<岐路>
ゆらゆらと揺れる蝋燭の光の下、カリカリカリとペンを走らせる。
少し癖のある文字が濃い色のインクで綴られて、ページの最後でやっと止まった。
「ふー……」
息を吐いて腕を伸ばし、トビアスはこきりと首を傾ける。
ゴキッ
「あーたっ!!」
背中と腰に激痛が走って、声にならない痛みに転がった。痛い。
「……なにをしているんだ?」
コツリという足音と共に燭台を片手に現れたラウロは、銀の髪を闇に浮かばせながら困惑したような表情を向けてくる。
夜中に訪ねた友人が変な格好のままで机に突っ伏していたら、そういう反応が自然だろう。
「い、いやー、なんでもねーよ」
はは、と軽く笑ってトビアスは体を起こす。不審な視線を向けていたラウロだったが、まあいいかと肩を竦めた。
「時間あるか?」
「んー、丁度煮詰まってたトコだからかまわねーぜ? どうした」
カラリとペンを机の上に投げて向き直れば、いつもなら何か言ってくる唇が開かずにきゅっと結ばれたままだ。
とりあえず座るように勧めておいてから、コキリと肩をもう一度回す。凄く痛いぞこれ。
「それは?」
「あー、去年発表した研究内容が思いの他評価されてなー。国から援助もらえることになったから報告書? ってか申請書を」
面倒だぜー、と笑ったトビアスにラウロは目を細める。
どうやら無関係な話題ではなさそうだと直感して、トビアスは表情を引き締めた。
「どーした?」
「トビアスは、グリンヒルに戻って教員になるんだよな」
「おうよ。幸い研究員の籍も持てたし、一応独立した研究内容だから教授格みたいな?」
結構好き勝手できそうだぜーと笑ったトビアスに、ラウロはいつものような落ち着いた表情でぽつりぽつりと話し出した。
「俺は、国に帰ろうと思う」
「ん、いいんじゃねーの。実家?」
「いや。だがそれなりに気安く帰れる」
そか、と言ってトビアスは表情を緩める。眼鏡の奥の目尻が下がった。
今ままで十年間実家から離れて他の国で過ごしていたラウロが戻れば、両親は喜ぶだろう。
「とある交易所を取り仕切っていた人が、引退したがっているらしくて。俺を後任にとシグールが推薦してくれた」
「いいんじゃね?」
なんでそんな浮かねー顔なのかと尋ねられて、ラウロは少し眉を寄せた。
その難しい表情に、話しにくい事なのかとトビアスは立ち上がった。
「ちょっと待ってろ。取り込み中の札提げてくるから」
「いいのか?」
「時間あるって言ったろ? お前のためならいくらでも空けるって」
扉を開けて、部屋の表にかかっている札を「取り込み中」にする。
ここはトビアスの個人的な研究室なので、こうしておけば誰かが入ってくる事はないだろう。
これでよしと扉を閉めて、鍵はかけないでラウロの元へと戻る。
「なにか飲むか?」
「……いや」
「じゃあ紅茶にするか。リーヤはどした?」
「……リーヤの、ことなんだが」
返ってきた小さい声に「そっかー」と返して、トビアスは暖炉にかけてあったヤカンからティーポットにお湯を注ぐ。
茶葉がお湯でふわりと舞い上がった。
「あいつは、どうするか聞いてるか?」
「お前が聞いてないなら俺も聞いてねーと思うけど」
カップをごそごそ探していたトビアスが答えて、ラウロは溜息を小さく吐いた。
「俺が聞いてもなにも言わん」
「育て親のとこにはもどん……ねーだろうな」
見つけたカップを水差しからの水で軽くすすいで、すすいだ水は窓辺に置かれている植木鉢に注いだ。
そろそろかなとティーポットからカップに紅茶を注ぐ。ラウロに渡す分には少しだけ砂糖を入れた。
「ほいよ」
「すまない。……まっとうな職について、まっとうに生活するべきだと思うんだが」
「つってもリーヤは他人と関わるのが上手いわけじゃないしなぁ」
「トビアスと同じで、研究……はどうだ?」
「むらっ気ありすぎじゃね? まあ年齢的にはまだグリンヒルに戻れるけどよ」
「それは問題の先送りでしかないだろう」
「ん……まーな」
そうだな、と同意してトビアスは軽く息を吹きかけてから、紅茶を口に含む。
まだ少し熱くて、眼鏡の奥の目を細めた。ついでに湯気で曇った眼鏡を外す。
「俺は、あいつを連れて行く、べき、なのか?」
「どーだろな。リーヤだってそろそろいい歳だ。自分の道を見つける時期じゃね?」
「道なんて見えてないだろう、あいつは。育て親のところに戻ったって、道が見えてくるとは思えん」
曇った眼鏡が早く元に戻るように息を吹きかけていたトビアスは、ラウロの言葉に眉を上げる。
彼の表情はよく見えなかったのだけど。
「ラウロさあ」
眼鏡の曇りが取れないので、服の裾で拭いながらトビアスは言った。
「過保護すぎだな」
「は?」
「お前はリーヤを構いすぎだ。リーヤの人生だろ、お前がどうこう言うことじゃねーだろ」
「……それは、正論かもしれないが」
言葉を濁したラウロに、トビアスは容赦しなかった。
「お前もリーヤの手を離せ。あいつの親がしたように。じゃなきゃリーヤは永遠に自分の足で歩けない」
「…………」
ラウロが黙ったのを確認して、トビアスは眼鏡を戻した。
鮮明になった視界の中では、ラウロが唇を噛み締めて俯いていた。
その様子を見ながら、トビアスは視線を窓の方へと逸らす。
かなり強い言い方をした自覚はあった。しかし撤回しようとは思わない。
それどころか更に続けた。穏やかな笑顔を顔に貼り付けて。
「リーヤに依存するのはやめような、ラウロ。あいつがいてもいなくても、お前の価値に差はでねーんだから」
「俺、は」
「手を離せ。突き放せ。それからどうすっかはリーヤの自由だし、リーヤの責任だろ?」
トビアスが微笑んでも、ラウロの表情は変わらない。変わらず、床を見ている。
「まー、まだ時間はあるんだし。ゆっくり考えてもいーし」
俺もまた相談乗るしさ、と続けると、ゆるゆるとラウロの視線が上がってくる。床から、だんだんと。
「トビアス」
「なんだ」
「俺は――俺は、後悔、しないだろうか……? リーヤを手放して、後悔しないだろうか? あいつに俺に代わる存在ができたら、後悔しないだろうか……!」
それには答えず、トビアスは立ち上がってラウロのすぐ前でしゃがみこむ。
下から友人の顔を覗き込んで、手を伸ばして左の頬を引っ張った。
「む」
「なんつー顔してんだラウロ」
へらりと笑うと、にゃにをするんら、と声が返ってくる。
反対側の頬も引っ張ると、みゃみゃみゅみょとしか聞こえない声になった。
「お前ならできるだろ。ちゃんと決められるし、実行もできる」
だからそんな顔するなよ、と重ねた言葉に、ラウロはようやく首を縦に振った。
「わやっや」
「あ、悪ぃ」
ひょいと引っ張っていた頬を放す。
肌が白いせいで引っ張られたところが真っ赤になったラウロは、冷めかけていた紅茶を一気に呷ってから立ち上がった。
「もう少し時間はある。考えて――決めておく」
「もう帰るか?」
「ああ。研究の報告書をまとめないと」
んじゃーおやすみ、と手を振ると、ラウロも背中を向けて歩き去りながら手を振って返して部屋を出た。
扉が閉じられる。
再び立ち上がって机に向かって椅子に腰かけ、トビアスは椅子の背に体重をかけた。
「後悔しない決断を、しなきゃなー」
頑張れよ二人とも、と言ってから、服の袖を捲り上げた。
「おーし、もいっちょ仕上げて寝るか!」