<突撃☆実家訪問>





トビアスの実家はデュナン王国の首都であるミューズにある。
フェイアット家がもともと中央に基盤を持つというのもあるが、トビアスの父親が政府でそれなりに高い位置で働いているというのも理由のひとつだ。
首都の中でもそれなりに広い敷地を使って建てられている実家の門の前に三人はいた。
門番はトビアスを見ると、一礼して門を開ける。屋敷へと続く道を歩きながら、リーヤが左右をきょろきょろと見回し口を開いた。
まったく緊張していないらしい。

「ここがトビアスの家かー」
「思ったより普通だな」
「やっぱり驚かないのな、お前ら」
「なにに?」
「……いや、なんでも」
「広さなら、ニューリーフ学園の方が広いだろう」
「……そうだな」
二人がどれだけ気にしていないのかを実感して、ほっとするような拍子抜けするような気持ちになった。
そもそも学園と家は比較対照としては微妙に違うと思う。
まあ、あのマクドール家にほいほい遊びに行っていればそれも当然かもしれない。

その時、バタン、と三人が向かっていた屋敷の扉が開いて、一人の少女が飛び出してきた。
「お兄ちゃん!」
「ナデル、ただいま」
「お兄ちゃんっ!!」
小さな足で必死に駆けて、ナデルはトビアスの腰に抱きつく。
ぎゅうぎゅうと締め上げられてトビアスは小さく笑った。
栗色の巻き髪は少し伸びて、腰まで届いている。
久しぶりに会う彼女は、成長期のトビアス達ほどではないが、また少し大きくなったようだった。
「妹?」
リーヤがひょいとナデルを見やる。
ラウロも立ち止まって振り向いていた。
「ナデル、兄ちゃんの友達だ。紹介するな」
「おにいちゃん……」
ぎゅうとトビアスの服を掴んでナデルはくぐもった声で呟く。
どうやら離してくれなさそうだとトビアスは苦笑する。
妹の甘えん坊は昔から変わらない。
滅多に顔を出さないトビアスのせいもあるかもしれないが。
「こんちはー、俺、リーヤ」
「俺はラウロだ。よろしく」
「…………」
トビアスの胸に顔を埋めていたナデルは、ちらりと横目で二人を見てからぐすんと鼻を鳴らす。
それから顔を背けてトビアスのシャツを引っ張った。
「お兄ちゃん、ケレネア姉さまもお兄様も待ってたのよ」
「ナデル」
意識的に少し低い声を出して、トビアスはナデルの頭に手を置いた。
「兄ちゃんの友達だ。可愛い妹のナデルはちゃんと挨拶してくれるよな」
「……こんにちは」
視線を伏せて口の中で呟いただけで、ナデルはぎゅうっとトビアスの腕に抱きつく。
人見知りのきらいがある彼女にはここらが限度だろうと諦めて、トビアスは足を進めることにした。
「妹、二人いるんだよな」
「ああ、ナデルは下の妹で」
「お兄ちゃん、この間の誕生日プレゼントありがとう」
 ぎゅうと腕を引っ張ってそう言われ、トビアスは小さく笑う。
「気に入ったか?」
「すっごく素敵だったわ」
「そうか。リーヤとラウロが一緒に選んでくれたんだ」
「…………」
その言葉には何も返さず、ナデルはトビアスの腕にしがみつく。
その反応にリーヤは視線を泳がせ、ラウロは淡々と前に進んだ。

奇妙な沈黙の中、四人は扉の近くまで辿り着く。
トビアスが扉を開けようとすると、ぎぎぎと中から扉が開いた。
「トビアス坊ちゃん、おかえりなさいませ」
黒の上下に白のシャツをきっちりと身に着け、白髪を撫でつけた老人が立っていた。
にこりと丸眼鏡の奥にある目が細められる。
「じい、腰痛は平気なのか?」
「坊ちゃんの教えてくださった薬のおかげで、すっかりよくなりました。お噂のご友人ですね、私はこちらで執事をさせていただいております。じいとお気軽にお呼びくださいませ」
「よろしくー!」
「……お世話になります」
リーヤは片手を上げて元気に挨拶を、ラウロはかしこまって一礼を。
育ちとか云々ではなく、たぶんこれは性格の差だろう。
「リーヤ様にラウロ様ですね。お荷物はこちらでお預かりいたします」
手を差し出したじいに荷物を渡し、更に手を差し出してくる彼に反対側の手に持っていた荷物も預ける。
頭に乗せていた帽子を取ろうとすると、「よくお似合いですよ」とにこにこ笑顔で言われて、トビアスも笑い返した。

「これリーヤのプレゼントなんだぜ」
「俺のも持ってきただろうな?」
「お前の冬物じゃん」
けらけらと笑いながら、身軽になってホールの中央部へと足を進める。
二階まで吹き抜けの構造になっているここは、窓からさんさんと陽光が差し込んでいて、かなり暖かかった。
「あらまあ、トビアス。随分と早かったことね」
中央の階段から声がかかり、振り向いた先には穏やかな笑みを浮かべた女性がいた。
「お袋」
「え、トビアスの母さん? 姉さんじゃなくて?」
「……よく似てるな」
リーヤとラウロの口々の感想にトビアスはくつくつと笑う。母も満更ではなさそうだ。
「メノアといいます。トビアスがお世話になっているそうで、ありがとうございますね」
「う、うーん……トビアス……メノアさん幾つ?」
「こらリーヤ、女性の歳を聞くのは失礼だろうが」
くすくすくすと二人のやり取りに笑って、メノアは階段を下りてくる。
「いいですよ、年齢を気にする歳でもありません」
「お袋はこう見えて今年で――幾つだっけ」
「三十四です」
「「若っ」」
二人の声がそろって、メノアはころころと声を出して笑った。
「ありがとうございます。トビアス、アダノは夕方まで戻りませんよ」
「ケレネアは?」
「ケレネアも夕方には戻ってくるかと。稽古事を逃げ出してばっかりで困ったものよ」
「今度は続いてるの?」
「ええ……性に合っているようね。どうします?」
うーんとトビアスは思考を巡らせた。
ケレネアが帰ってくるまでもう少し時間がある。それまで客室にいるのはリーヤとラウロが退屈だろう。
「書庫開けていーかな」
「構いませんよ。じい」
「はい、奥様」
神出鬼没なじいがメノアに鍵を渡す。古びたそれを確かめてから、メノアはトビアスへ差し出した。
「庭園でも散歩すればよろしいのに」
「もー十分歩いたって。リーヤ、ラウロ、ウチの秘蔵書見せてやるよ」
「なに? 魔法、経済、政治?」
「貿易、歴史それとも――」
喰いついてきた二人に「秘密でーす」と肩を竦めて、トビアスは書庫へ向かって歩き出そうと。
「お兄ちゃん!!」
思い切り腕を引っ張られて、トビアスは転びそうになる。振り向けば当然そこにはナデルがいた。
「なんだ、ナデル」
「あ、あのね、あたしもお勉強するから、一緒に行ってもいい?」
「んー……」
トビアスはリーヤとラウロへ視線を向けた。二人が否と言えばもちろん連れて行かないつもりではある。二人が否と言わなければ……まあ、いいか。
「俺はいーけど」
「俺も構わない」
「あんがと。じゃあ一緒に行くか」
「わーい!」
くるりと回って跳ねたナデルは、ぎゅうぎゅうとトビアスにしがみついて頬を摺り寄せる。
「あたし、たくさん勉強したのよ」
「そうか。じゃあどのくらい勉強できるようになったか、兄ちゃんに見せてもらおうかな」
「うんっ!」
嬉しそうに目を細めて見上げてくるアデルと、屋敷の中をきょろきょろ見回しながら歩くリーヤと、廊下にかかっている絵などの調度品を眺めながら進むラウロとの四人で、書庫へと向かう。

前を妹と共に歩くトビアスの後ろで、リーヤはこそりとラウロに囁いた。
「なんか俺ら嫌われてねー?」
「久しぶりに帰ってきた兄が友人にべったりだったら面白くはないだろうな」
「全然帰ってねーみたいだもんな」
「……その辺はあいつも意地なんだと思うが。あまり詳しく聞いているわけじゃない、し」
ラウロが言わなかった言葉にリーヤは首を傾げる。
「し?」
「……トビアスは俺達よりずっと大人だ。そのトビアスが頑なに実家に帰ろうとしなかったのには、それなりの理由があったんだろう。――今回は俺達と一緒とはいえ数泊はするんだ。トビアスなりに吹っ切れたんじゃないのか」
「だといーんだけど」
「そうじゃなかったらそれでもいいだろう」
「そーだけど、さ」
先を歩いていたトビアスが振り返り、鍵を開けた扉を押し開けて二人を手招いた。
「こっちだ」
「見ちゃいけないものはないのか」
「閲覧禁止のやつは全部オヤジの書斎の本棚に鍵かけて置いてあっから、大丈夫。好きなの手にとっていいぜー」
にこりと笑って言ったトビアスの言葉に、二人は大袈裟なほど声をあげて本棚に飛びついた。
「やったー! 俺こっからここまで読む!!」
「おお、教授が見せてくれなかった絶版本が」
「トビアスットビアスッ、なにこれ!?」
「ああ、それは――……」
「トビアス、こっちは」
「珍しいだろー? それはなー」
三人で珍しい本を抱えてぎゃあぎゃあ騒いでいると、ドンッと少し大きな音がした。
三人が同時に振り返ると、何冊かの本を部屋の中央に置いてある長机に置いたナデルが、真直ぐにリーヤとラウロを睨みつけていた。
いや、あるいは彼女はトビアスを見ていたのかもしれないが。

「お兄ちゃん」
「どうした、ナデル」
「……本読んで」
「子供じゃないだろー?」
笑いながらナデルへ近づいたトビアスは、彼女が机の上に置いた本をぱらぱらと捲る。
それは彼女が持ってきた本の中では一番薄いものだったが、丁寧な作りの表紙もついていた。
中は黄ばんだ紙に細かく文字が記されている。  
リーヤとラウロが近づいて覗き込むと、それは全ページシンダル文字だった。
「これだけ難しいシンダル文字は、兄ちゃんは辞書がないとちょっとなあ」
「それでもいいの、読んで!」
きっとトビアスを見上げて言ったナデルの真意は、リーヤにもラウロにも容易に推察できた。

つまり彼女は兄のトビアスを独り占めしたいだけなのだ。
口実は何でも構わない。リーヤとラウロと会話をさせない方法として、シンダル語の翻訳を選んだだけなのだ。
「シンダル文字ならリーヤが詳しいぜ。リーヤ、ちょっとここ読んでみてー」
そんなナデルの心境を知ってか知らずか、トビアスはちょちょいとリーヤを手招きすると彼の方に向けてぱらりと開いた本を差し出した。
「はい、ここの第一節目」
「……『それは英雄の華麗にして絶対の、浴びた者にとっては絶体絶命の一太刀であった。王子は感嘆の声をあげられた。振るった太刀筋は美しく、風のように見えた。民は叫んだ。国が叫んだ。ここにて長年の王朝は幕を閉じたのである』……かな」
第一節を訳し、リーヤはちらりとトビアスを見た後、不安そうにナデルへと視線を滑らせる。
当の彼女は顔を伏せていたので、リーヤにもラウロにも彼女の表情は見えなかったのだが。
「な、すげーだろ? 装飾も慣用句も文法も敬語も比喩も完璧! こいつケレネアと同い年なのにすっげー頭いいんだぜ」
ただ一人楽しそうなのはトビアスで、彼のいつもの明るい声が、顔が、行動が。
ここでは酷く浮いている。

「……あたし、バイオリンの練習してくる」
ふいっと顔を背け、ナデルはたたたと部屋を出て行ってしまう。
慌てて止めようとしたのはラウロで、トビアスは微動だにしない。
それどころか妹に向けていた穏やかな笑みを、一瞬にして消し去った。
「ト、トビアス?」
滅多に見ないトビアスの厳しい表情に、リーヤは恐る恐る声をかける。
するとふっとトビアスの瞳にいつもの冗談めいた光が戻ってきた。
「悪いな二人とも。ナデルは身体が弱いのもあってあまり外に出ないから、家族以外の人と触れ合う機会が少なくてな」
「いや、俺達はいいが……いいのか、お前、久しぶりの実家だろう?」
いい、とトビアスは短く答えると、ナデルが持ってきた本を持ち上げぱらぱらと捲る。
その指と目の動きを見ていたリーヤがぼそりと言った。
「トビアス……読めねーのウソだよな」
「なんで?」
「「なんで?」って言うから。いつもならちゃんと否定してくれっよな」
「なぜかと思ったからなんでと聞いたまでだぜー? カマかけは失敗だなぁリーヤ」
パタンと本を閉じたトビアスの手からそれを奪い、ラウロはぱらりとページを捲る。
「なあトビアス」
「ん?」
「ならどうして、あの一節を引けた? 確かに装飾も文法も敬語も比喩も込み入っている場面だ。なぜあそこを引いた、冒頭ではなく」
「たまたまそこだったんだって」
返したトビアスにラウロは無言だった。リーヤも無言だった。
ただ二人がそろってトビアスを見つめていたので、終いにはトビアスが肩を竦めた。
「悪かったな。ナデルは――もうちょっと聞き分けのいい子なんだけどな、普段は」
「俺達はいいから構ってきてやれよ」
リーヤは無言だったが、ラウロはそう言う。
実家に来て友人を優先する必要はない。少しは家族サービスをしてもいいのではないだろうか。

ところがトビアスはきっぱり答えた。
「いや、必要ない」
「なんで」
「俺は、今後も実家に寄りつくつもりはないし、将来的に住むつもりもねーからな。ナデルは兄離れをするべきだし、俺は今まで甘くしてた分、厳しくしないとな」
「「…………」」
無言の二人の視線に、トビアスは「わかった、わかったよ」と両手をあげて肩を竦めた。
くすりと浮かぶ笑みはいつものトビアスの表情だ。
「ナデルがさー、ニューリーフ学園に行きたがってるらしいんだ」
トビアスが口に出した言葉は、さほど意外なものではない。
兄弟で学園に来る生徒はかなりいるし、トビアスの家では金銭的問題はないだろう。
「問題、なのか?」
リーヤの問いかけに、トビアスはどっかと椅子に腰を下ろして、窓へ顔を向けて頷いた。
「ナデルは――共同生活の中でうまくやっていけるような性質じゃない。それに……体、特に気管支が弱くてさ、学園の寮での生活は無理なんだ」
「……喘息、ってこと?」
「それもかなり酷い、な。成人すりゃあ多少は良くなると思うけど、今はあんなに人の多いとこにはやれねーよ」
「でも本人は行きたがっているのか」
「俺がいるからだってさ。ブラコンもいい加減にしろってんだよなー」
呟いたトビアスの横顔を見て、リーヤとラウロは視線を交わす。
表情はいつものトビアスだし、口調もいつものトビアスだ。声色も、抑揚も全く同じだった。
全く同じだったからこそ、その内容とのギャップが浮き彫りになる。
それほど彼の発した言葉は二人にとっては衝撃的だった。

「で、でもさー。慕ってもらってるってことだし」
「ま、妹だから悪い気はしねーけどな」
振り向いたトビアスはまるで何も知らないと言いたげにきょとんとする。
「で、二人とも本はいいのか?」
「あ、ああ……いや、今から見る」
「あ、俺も見る。こっちの棚なにがあんのー?」
いそいそと本棚を漁り出した二人を見ながら、トビアスは頬杖を突いて。
じっと先程ナデルが手にしていた本を眺めていた。
  
一時というか時を忘れてリーヤとラウロが本を漁っていると、カタリと物音が聞こえた。
しかし読書に熱中している二人は気付かず、手元の本を開いていたトビアスが気付いたのみだ。
カツカツと足音が響いても、三人は本から顔を上げない。
バタンとやや乱暴に扉が開いて、ようやくラウロが顔を上げて扉の方を向いた。

「兄様」
焦げ茶の髪を高いところで結い上げて、その先をゆらゆらと揺らしながら、薄い青の服に身を包んだ少女が部屋に入ってくる。
「ケレネア。お帰り」
座ったまま振り返ったトビアスがにこりと笑ってそう言うと、少女はトビアスに似た顔立ちをきっちりと笑みの形にしてから、綺麗に一度礼をした。
「お帰りなさいませ兄様」
優雅なお辞儀をしてから、次の瞬間、ケレネアの長い袖に隠されていた拳が真っ直ぐトビアスの耳と髪を掠った。
もちろん転んでしまったなどの事故ではない。
……強力な一撃だった。
「ナデルが泣いていたけれど」
「俺のせいかなー」
「久しぶりに帰ってきたと思ったらなにをやっているの。とっとと行って謝ってらっしゃい」
「ん〜……それはできないな」
「…………」
両手を腰に当ててトビアスを見下ろしていたケレネアは、「兄様がそう言うならしょうがないわね」と肩を竦めて踵を返す。
コツコツと足音を立てながら退出しようとして、ふと気付いたように入口で振り向いた。
「お客様の前で失礼いたしました。わたくし、フェイアット家長女のケレネアと申します。いつも兄がお世話になっております。今後もどうかよろしくお願いいたしますね」
「お、おー」
「あ、ああ」
微妙な返事しか返せないリーヤとラウロに、ケレネアは見事に笑顔でお辞儀をする。
「ではそろそろ夕食ですので。お待ちしています」
「ケレネア」
ちょっと待て、とトビアスが立ち上がったが、すでに外に出ていたケレネアは閉じかけの扉から顔を半分覗かせてくすりと笑う。
「お兄様がいらしたのでわたくしはこれで」
「え、兄貴?」
 トビアスが目を丸くしていると、すっと扉が開いて人影が書庫の中に入ってきた。
背はトビアスと同じくらいで、髪の色も同じだった。
少しトビアスよりは長くて、襟足が首にかかっている。

顔はトビアスとそっくりだった。目の形も鼻の形も口も。
ただ表情はトビアスよりもより穏やかで、にやにやというよりはにこにことしている印象だ。
そして彼は、眼鏡の代わりにモノクルをかけていた。

「……さ、爽やかイケメン……!」
「しかしそこはかとなく胡散臭そうだ……さすがトビアスの兄……!」
「つーか顔そっくし! あ、双子だっけ?」
本を机の上にうっちゃって会話に首を突っ込んできたリーヤに、その人物は邪気のない綺麗な笑みを見せた。
「ええ、トビアスの兄でアダノといいます。初めまして」
「「似てねぇっ……!!」」
「おいこら」
二人同時の心からの声にトビアスが突っ込む。
きょとんとしていたアダノは、事態が飲み込めていなかったようだがくすくす笑い出した。

「ふふ、いい友人みたいだね」
「顔はトビアスなのにすげー違和感!!」
「お前実は爽やか顔だったんだな」
「そんなに褒めるない」
にやにやしていたトビアスに、二人は更に続ける。
「てーかちゃんと貴族の息子だったんだなー」
「日頃の言動といい、適当さといい、行き当たりばったりな無計画さといい……正直実家を見ても信用してなかったが……」
「字も汚ねーし寝汚ねーし、ケンカ強えーけど経済学とかダメだし」
「文法敬語は完璧なのに手紙の書き方がなってないし、うっかりしてるしハンカチも持ち歩かないし」
「お前ら……日頃の俺をなんだと思ってんだ!?」
ていうか父親には会ってるよな、とトビアスが声を荒げると、二人は「だって事実だし」と声をそろえる。
「あは……あはははは」
「笑うなよ兄貴……」
肩を落としたトビアスの言葉に、アダノは目尻に浮かんだ涙をすっと指先で拭く。
「ごめんごめん。トビアスは本当に、変わってなかったんだねえ」
アダノは意味深な口調でそう言いつつ、すっと伏せた目でトビアスを見やる。
その視線に居心地悪そうにトビアスは頭を掻いた。
「しみじみ言うなよなー。夕飯行くぜ」
「トビアスが帰ってくるからって、好物でそろえてあるみたいだよ」
「マジ? やったぜ♪」
「でもその前に、荷物がちゃんと客間にあるかチェックしておいてあげて。二人は僕が案内しておくから」
「わかったー」
んじゃよろしく〜、と言ってトビアスは書庫の鍵をアダノへひょいっと投げると部屋を出て行ってしまう。
ほぼ初対面のトビアス兄と三人で取り残されたリーヤとラウロは、トビアスにとてもよく似ているが明らかに別人のアダノをじっと見つめる。
「あの……僕の顔になにか?」
「似てんなーと思って」
「性格は全く違うけどな」
「……トビアスはお二人の前ではどのような感じなのですか?」
トビアスによく似た目がモノクルの後ろから二人を窺う。
リーヤとラウロは顔を見合わせて、うーんと唸ってから口々に言った。
「面倒見がいい」
「お人よし」
「要領はいーよな……たぶん」
「なんでもギリギリでやってる」
「でも勉強はちゃんとしてるよなー」
「なんだかんだで研究者気質だ」
「魔法はすっげー上手い。コントロールとか超いいし」
「弓とか短剣もそれなりだな」
「んー、あとー、後輩にすっげー人気あるよな」
「人当たりがいいし、教えるのが上手いからな」
「それからいっつもすっげー優しーし」
「リーヤが多少無茶してもフォローしてくれるしな」
「俺だけじゃねーもん! ラウロだってよく無茶すんじゃんか!」
「お前のせいでな。気配りもできるな」
「そーそー、風邪引いた時すっげーきちんと看病してもらったー。ラウロは苦い薬飲ますのに」
「治るんだからいいだろうが」
「あれすっげーすっげー苦いもん! ルックの薬より苦いってなんだよ!?」
「それにトビアスといると、楽しい。色々とな」
「うん、あとー……」
二人は一度言葉を切り、もう一度視線を交わす。
それからにっと笑って、声をそろえた。
「「胡散臭い!!」」
   
和やかな雰囲気のまま夕食は始まり、終わろうとしていた。
運ばれてきたデザートに、リーヤが感嘆の声を出す。
「すっげー! なにこれ!?」
「お気に召していただけると嬉しいですわ」
にこりと微笑んでそう言ったのはメノアだ。綺麗にデコレーションされたケーキを見て、トビアスは眉を上げてメノアを見た。
「お袋……また作ったのか? あいっかわらず料理長泣かせだなー」
「トビアスがいない間にどんどん上達して困りますね」
「え、メノアさん作ったの!? すげー!」
リーヤの素直で直接的な褒め言葉に、メノアも嬉しそうに微笑む。
確かに盛り付けも色使いも美しいデザートだったが、リーヤには一流シェフもひれ伏す腕前の専業主夫の育て親がいるはずだ。
彼のおかげでリーヤの味覚は随分と肥えている(が、別に不味いものでも平然と食べる図太さもある)はずなのだが。
そんなラウロとトビアスの無言の疑問を感じ取ったのか、リーヤは口の中のデザートを飲み込んでから水を一口飲んで、言った。

「俺の親も料理すっげー上手いんだけどー、あんま盛り付けとかには気ぃ配んねーから、こんなの食べたことねーんだよなー」
「ふふ、盛り付けはナデルも手伝ってくれたのですよ。ね、ナデル」
メノアの言葉に、ナデルはこくんと頷く。
「うん、見ても綺麗で食べても美味しいなんて素敵だね」
「ええ、とっても丁寧に頑張ってくれたのね。凄く美味しいわ」
「可愛い盛り付けだと思ったらナデルだったのか、上手くなったなあ」
兄姉三者三様の褒め言葉に、ナデルは頬を染める。
流れとしてリーヤとラウロは褒めるべきか迷ったが、先程の彼女の対応を考えるに、ヘタな事は言わない方がいいだろう。
「美味い」
「ありがとー」
結果として無難な一言に収め、とりあえず礼を言うという体裁は取り繕っておいた。
聞こえていないならそっちの方がいいかもしれない。
「食後の紅茶でございます」
じいが出した紅茶を飲み終えてしまうと、夕食は終了だ。
大きな柱時計を見上げると、まだ寝る時間ではないものの、今から再び書庫を漁りに行くのはちょっとどうだという感じである。
そのまま徹夜コースで朝日を拝みそうだ。

「寝るまでどうするー?」
紅茶を飲み終えたリーヤがそう言うと、うーんとトビアスは天井を仰いだ。
「書庫で面白いモン見つかったか?」
「紋章学の歴史についての本は興味深かった。例の研究の考察に役立つかもな」
例の研究とラウロが微妙に濁しているのは、その研究が微妙にご法度だからである。
たぶん学会には発表しないから見ない振りをしてもらいたい。絶対に悪用しないから。
「じゃあ、せっかくだしちょっと詰めっかー。結構完成してんだけどなー」
「別の面から見んのも大事じゃね?」
三人でわいわい今晩の予定について話し合っていると、くすりとケレネアが笑う。
「熱心ね、兄様はやっぱり研究が向いてるのかしら」
「政治経済の勉強より余程楽しそうだからね。トビアスはやっぱりその道が肌に合ってるんじゃないかな」
「一族に研究者はいませんものね。トビアスが第一号だなんて鼻が高いわ」
「いや、まだなるって決まったわけじゃ……」
家族のほのほのとした反応にトビアスは慌てて首を横に振る。
その様子に三人が更にくすくすと笑い、あーもうとトビアスは困ったような照れたような笑みを浮かべて頭を掻いた。

そんな穏やかな空気の中、ガタリと冷たい音が場に響く。
実際は椅子の音だった。冷たいと感じたのは、その音が小さく高く、鋭かったからだろう。
「……ひどいっ!」
全員の視線を集めて立ち上がったナデルは、高い声で叫んだ。
「お兄ちゃん酷い……ひどいひどいひどいっ!!」
「お嬢様」
じいが宥めようと肩を押さえるが、それをパンッと打って払い、ナデルはトビアスの前まで走ってきて泣きついた。
「あたしと一緒にいてよ!」
叫ぶのと同時に涙が床に落ちる。
家族は全員立ち上がったが、ナデルはもちろん止まらない。
「お兄ちゃん帰ってこないし、帰ってきたと思ったら友達と一緒なんて――お兄ちゃんはあたし達のお兄ちゃんなのに!」
「……ナデル」
おやめなさい、と母が言っても、妹は泣き止まない。それどころかどんどん彼女の声は大きくなる。
「友達より家族の方が大事じゃない!」
「ナデル」
ケレネアが顔を顰めて制止しようとするが、ナデルは更に大きな声で泣きじゃくる。
「お兄ちゃんを取っちゃったニューリーフ学園もそこの二人も、行かせたパパとママも原因になったお兄様もお姉様もみんなみんな大嫌いっ!!」
叫んだナデルに、ガタリとトビアスが立ち上がった。
それからすっと腰をかがめて、ナデルとなるべく視線を合わせた。
「ナデル」
「ずっとい――」
にこりと微笑むと、トビアスは。
右手を振り上げて、ナデルの頬を叩く。
ピシッ
鋭い音に一同は凍りついた。叩かれたナデルも呆然として床に座り込んでいる。
「甘えるのもいい加減にしなきゃな、ナデル」
静かなトビアスの言葉は、彼のいつもの柔和な笑みから落とされる。
「家族の皆がお前のことを一番だと思ってるのか? お前が家族を嫌うなら、俺はお前の味方じゃないからな」
「お、おにいちゃ、」
「発作で苦しい時はいつも母さんが傍にいただろう? 父さんは国一番の医者を探してきてくれて、アダノ兄さんは寝てなきゃいけないお前に本を読んでくれて、ケレネアはお人形遊びをしてくれただろう? 大嫌い? よくそんなことが言えるな。今までみんなに愛されてきただろう、違うのか」
ひっく、と小さなしゃくり声が場に響く。肩を揺らして、ナデルは静かに泣いている。
「ナデル、姉ちゃんはナデルのこと大好きだよ。嫌われたって、大好きだからね」
駆け寄ったケレネアがそう言い、傍らにいたメノアもしゃがみこむとナデルの背中を撫でる。
「母さんもそうですよナデル。あなたは私の可愛い子供ですから」
「おかあさ、ま……お、ねえさま」
「僕もそうだよナデル。兄らしいことはなにもできていないけど、僕もナデルが大好きだ」
トビアス以外の家族がナデルの周りにしゃがみこむ。
「ご……ごめ、ごめんなさい……み、みんな……ほんとうは、だいすき、なの」
じわりと涙を浮かべて謝罪したナデルへ歩み寄り、トビアスはぎゅうと彼女を抱きしめた。
「兄ちゃんはお前のこと、大好きだ。お前と同じだけ、家族の皆も大好きだ。それから――友達の二人も、大好きなんだ」
「ご、ごめんなさいお兄ちゃん、ごめんなさい……ごめんなさい!」
泣きじゃくり始めたナデルを抱きしめて、トビアスは優しく彼女の背中を叩く。
そんな家族を、リーヤとラウロは席に座ったまま、何も言わずに見ていた。

   



とてもいい話だった。家族とはかくも素晴らしく愛に溢れているものだったと再認識できた。
「しかし……もし俺があんなこと言ったら、今頃首の骨が折れてるんだろうな」
「俺が言ったら切裂きで真っ二つかなー」
すっかり仲良しになった家族の団欒を邪魔しちゃ悪いと客間に戻っていたリーヤとラウロは、とてもあの一家には聞かせられない会話をしていた。
「あるいは膝関節を砕かれているか」
「二刀流で袈裟切りにされてるか」
「または男として大事な部分をちょん切られるか」
「それか宿星の巡りに永遠に強制参加させられるか」
二人とも色々想像して身震いをした。
リーヤの場合は家族の三人だったが、ラウロの場合は全て同一人物というのが少し泣ける。

「いつか死ぬなそれ」
「星見だけは敵に回しちゃいけねーと思う」
「ルックが大昔に家出をしたのは、二回も参加させられたからじゃないのか」
「あー……じゃあ無駄に終わったなー。三回目も宿星だったらしいし」
「じゃああの「ルックぶん殴って連れ帰り作戦」は宿星の内輪揉めだったってことになるのか」
「そー考えると宿星ってやっぱ近隣迷惑だよなー」
「国としては迷惑この上ないだろうな。ぽっと出の非戦闘員含む一〇八人に国をぶん獲られるんだぞ」
「でも天魁星がアレだし、のっとられることはしょーがなくね?」
「だから余計迷惑なんだろう」
「そかー……確かに宿星が関わった戦争って、よく言うとドラマチック、悪く言うと波乱万丈だしなー」
「計算が狂う戦ほど嫌なものはないからな」
等々、二人の会話はトビアスが照れ笑いしながら客間に入ってくるまで続けられた。
さすがにこの会話の内容は、トビアスに話さないでおこうと思う。



そしてこの「宿星について」の会話を十年ほど後に思い出したリーヤとラウロが景気よく凹むのは、たぶん星の巡りのせいだろう。