か用事だったんですか?」
「違う」
「それじゃあビッキーと何か?」
「違う」
「……えっと」
会話が続かないので、困ってシグルドは微笑した。
「君の名前を教えてもらえますか?」
「……ルック」
「じゃあルック君、この家に来たのは――俺に用事があったんですか?」
その問いに、ゆっくりとルックは首を縦に振った。
シグルドは首を傾げる。
ルックという名の少年に会った事はないし、クロスから話を聞いた事もない。
「なんでしょう?」
「――……このクッキー、甘くない」
「は?」
呟いてルックがまた一つクッキーを咀嚼する。
「僕にはいつも甘いのを作るのに……お茶の味は一緒。教えてもらったんだ」
「え? ええ、お茶はクロスに仕込まれましたけど」
「……そ」
またもや会話が終了してしまって、シグルドは会話の糸口を探す。
「クロスと知り合いなんですか?」
「…………」
「俺のこともクロスから聞いてたんですか?」
「…………」
俯いていたルックが、顔を上げた。
その目は、どうしても睨んでいるように見えてしまって、シグルドは内心首を傾げる。
「僕はっ――」
僕は、僕が、クロスの。
そう言おうとして、ルックはかろうじて踏みとどまった。
そんな事を言って何になるのだろう――今のクロスの相手は間違いなくこの男で、ルックがクロスと会うのは軽く百年先の事で。
よしんばそんなことを言ったところで、彼はきっと笑って流すのだろう。
大人の、男。
シグルドには、そんな言葉が、相応しい。
「何か、事情がおありのようですね? 話してくれませんか?」
優しい瞳を向けられて、ルックは息がつまった。
それは、クロスがルックにたまに向ける表情と酷似していて。
あの綺麗な優しい顔は、この男から教えられたのかと。
「――僕は……っ!」
そう思った瞬間、頭に血が上った。
「僕はクロスの恋人だ!」
ああ、そうなのか、と。
聞いた瞬間、酷く納得してしまった自分にシグルドは驚いた。
「君は、いつから来たんですか?」
「……え」
「ビッキーの能力は知ってますよ、君はいつから来たんですか?」
「……百年以上、後」
「クロスは元気ですか?」
「……うん」
それはよかった、と微笑んで、シグルドは自分の分の茶を口に運ぶ。
「俺は絶対先に逝きますから」
淡々と語るその顔があまりにも平静で、腹が立った。
「クロスがまた、大切な人を見つけられて、嬉しいです」
「……なんで、そんな余裕ぶってんの」
「ルック君?」
握り締められた拳は細かく震えていて、背けた顔は耳まで赤かった。
そんな幼い彼を可愛く思って、シグルドは笑う。
「僕は――僕を憎く思わないの!?」
「思いません」
「どうしてっ!」
「だって、君はクロスを大切にしてくれているのでしょう? 愛して――支えてくれているのでしょう?」
そして、彼が幸せなのならば、自分も同じくらい幸福だ。
自分がいなくなった後も、彼が笑っていられるのなら、それはとても幸せだ。
笑ったシグルドを理解できなくて、ルックは唇を噛んだ。
ずっと、初めてその存在を知った時から、ずっとずっと嫉妬していた。
目の前に現れた彼を見て、もっとずっと、その気持は強くなった。
――こんなに、大人な人だったなんて。
どれほど足掻いてもルックでは到底敵わない相手だと分かって、悔しかった。
なぜ、彼のことを語るクロスが優しい顔をするのか、よく分かった、から。
「まあ正直……少々うらやましいですけどね」
苦笑してシグルドはクッキーをつまむ。
「君はきっと、俺の知らないクロスを見る事ができるから」
その言葉に、ルックはかすかに反応した。
緑の目が、覗うようにシグルドへと向けられる。
クロスの目と違って、青く澄んだその目が。
「――なんで」
「……俺と君は違うから」
愛し方も、求める物も。
――そのままのルックでいいよ?
囁かれた言葉が蘇る。
「僕は――っ、迷惑かけて我侭言って、全然っ」
本当は、もっと大人にならなくちゃいけないとか、懐が広くなりたいとか、思っている。
支えてあげたいと、密やかに思っている。
笑ってばかりの不安定な彼を、本当に受け止めているのだろうか――彼のように。
「でも君は、クロスを大切にしてくれているから」
そう言ってシグルドは、ルックへ手を差し伸べた。
「――頼みます――彼を」
「……僕は」
「俺はあと、五十年も一緒にいられない」
「っ!」
「君は――……どのくらい一緒にいてあげられますか?」
寂しそうなその横顔に、ルックは言葉に詰まった。
自分は、真の紋章持ちで。
その気になれば、おそらく、きっと。
「……僕は、僕が、そうだったら、あんたは」
僕を、恨む?
憎む?
口に出しかけた呟きは、彼の笑顔で霧散した。
「……ありがとう」
これ以上、彼を孤独へ放り出さないで。
そう言ったシグルドの言葉に、嘘はなかった。
クロスはきっと、これから多くの仲間を失っていく。
そんな彼が、立ち直って、前に進んで、そして大切な人を――失う事を恐れずにすむ人を見つける事ができるのなら。
「少し妬けます、けどね」
「……あんたが、いたから」
ルックが呟いた言葉の続きを、シグルドは無言で促す。
「あんたがいたから、クロスは、歩いてこれた」
「それは――嬉しいことを言ってくれますね」
頬が僅かに緩んで、それを隠すようにシグルドは笑みを顔に乗せる。
「そんな笑い方も、同じ、だよ」
そう言って、ルックはお茶を飲み干すと、カタンと音を立ててコップを置いた。
「――帰る」
「ええ、お元気で」
「……あんたも、ね」
戸口で僅かに振り向いた彼の表情は、逆光で見えなかったけれど、その言葉はよく聞こえた。
――ありがとう
珍訪問者の姿がなくなったのを確認し、カップを一通り片付けたシグルドが、夕焼けの空を見ていると、ただいまーと声がした。
「ごめんねー遅くなっちゃった」
「いえ、ご苦労様でした、クロス」
抱きついてきた彼に軽いキスを送って、シグルドは僅かに目を細めた。
「クロス」
「ん?」
「……いえ、呼んだだけです」
「なにそれー?」
笑って夕食作りに取りかかる彼の後姿を見て、シグルドは微笑した。
「あーっ、るっくんどこ行ってたの!?」
「……ビッキーの魔法に巻き込まれただけ」
「あ、そーなんだ? もう夕食の時間なんだけど今日はレックナート様のご要望で」
ぐいと、無言でルックの方にひっぱられ、彼の腕が首に回される。
ルック? と驚いて声をかけても、彼の顔が肩口に埋まって表情が分からない。
「……クロス」
「ん?」
「……呼んだだけ」
「あはは、なにそれ」
ぽんぽんとルックの背中を叩いて、クロスは笑う。
「……クロス」
「ん?」
「……夕飯、何」
俯いたまま言葉を飲み込んだ彼に、クロスは微妙な表情をふっと見せたが、すぐにいつも通りの笑顔になって、魚のチーズ焼き、と答えた。
「うわ」
「そんな嫌な顔しない」
「だってチーズ」
苦手な食べ物の名前に顔を顰めるルックに、クロスは笑った。
***
……やっちゃいましたヨ、シグ主ルク。
うわぁ、ビッキーバンザーイ(待
ルックの科白は「…………」が多いです、
なんででしょう(自分の文章能力がないせいです)